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(回答先: 「産業資本主義」の終焉:「純投資マイナス」が“利潤”を消滅させる:最終回 投稿者 あっしら 日時 2004 年 9 月 04 日 00:16:55)
あっしらサン、こんにちは。
bakaの突込みにおつき合い下さい:
>[直接消費しない生産手段の生産に従事する人たちが手に入れた所得を需要に回すことで財の価格を上昇させる。]
あっしらサンは、需要と供給のバランスで財の価格が決るという説を支持されているのでしょうか?
増加した需要を賄いきれるだけの生産手段が存在すれば、その財の価格は低下する場合(量産効果)もあるのではないでしょうか? そして、それが廻り回って、全ての財の価格を最終的には低下させることにはならないでしょうか? つまり、一時的には価格上昇する財もあるでしょうが、最終的な平衡状態があるとすれば、その状態では、全ての財の価格が以前よりも低下することになる、と考えるのですが。
>{意図的ではない”インフレは、固定資本形成の純増加によって起きるものだから、実質賃金が維持されている限り、生産性の上昇がもたらす財の価格下落のおかげで手に入れられる財の量は増加する。]
あれっ。ここでは、「生産性の上昇がもたらす財の価格下落」と仰っている!???
でも、この洞察にはシビレます:
>[競争に勝つために固定資本を必死に蓄積し、それが過剰供給にならないよう販路を外に求め、世界市場で勝つためにさらに固定資本を蓄積するという「賽の河原の石積み」にも似た無間地獄に経済人を落とす。
それを自覚しないまま自由主義経済や競争的市場原理を信奉している経営者や政治家は、愚かの極みであり究極のマゾヒストである。]
>[業資本主義が延命できる唯一の方策は、固定資本形成を含む供給額を増加させる新規商品の開発以外にない。
それとて、携帯電話の劇的な普及過程と価格下落でわかるように、産業資本主義の“絶命”を少し先送りするだけである。
現段階の世界は、近代経済社会の亜種である「社会主義」に進むか、近代経済社会とは別の生存様式を創り出すかの岐路に立っている。
世界支配層は当然のように「社会主義」を選択する。それ以外に“彼ら”が経済権益を維持する術はないからである。]
圧巻ですね。
>[国民のほとんどは空虚な言葉で称揚されるはずのこのような「社会主義」の実現に歓呼するだろうが、それは、国家債務を履行するための奴隷になることを意味する。
所得の多くが政府の債務履行のために徴税され、日々の生活に必要なものは高値で買わされることになる。]
今のロシアは、こんな状況でしょうか?
>[支配層は、利得や自己保身のためであれば、機を見て敏で言動を変える生き物である。]
bakaの勤務先のカスもこれです。
>[世界最強の産業国家である日本は、「信用創造」機能を回復させれば自律的に復活する。
そこから自国破壊政策でしかない「構造改革」ではない構造改革や「社会主義」ではない新しい社会の模索も可能になる。]
再び、あれっ。あっしらサンは「信用創造」を詐欺と断じて、あってはならないものと主張されていたと、bakaは思っていました。
>[バブル崩壊後の日本は、消費も緩やかに減少してきたが投資の減少でデフレに陥った。
その最大の要因は、投資がほとんど借り入れで行われていることでわかるように、銀行の「信用創造」が機能不全に陥ったことにある。]
この部分をもう少し御解説下さい(「信用創造」の機能不全について具体的に)。
宜しくお願い申し上げます。