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(回答先: 『ソラリス』は存在論、認識論的(笑)にもヲタクにとって汲めども尽きぬネタの宝庫 投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 10 月 25 日 16:35:33)
横レス失礼します。
仕事の方もようやく一段落したので、ちょっと書き込ませていただきます。
『ソラリス』は飯田規和訳で何度も読んだものです。
タルコフスキーの映画もずいぶん見ました。
今度の沼野充義訳はポーランド語原典からの訳で、ロシア語版からの重訳である飯田訳ではさまざまな理由でカットされていた部分も含めての完全版というのがセールスポイントですね。
沼野訳はまだ全部目を通していませんが、ぱらぱらと見た感じでは正確なんだろうけれど生硬な翻訳という印象です。
例を挙げると、有名なラストの一節はこんな感じです。
(飯田訳)
「私は、数百人の人間の生命をのみこみ、人類が数十年の永い歳月にわたって理解の手を差しのべようとしてもかたくなにそれを無視し、私を木の葉のように翻弄しておいて、しかもそれに気づかないでいるようなこの液体の巨人が、私と彼女という二人の人間の悲劇に心を動かすかも知れないなどとは露ほどにも信じていなかった。しかし、この海は何らかの目的を持って行動している。もちろん私はそのことを完全に信じ込んでいるわけではないしかし、それにしても、ここを去ることは、そのはかない、未来にかくされていて見えない、しかもことによると想像の中だけに存在しているにすぎないのかも知れないチャンスを永遠に見捨てることを意味するのだ。だとすれば、私と彼女の手に触れた日用品の中で、彼女の息吹をおぼえている空気のなかで、これから先の年月を過ごすことを私は期待しているのだろうか? なんのために? 彼女が戻ってくることへの希望だろうか? 私はいかなる希望も持っていなかった。しかし、私の内部ではなおも一つの期待が生きつづけていた。それは彼女が私に残していった最後の期待であった。私は一体、性懲りもなく、どのような事件を、どのような嘲笑を、どのような苦悩を期待しているのだろうか? それは私にもわからない。しかし、私は、驚くべき奇蹟の時代はまだ永遠に過去のものとなってしまったわけではない、ということを固く信じていた。
(沼野訳)
「しかし、この液体の巨人は数百人の人間たちを呑み込んで死をもたらし、私の属する種族が総力をあげ、せめて理解し合うための糸口でもつかめないかと何十年も苦労してきた、その努力の相手である。無意識のうちに私を小さな埃の粒のようにやすやすと巻き上げてしまうこの巨人が、二人の人間の悲劇に心を動かされるなどということがあるだろうか? 私はそんなことは、ほんの一瞬たりとて信じなかった。しかし、この巨人の活動は何らかの目的を持つものだった。いや、それについてさえ私には心の底からの確信はなかったのだ。しかし、ここから立ち去ることは、未来が秘めている可能性を――たとえその可能性がはかなく、想像の中にしか存在しないものであっても――抹消してしまうことを意味した。それなら、やはり、これから何年も、私たちがともに触れた道具や品物に囲まれ、彼女の息をまだ覚えている空気の中で過ごすべきなのだろうか? いったい何のために? 彼女が戻ってくることを望んで? いや、私に望みはなかった。しかし、私の中ではまだある期待が生きていた。それは彼女の後に残された、ただ一つのものだ。私はこの上まだどんな期待の成就、どんな嘲笑、どんな苦しみを待ち受けていたのだろうか? 何もわからなかった。それでも、残酷な奇蹟の時代が過ぎ去ったわけではないという信念を、私は揺るぎなく持ち続けていたのだ。
ということで、一見、正確さはともかく、飯田訳の方が名調子ですね。とくにラストの「しかし、私は、驚くべき奇蹟の時代はまだ永遠に過去のものとなってしまったわけではない、ということを固く信じていた。」はSF名ゼリフ集のベストスリーに入ると確信しています。
レムに関しては、無敵戦車キュクロペスと自立分散型(サブサンプションアーキテクチャのアイディアを10年以上先取りした)マイクロロボット軍団との壮絶な死といを描いた『砂漠の惑星』と、この宇宙の成り立ちをあっと驚くアイディア(しかも充分納得できるロジック)で解き明かした中編「新しい宇宙創造説」が、この『ソラリス』とともに三大愛読書ですね。
で、『ソラリス』についてですが、メインテーマはファーストコンタクトだと思っています。
未知の存在との遭遇はどのように行われるのか。
その可能性と不可能性を描くこと、それが第一のテーマだったと思います。
しかし、未知の存在はべつに宇宙の果てまで旅しなくとも身近に存在する。
それは私以外の人、(現代思想風にいえば)他者ですね。
ファーストコンタクトテーマは突き詰めていくと、哲学の永遠のテーマの一つ、他者論に突き当たるというのが、レムの思考のすごさと思っています。
さらにいえば、最大の他者は、何も他人ではなく、自分自身なのですね。
ですから、『ソラリス』は、内なる他者性を探求する物語でもある、と思います。
魂の胎内めぐりという側面もあると思っています。