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(回答先: Max 20,000人 投稿者 baka 日時 2004 年 8 月 08 日 18:46:33)
>bakaさん
【ただし、「捕虜の処置に困って」という話しが本当だとすれば、やはり「組織的」な殺害はあったと云えるのではないでしょうか?】
と言う事なのでKの見解を書きます。
これは「言葉の定義問題」なのです。
言葉の意味をそのままに取れば「あったと云えます」
しかし、これは日本国が指示したものでは無いと言うのがKの考えです。
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/
のページの部隊別資料の「山田支隊」あたりを新聞記事を含めて読んでもらうと
上層部は「捕虜を後送するつもり」だったと思われます。
よって、捕虜の処刑は日本軍の意思では無かったと思われます。
しかし16師団は捕虜を引き取りませんでした。今となってはその経緯は分かりませんが
16師団に我が儘がいたのです。
それでも、山田支隊は捕虜を引き取ってもらう方策を模索したようです。
でも、結果的に「逃がすか、殺すしか」道がなかったのです。
どうも、16師団は実力があったようで、当時の軍司令部も仲間割れを避けて山田支隊の要請をうやむやにした感じです。
「逃がせば」軍法会議です。結果殺すを選んだとKは見てます。
これを「組織的な虐殺行為」と捉えるかは主観論にもなるのですが
Kはこの場合の「組織」を日本国が承認したか否かと定義しています。
確かに、人格的に問題のある者を司令官に配置した責任などは「日本」にあります。
が、それでもそれは「個人の品格」と「戦争という異常な状況下」が生み出した犯罪だとKは判断しました。
これは悲劇ですが、「南京大虐殺」という「日本人の残虐性」を証明する事件とは見ていないと言う意味です。アウシュビッツとは性質そのものが異なるのです。