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7月に発行された平成16年版『経済財政白書』を読んでみたが、総務省(旧経済企画庁)のキャリア官僚の経済論理理解の浅さに危惧を覚える。
いろいろ問題点を指摘したいが、今回は、平成16年版『経済財政白書』の「むすび」から一つだけ取り上げる。
P.237
「● 継続する回復の力
このような予想外の力強さに対して、日本経済の回復は外需主導であり、アメリカや中国経済の変調によって早晩頓挫するのではないかという冷めた見解がある。しかし、2003年度の経済成長のうち外需の寄与は3割を下回っている。過去と比較して今回は民需の寄与が大きいのが特徴であり、外需主導と呼ぶのは適切ではない。」
官僚は、輸出が「輸出(外需)増加→内需増加」という規定論理を持っていることを理解していないようだ。
(「輸出増加=内需増加」という理解は極めて重要である。外向けで稼いだお金が内需に使われると同時に、生産した財は外に流出していることがポイント)
輸出向けの財の生産活動に従事しているひとたちは、生産した財を輸出することでお金を稼ぎ、そのお金で国内で消費行動を行う。
自分たちが生産した財は輸出してなくなっているので、他の財を購入することになる。
しかし、残業が増加したり若干の雇用が増加する程度であれば、たいした経済成長には結びつかない。
(過去数度の外需による景気上昇はこの程度のものが多かった)
輸出の増加が大きな経済成長につながるのは、輸出企業の稼働率の上昇にとどまらず、輸出の増加が設備投資の増加に結びついたときである。
設備投資(固定資本形成)に従事した人たちも、消費財を生産しているわけではないので、その活動で得たお金で他の人たちが生産した消費財を購入する。
2003年度の経済成長は、背後の35.1兆円の対米金融を支えとした、おそらく100%と言っていいほど「外需主導」である。
給与水準の切り下げや公的固定資本形成の減少と、内需が自律的に増加する要因はないからである。
過去の「外需主導」との違いは、外需の増加ペースが高いことで、設備投資につながったり、残業の増加や雇用の増加で可処分所得の増加につながったことが、GDP的見え方として「民需の寄与度」が高くなっているだけである。
外需の増加は、国内の供給力がぎりぎりで需要が増加したら輸入に頼らなければならない国民経済以外、自動的に内需の増加につながっていく。
このような理解がないまま、外需主導ではなく内需それも民間主導で経済成長を達成したという認識を政策立案当局が持っていれば、変動しやすい外需が低迷したときに対応を誤ることになる。
対応を誤ってきたから、外需の変動と公的負担の変動(消費税引き上げや社会保険料引き上げ)が日本経済景気循環の要因となっているのである。
中国経済が引き締めに向かい米国経済も同じように引き締めに向かっている今こそ、経済論理をきちんと理解した対応策の合意が求められていると言える。
★ 参照投稿
『貿易収支の新しい理解:日本経済は輸出に15%も支えられている!:韓国や中国が苦しい経済論理』
( http://www.asyura2.com/0406/dispute19/msg/338.html )
『借金漬けの米国経済とそれに支えられた世界経済はソフト・ランディングができるか?:問題は政府債務ではなく家計債務』
( http://www.asyura2.com/0406/dispute19/msg/314.html )
『「産業資本主義」の終焉:「純投資マイナス」が“利潤”を消滅させる:最終回』
( http://www.asyura2.com/0406/dispute19/msg/290.html )