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(回答先: 米大統領戦の行方−−Fakers' Misfortune 投稿者 万事急須 日時 2004 年 10 月 02 日 00:33:27)
2008年大統領選挙でヒラリー・クリントンが初の女性大統領となって、EUと「歴史的和解」を遂げる....妄想ですが。
『兜町の妖怪』広瀬隆
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−略−
タイソン・フーズの弁護士をつとめ、同時に事業全体を指揮していた男が、ジェームズ・B・ブレアであった。その妻ダイアンは、身近にいたビル・クリントンという男を、アーカンソー州の知事に当選させる時に、中心的な役割を果たし、のち自ら、知事室に出入りする要職についた。しかしこのブレア夫妻は、その成功では満足しなかった。
ビル・クリントンを大統領にしようと考えたのである。
九三年、遂にその夢を果たしたダイアン・ブレアは、今度はホワイトハウスの要職に自らつくと共に、タイソン・フーズの仲間を大量に引き連れてワシントンを占拠したのである。夫のジェームズ.ブレアは、アーカンソー州でNo1の弁護士であり、同時に財閥のメンバーでもあると言われていた。ニューヨーク・ウォール街のブレア商会は、投資銀行として大きな勢力を持っていたが、その経営者クリントン・ブレアは、娘マリー・ルイーズの夫にジョン・ピアポント・モルガンという名前の男を迎えていた。私は、全米最大の銀行家ジョン・ピアポント・モルガンの名前を連想して、はっ とした。しかし驚くには当たらなかった。この男は、連想させるだけでなく、この巨頭モルガンの実の孫だったのである。
ウォール街のブレア商会は、モルガン商会の血族支店となり、やがてバンカメリカ・ブレアとして、大きく成長しながら、西部カリフォルニアのバンカメ(BOA)の細胞にも入り込んでいたのである。そのブレア商会の顧問クラウチと手を組んで設立されたアーカンソー州の法律事務所クラウチ・ブレアの主、それがビル・クリントンを大統領に押しあげ、タイソン・フーズを支配したジェームズ.ブレアであった。何と不思議な、歴史の巡り合わせであったろう。
−略−
さて、七八年のことだった。シカゴ取引所に、銀行口座に一〇〇〇ドルしか預金を持たないある女性が投資をすることになった。この女性は緊急に大金を必要としていたが、知人のジェームズ・ブレアが、彼女に投資をすすめたからである。
この投資は、肉牛の先物相場を狙ってひともうけを企む、家畜取引きだったが、驚くまいことか、数日にして一〇〇〇ドルが六三〇〇ドルにふくれあがった。いや、これはまだ序の口だった。さらに十ヶ月後には、これが一〇万ドルに生まれ変ってしまった。この幸運な女性は、自らも弁護士をつとめるヒラリーという名前だったが、夫のビル・クリントンに、誇らしげに一〇〇〇ドルを一〇万ドルに変えた錬金術を物語ってみせたのである。
その時、こうした資金をもとに選挙に勝ち抜き、州知事に就任したばかりのビルの給与は、肉牛より安い二万ドル余りにしかならなかったからである。ともかくこうして、七九年一月、全米で最年少という三十二歳の州知事が誕生した。
−略−
ビル・クリントンが大統領の座を射とめた時、全米に次のような物語が紹介された。
た。ある日、ビル・クリントン夫妻が、ガソリン・スタンドヘ立ち寄り、車にガソリンを入れていすると、スタンドで働く男がやってきて、車を磨いてくれた。その男は、かつてヒラリー夫人のボーイフレンドであった。それを見て、ビルがヒラリーにこう言 ったのだ。
「君は、あの男と結婚しなくてよかったな。奴の女房になっていれば、君は今ごろ、このガソリン・スタンドで働いていただろう。ファースト・レディーにはなれなかったんだ」するとヒラリーが、静かにこう言った。「そうじゃないわ。私が彼と結婚していれば、今ごろは、彼が大統領になっていたのよ」確かに、ケンタッキー・フライド・チキンのハーランド・サンダースは、ガソリン・スタンドから出発して大佐にしかなることができなかったが、ビル・クリントンは大統領になることができた。
−略−
しかしこのような後楯を持つヒラリーに大きな疑惑が生じたのは、わずか一○○○ドルが一○万ドル当時のレートで二〇〇〇万円以上に増えたという金額の問題からではなかった。先物取引きという危険な投資の場合、シカゴでは投資する人間に対して、本人が損失を出した時に備えて、保証金を要求することがルールになっている。このギャンブルに負けた人間が、支払い能力もなく、借金を踏み倒すおそれがあるからだ。
ところがヒラリーは、この保証金よりはるかに高額の投資をおこない、取引きに成功していた。シカゴ商業取引所の内部に、規則を破った黒幕が存在したのである。それは誰だったか。メル
シカゴ商業引所は・英語でC.M.Eという名前だが、一般は、MERCとして知られてきた。保証金なしの取引きのようなものは異例であり、取引所の会頭が何らかの指示を出さなければ、起こり得ない不正であった。この時期ヒラリーがシカゴに投資した七八年から会頭の座にあったのが、誰もが知るクレイトン.ヤイターであった。
この男は、すでに五〇年代から自ら肉牛の取引きの事業で二五〇〇エーカーの農場を経営してきた。後年、シカゴの会頭に君臨すること足掛け八年におよび、その後、通商代表に転じて、半導体問題に火をつけ、日本経済つぶしの顔役となったヤイターである。さらに農務長官としては、ガットの圧力をかけることに余念なく、のち、軍需産業に迎えられた男だ。(*共和党全国委員長も歴任 バルタン注)シカゴ取引所の幹部たちは、国家経済の暗部として機能を果たすよう、上からのいかがわしい指令を待っているのだ。)
八七年にはFBIがそのシカゴ客の取引所に囮捜査官四人を送り込んだ。取引所の会員となった彼らが、先物取引きのフロアでブローカーを演じつつ、二年にわたって、商売人同士の会話をひそかにテープで録音してみたのである。その結果、百五十人という大量の人間がインサイダー取引きに関与していることが明らかになった。そのような世界である。
--つづく