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(回答先: Re:途上国と言わざるを得ない我が国のスポーツ界。その原因-その2ー陰謀 投稿者 Mグループ 日時 2004 年 9 月 03 日 21:54:03)
グーグルで「学校給食」「脱脂粉乳」と検索すると「学校給食」「脱脂粉乳」賛歌の
HPがずらりと並びます。陰謀という観点から読みますと滑稽ですね。カロリーの
取りすぎの肥満児(米国児童)やダイエット志向の女性に脱脂粉乳ならば頷けます
が、餓えに苦しむ育ち盛りの戦後児童に何故脱脂粉乳だったのでしょうか。無いよりは
益しだったのか、その結果がもっと悪かったのか。
私は脱脂牛乳を美味しく楽しみに飲んでいた児童でした。私の記憶には灰色のアル
ミタンクから配られた脱脂粉乳があります。(オカラも豆腐の絞り粕で飼料や肥料が主
な用途ですが栄養豊富です。これを難民や途上国に援助するという話は聞きません。)
引用です。
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当時、最大の問題は良質たんぱく質の不足でした。脱脂粉乳には良質のたんぱく質が
ありました。また、日本人に当時たいへんに不足して子供が欠乏症にかかっていたビタ
ミンB2が豊富でした。また、一日わずか250mgしかとれていなかったカルシウムがたくさ
ん含まれていました。提案された脱脂粉乳は栄養学的には理想的な食品でした。
米国では当時、牛乳の最高の製品であったバターを作ったあとの副産物である脱脂
粉乳は余っていました。食品として作られたものではありませんでしたが、栄養豊富で
安価でした。それで家畜の餌でもなんでもいいから食物の欲しかった日本の学校給食
での使用が提案されたのです。
大成功の実験校での給食
こうしてなじみのない食物でしたが背に腹は替えられないと、脱脂粉乳(お湯で溶き飲
用)は学校給食に採用されました。まず、全国に数校、実験校を設定しました。
もちろん、食物として作られたものではないので溶けにくく、味も悪く、子供たちには歓
迎されませんでした。しかも米国の子供たちと同じだけとてもたくさん飲ませられました。
ご存知のように、離乳期以後の日本人は乳糖分解酵素がほとんどなくなります。牛乳を
飲みつづけると腸内細菌が適応して、下痢をしなくなるのですが、牛乳を飲んでいない
子供たちが急にたくさんの脱脂粉乳を飲んだものですから、下痢をする子もいました。し
かし占領下ですから、米国からの援助物資を学校給食で飲んでいるのをときには米軍
が見にきます。それでみんな我慢して飲みつづけました。
1年後、視察に行った委員たちに、どの校長たちも異口同音に素晴らしいと報告しまし
た。子供たちの頭の吹き出物がきれいになり、多くの児童にみられていた口角炎(ビタミ
ンB2欠乏症)も消えていました。授業態度も、体格もよくなっていたのです。こうして学校
給食の中心は脱脂粉乳となりました。学校給食として主食・副食がつけられない場合に
も、脱脂粉乳だけは出しました。
その後、量は下痢しない程度に減らされ、酪農の発達に伴い普通牛乳に改められまし
た。今も学校給食の中心は牛乳です。学校給食は今、全国の児童の99%以上が受けて
います。そして14歳男子で17cmも身長が伸びました。最大の要因は学校給食と考えられ
ます。 http://www.j-milk.jp/seminner/8d863s000000qcyu.html (学術情報)
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「豚の餌無理に食わせて金をとる。」 当時の友人(教師の子ども)がつくった俳句
です。彼の誤解で無料だったようです。
>もちろん、食物として作られたものではないので溶けにくく、味も悪く、子供たちには
>歓迎されませんでした。しかも米国の子供たちと同じだけとてもたくさん飲ませられまし
>た。
米国の子供たちもヒトの食物として作られたものではない脱脂粉乳を飲んでいたので
しょうか。