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「青い芝の会」1970年代・障害者解放運動のビデオと、反戦運動と、「ゆきゆきて、神軍」
http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/501.html
投稿者 手ポリオ 日時 2004 年 10 月 16 日 10:32:45:HcDLIonJaW4jM
 

・障害者問題資料センターりぼん社・そよ風のように街に出よう編集部 ◆『にんげんワガママ宣言』大集合! 
http://www.hi-ho.ne.jp/soyokaze/  編集部 http://www.hi-ho.ne.jp/soyokaze/intro.htm

■1970年代記録ビデオ http://www.hi-ho.ne.jp/soyokaze/video.htm
'70年代障害者解放運動を記録した3本の8mm映画がビデオになって復活しました!
★1972年『カニは横に歩く』制作実行委員会 モノクロ・1時間10分…関西における障害者解放運動の先駆
★1975年『何色の世界』障害者問題資料センターりぼん社 カラー・1時間12分…在日朝鮮人女性障害者の自立生活
★1977年『ふたつの地平線』障害者問題資料センターりぼん社 カラー・1時間22分…川崎バス斗争&障害児を普通学校へ
 価格 各巻3,000円(税・送料込み) 3本セット価格 7,500円(税・送料込み)りぼん社。
★1972年『さようならCP』82分・白黒…『ゆきゆきて、神軍』1987年の原一男監督の第1作目。レンタルビデオ屋にあり。
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ビデオを入手。
1970年代、障害者解放運動で「青い芝の会」という団体が部落解放同盟などと一緒に活発な活動をやっていた。
その会に、和歌山の障害者施設の中にいる一人の障害者の男性が入会し、施設の中で広めようとしたら、
まわりじゅうから、嫌がらせにあい、施設にいる障害者仲間や職員たちから、妨害と無視と阻害をされて、
ついにその施設で孤立し、近くの電車の線路に飛び込んで「自殺」した脳性マヒの若者が1976年ごろにいたそうである。
その直後、青い芝のメンバーはこの施設に乗り込み抗議の座り込みをし続けた糾弾斗争。
施設収容政策の欺瞞をただす。和歌山センター斗争。

また、1975年に、在日朝鮮人で女性でポリオで両手も両足も不自由な24時間介助の必要な21歳の娘が、
親元を離れて、関西では初の重度障害者がひとりで自立生活する運動とか、
(朝鮮人だから年金等は当時は何も出ない。この子が結構オチャメ。)

そして、養護学校じゃなくて普通学校に入れてくれという運動を文部省前で地べたを這いながら、いざりながら、
排除されても、中へ入れろ、話し合いをしろという障害者の人たちの闘争、ゾロゾロと行う青い芝の会の旗と、
文部省の屋上にひるがえる日の丸の旗…、などなど、そういう草分けの運動がもろもろあり、

ついに、1977年4月12日、川崎駅前で、バスの前に寝転がり、車いすの人も乗せてくれという抗議行動に出た。
78台のバスが運行中止になった。ざまみろ。NHK等もテレビで報じた。イエーイ!

というようなおかげで、今の福祉が進んできたのに、共産党系はまったく応援しないどころか、周囲の目と同じく、
排除・抑圧する側になって、おいしい結果だけを自分の手柄に見せて、自分たちは穏やかな、まともな団体だと 
振る舞っている。ずるいですね。ひどすぎますね。だから、こういうことはまったく語り継がれていない。
話にも出さない。パソコンがなければ、今だに、なんにも知らないままだった。
自殺にまで追いやっておきながら、根源の原因・背景・経緯など、まるで思い至そうとせず、
過激な、おかしな、変わった思想に、かぶれたとか、健全者に利用されたとか言う。
これを自民党などが言うのならまだわかるが、共産主義を看板にしているところが言うことではないぞ。
障害者が、障害のあるがままでの自己肯定感を持つことを、自発的に目覚め、社会に働きかける運動だった。
うわべのキレーゴトや、同情・お情け・お恵み・施しではない本当の人間の尊厳としての福祉社会。
つらく暗い怒りの場面もいっぱい写されている。その上での笑顔。

しかし、もっとずっと昔から、共産党系は排除・抑圧する側だったみたいだ。世間の目を気にしましょうだと?アホ。
そしてそれは、障害者運動だけでなく、反戦平和運動や労働運動や部落解放運動などでもすべて同様だった。
ストやデモをつぶし、やる気のある者を除名し、反骨精神を押さえつけ、おとなしく穏やかに、
政府や企業側や世間の目の枠の中で…。どこが「前衛」かよ。「後衛」、それも、う〜んと後ろのほうね。
しかも内部でそういうことが言えない、言っても無視・排除されるのだ。本当です。昔のように除名や査問はしないが。
根が深く、長いふぬけの歴史と、広い世間と政府の空気に“自ら”染まりたがるような相手では、
私ひとりなんぞでは、とても太刀打ちできないわ。
しかも今は、共産党系だけではなくて、“その他のほとんどすべて”の活動団体・個人がそうだ。救われないね。
そういうことを“はっきりと大声で”言えなければ、今の反戦運動は、戦争勢力の応援をしてしまう。
とぼけちゃいけねえ 知ってるぜ おまえら みんな ホゲタラだ。ホゲホゲ タラタラ ホゲタラポン!♪

いま、「青い芝の会」は、バラバラになり、一部は細々と活動してるらしいが、すでに当時の気概のある者はいない。
いても高齢化し、あとを継ぐべき若い人たちのほとんどは、おとなしく穏やかになって、
地元や世間の空気に染まった人間ばかりのようであります。
しかし、共産党系よりは、幾分かは戦う活動をしている人たちもあるようですが、自分たちの福祉の運動の範囲だけで、
反戦に直接つなげないし、つなげても、いわゆる世間の反戦運動程度の意識。…明るく楽しくお行儀よく、ね。
たとえば、安積遊歩などは反戦や政治的なことに触れるが、一緒にやっているのが樋口恵子だと。
民主党など→ライスカレー=カレーライス。松下政経塾=新自由主義・ネオコン・レッセフェールの養成所。
市場原理主義の弱肉強食・優勝劣敗の競争で民間経済活力導入とか言って、能率効率おカネ儲けで勝ち抜く福祉???
おー、こわあ。お先真っ暗。ダメダ、コリャ。選択できる福祉とか言って、洗濯もまともにやってくれない。
2003年4月からの障害者の「支援費制度」ってのが、そういうものだ。介護保険はさらに悪い。
アメリカン・リベラル・デモクラシーかぶれで、日本の世間の目の基準にも合わせてという人たちの、たちの悪いところだ。
私は安積遊歩を責め立てるつもりではなく、もっと障害者問題を反戦につなげることに真正面から取り組んでほしい。根っ子は戦争構造にあるのだ。
樋口恵子や民主党などを、うわべではない反戦・反市場原理主義・反優生思想の側につかせてほしい。
こういうことをはっきり言えなきゃダメ。

私は、まだ活動暦二年半、パソコン暦一年なので、不充分・不正確・不勉強・未経験な部分だらけです。
そんなとこを突っ付くより、これをもっと拡充・発展・深化させ、障害者運動と反戦・反差別運動の連帯を大構築することのほうが大切だ。インチキの、うわべの連帯ではない。本音を言えて、それでも一致点のある部分でつながる連帯だ。喧々諤諤言いながら、弱い個人が自由に結びつくのだ。強い側に、怒り、ねたみ、ひがみを出せる世の中にするために!
私は、三年前に共産党系の障害者の会に入って、はじめの半年はほとんど何もなく、そのあと去年、実は、国会の共産党系の議面集会で五回ぐらいと、今年の前半に二回ほど、人前でしゃべりました。私は去年は活動としてはまったくの一年生。司会の人に、それなりに気に入られ、というよりも、スローガンが「軍事費削って、福祉に暮らしに教育に」で、なのに障害者は他に誰も来ないから、言わせてもらえたのでしょう。今まで一度も人前でしゃべることなどできなかった私が、一人で奮戦しました。そこでは、こんなことをしゃべっていました。
「障害者は戦時中、『戦争の役に立たない非国民・ごくつぶし』とののしられ、福祉も年金も教育もほとんど何もなく、息をして生きているだけでもはばかられる時代でした。二度とそんな時代を繰り返してはなりません。今また、日本は、あの戦争賛美の教科書は真っ先に障害児・病弱児に押し付けられたり、年金・医療・福祉は削られ、有事法制や、憲法改悪などの軍国主義の道を歩んでいます。障害者が暮らしやすい世の中が、そのほかのいろんな人にも暮らしやすい世の中になると思います。だから私たちは、車いすで、松葉杖で、白い杖と盲導犬も一緒に、手話でシュプレヒコールして、手ポリオもまざって、戦争反対のデモ行進に、できる限り参加したいと思います。障害のある者が堂々と街中に出られることが、平和な世の中につながります。障害者は、『戦争の役に立たない』ということは、裏を返せば、『平和の役に立つ』ということです。戦争の役になんか立たなくていい。『平和のシンボル障害者』として、今度の明治公園(日比谷公園・代々木公園など)の大集会とデモに、みんなで参加するつもりです。共にがんばりましょう。」
なんてことを繰り返し言っていた。そんな程度のレベルです。それではダメなのです。しかし、その程度のことにも、私のいた会は、ほとんど乗ってこない。実際はもっとややこしくいろんなことが短い期間でしたがありました…。

と思って調べていくうちに、上のビデオの中の大阪の在日朝鮮人女性障害者・金満里さんが、自分の作った障害者劇団で
反戦イベントをやり、デモにも積極的に参加し活発な反戦活動をされていることがわかった。
やはり、在日&障害者&女性ということと、神戸の大地震、部落解放運動等の盛んな関西、ということ、
いや、それよりも本人の感性によるものが大きいと思う。
青い芝の会の精神はここに受け継がれていたかもしれない。しかも青い芝の会の初期の歴史も演劇にしていたのだ。演劇の中の仮想現実世界で、「ゆきゆきて、神軍」ぐらいの精神を実感させてほしい。

今こそ、「青い芝」のような運動が必要なのだ。
つまり結局、障害の種別や障害の有無には関係なく、社会の不条理・矛盾にチクッと来ることがあったら
行動ができるかどうかの感性の問題だ。
そういう者たちが、ものの見方・考え方として「ゆきゆきて、車いすの神軍」になるのだ。
「青い芝の会」と「ゆきゆきて、神軍」を結び付けられたら困るというような発想こそ、粉砕すべし。
人の世に熱あれ、障害者に光あれ!

   ♪水平歌(解放歌)
ああ千年の昔より エタと非人の名によりて
生(なま)暖かき人間の 皮をはがれて内臓の
尊き魂うばわれて 暗いみじめな人生を
http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/kakumeika.html

ああ千年の昔より カタワとゴクツブシの名によりて
生(なま)暖かき人間の 皮をはがれて内臓の
尊き魂うばわれて 暗いみじめな人生を
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以下、ご参考。もちろん、このほかにも資料になるサイトはいっぱいある。
(なお、「障碍者」という表記もあるし、「障がい者」もあるけど、一応、「障害者」にしました。気になる人は気になればいい。) 
私はどれもイヤダネ。にんげん。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■障害者(の運動)史のための年表→ http://www.arsvi.com/0ds/1.htm 
■資料:青い芝の会関連年表→ http://www.arsvi.com/0d/ask.htm  
「1957(昭和32)年11月3日発足した青い芝の会は、最初は同じ障害者仲間でさえ軽んじられ、(中略)
次第にラジカルな運動団体として変貌して行ったのです。(中略)
その分だけ激しく、かつ純粋に闘えたのも事実だったのでしょう。」
■青い芝の会「茨城青い芝の里内龍史会長より『私の障害者運動史』」1999
本文全文は→ http://www.iris.dti.ne.jp/~globe/minnanohiroba/1999.htm
■演劇「マハラバ伝説」(作・演出・出演/金満里)2001より。
http://www.asahi-net.or.jp/~tj2m-snjy/maha/maharaba.htm#Maha-Laba
「マハラバ村」は、1960年代に日本に実在した、脳性麻痺者のコンミューンである。
マハラバとは、「偉大な」(マハ)「叫び」(ラーバ)を意味するサンスクリット語。
茨城県千代田村閑居山願成寺の怪僧・大仏(おさらぎ)和尚が、自らの寺を開放して設立した。閑居山マハラバ村コロニー。1964〜69。
このコンミューンの中で醸成されたものを受継いだ「青い芝の会」の主要メンバーは、神奈川県に移り住み、
以下のような行動綱領を掲げて1970年代に激しい障害者解放運動を展開したのである。
《 全国「青い芝の会」綱領 》日本脳性マヒ者協会・全国青い芝の会総連合会(障害者の水平社宣言)
一、自らが脳性マヒ者であることを自覚する
一、強烈な自己主張を行う
一、愛と正義を否定する
一、われらは、健全者文明を否定する
一、安易な問題解決の路を選ばない
優性思想に対抗する彼らの思想と行動は、文明の在り方にまで切り込むそのラジカルさで世に衝撃を与えた。
http://www.phoenix-c.or.jp/~takayan/documents/books/disablement.html#opinion05 →の「障害学の主張」の第5章にも。
■「未完の〈障害者文化〉─横塚晃一の思想と身体─」倉本智明 1997 http://www.arsvi.com/1990/971200kt.htm
フーコーによれば、「狂気」とはそこにそれを見い出し、排除しようとするところにのみ存在するものである。
(ミッシェル・フーコー,1975,『狂気の歴史──古典主義時代における』田村俶(訳),新潮社.)
横塚晃一『母よ!殺すな(増補版)』すずさわ書店1981,p.95「障害者は一般社会へ融け込もうという気持ちが強い。それは『健全者』への憧れということだが、君達が考える程この社会も、健全者といわれるものもそんなに素晴らしいものではない。それが証拠に現に障害者を差別し、弾き出しているではないか。健全者の社会へ入ろうという姿勢をとればとる程、差別され弾き出されるのだ。だから今の社会を問い返し、変えていく為に敢えて今の社会に背を向けていこうではないか。」  
■横塚晃一(1935−1978) http://www.arsvi.com/0w/yktkkuic.htm
■横田弘(1933−  ) http://www.arsvi.com/0w/ykthrs.htm
■青い芝の会神奈川県連合会 http://www.arsvi.com/0d/askk.htm
■『否定されるいのちからの問い―脳性マヒ者として生きて 横田弘対談集』現代書館 ¥2,310(税込) 2004/01←最新刊!
 横田 弘(著),原田 正樹(著),長谷川 律子(著),立岩 真也(著),米津 知子(著),金 満里(著)  
 「青い芝の会」のリーダーの一人・横田弘が5人と対談。
■全国障害者解放運動連絡会議(全障連)1975.12.14全国代表者会議 1976年8月8日結成大会 http://www.arsvi.com/0d/zsr.htm
 1979.3に全国青い芝の会総連合会の脱退宣言。
 [理由]青い芝思想を基調とする五つの項目からある行動綱領が第3回大会で決定されなかったこと、
     CP者を無視し健全者ペースになっている、正当でない行動綱領作成委員会を設置、など。
 第3回大会以後,青い芝の会の半数近くが実質的に参加しなくなる。
 ただし、テーマにより、抗議行動などを共闘するときもある。
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■ビデオの解説はこちら
…1970年代初頭、世間には国論を二分した'70年安保闘争の熱気が残存し、けだるい敗北の総括がひとびとの表情をかすめていた。その時代を突っ切るように、ひとびとが予想もしなかった地平から、「人間の権利と解放」の旗を掲げ、障害者市民運動が登場したのだった。その動きは、障害者市民自身にとどまらず、多くのひとびとの「人間の権利と解放」の運動へと広がっていった。…(『カニは横に歩く』ビデオ添付の解説の紙より。)

★『さようならCP』 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005HRCI/250-2276401-7280230
1972年 82分モノクロ (『ゆきゆきて、神軍』(1987年)の原一男の監督第1作目。)
・CPとは、脳性麻痺"Cerebral Palsy"の頭文字。社会の片隅でひっそりと暮らすことを拒否し、あえて不自由な体をさらして街頭行動を起こして人々に主張する道を選んだCP者団体「青い芝の会」。その急進的活動の姿に残酷なまでに正面から迫った意欲作である。「CP(障害者)=健全者という関係の共通項が身体の階級性にあり私自身の〈関係の変革〉というテーマをベースにして、被写体=演じる者を、撮る側にどこまで見ることに耐えられるかを賭けてみたかった」(原一男)
・DVD 2000年12月22日発売 4935円(税込) 22%off3,849円→ http://direct.nagase.co.jp/dvds/ItemPIBD-7017.html
・VHSビデオ 2000年10月発売 4,935円(税込) http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4523215000253.html
・レンタルビデオ 最寄りのお店へ→ http://www.tsutaya.co.jp/item/movie/view_v.zhtml?pdid=10015019
――製作、フィルム貸出、上映会、ビデオ・DVD販売元:疾走プロダクション http://www.shisso.com/filmgraphy.htm
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★『カニは横に歩く』 http://www.hi-ho.ne.jp/soyokaze/kaniyoko.htm
1972年 「カニは横に歩く」制作実行委員会 モノクロ・1時間10分
・青い芝の会関西連合会が結成されるはるか以前、閉ざされた日常との決別を目前にして、重度脳性マヒ者たちが街に身体をさらし、ことばを放つ。関西における障害者解放運動の先駆をなした群像の記録。映画『さようならCP』に触発された、自己肯定への大きな歩みが始まった。『カニは横に歩く』は、歴史的な記録を残すという意味でビデオ化に踏み切りましたが、画質、音質ともかなり劣化しています。その点、ご了承ください。【写真】Sさんは疾走する車を眼下にしながら、ひとり歩道橋をのぼっていく。「これがオレの歩く手法なのだ」。

★『何色の世界―ある在日朝鮮人障害者の証言』 http://www.hi-ho.ne.jp/soyokaze/naniiro.htm
1975年 障害者問題資料センターりぼん社 カラー・1時間12分
 主演/金 満里  音楽/金 紅珠(金 満里の母)  制作スタッフ/松本 徳彦/河野 秀忠
〈協力〉関西青い芝の会連合会/自立障害者集団グループ・リボン連合会/
     (自立障害者集団支援)友人組織関西グループ・ゴリラ連合会/大阪・兵庫「障害者」教育研究会
・不安としがらみの海を渡って「自立生活」を始めたある女性障害者。24時間介護を必要とする彼女が、在日という過去と現在を背景にして見据える社会はどんな色彩をおびているだろう。
 
★『ふたつの地平線―養護学校はもういやだ』 http://www.hi-ho.ne.jp/soyokaze/futatu.htm
1977年 障害者問題資料センターりぼん社 カラー・1時間22分
 監督/河野 秀忠  演出/木下 順 音楽/高木 たかし  カメラ/松本 徳彦
詩「センターを占拠した」青い芝の会/芝 充世  「力の限りたたかって」芝 充世
歌「川が私を呼んでいる」芝 充世/高木 たかし  「文部省へ」芝 充世/高木 たかし
ナレーター/芝 充世
・教育が与え、奪ったものは何か。車いすのバス乗車を拒否し、障害者を自殺に追いやる社会。'79年養護学校義務制化を前に、障害者の闘いが始まる。「どの子も地域の学校へ」。【写真】1977年4月12日昼過ぎ、神奈川県の川崎駅頭に全国から青い芝の会会員が集まった。障害者たちがバスに乗車すると、以前から車いすでの乗車を拒否していたバス会社は他の乗客をバスから降ろし、バスの運行を中止した。川崎駅頭は、車いすの障害者を乗せたまま動かないバスで埋まる。障害者解放運動の歴史に名高い「川崎バス闘争」である。動かないバスの窓からハンドマイクを突き出し、市民の理解を訴える全国青い芝の会メンバー。労働組合の幹部と称する通行人が、障害者を指し、「これを片づけろ」と私達に迫った時の、私達の労働組合運動に対する暗たんたる気持ちを誰が推し測ってくれるのでしょうか。くそ!
------------郵便振込口座 00940−0−86109 障害者問題資料センター りぼん社------------
            http://www.hi-ho.ne.jp/soyokaze/video.htm
 3本の映画については、映像技術や“芸術”としての評価はさまざまですが、障害者運動が日本脳性マヒ者協会青い芝の会などを中心に大きな社会的影響力を保持するに至った、その高揚期の記録として貴重なものであることは間違いあり ません。そこで、きちんと記録として残しておくと同時に、多くの人に手軽に観ていただくために、ビデオ化することにいたしました。(VHS)
 私たちは、制作後20数年を経たこれらの映画が、登場者と社会的背景を共有する“団塊の世代”の人たちだけでなく、若い世代に属する人たちの目に止まることを願っています。映画の背景をなす'70年代の“熱”は、決して「そんな時代」として過去に押しやられるものではなく、現在の閉塞と諦めへのメッセージとして、依然エネルギーを持ち続けていると信じるからです。ぜひ3本のビデオを“熱く”迎えてください。   障害者問題資料センター りぼん社
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★記録映画1979年『養護学校はあかんねん!79-1-26〜31 文部省糾弾連続闘争より』長征社制作 
監督/大石十三夫・山邨伸貴 http://www.phoenix-c.or.jp/~takayan/documents/essay/2003/0723.html#essay12  
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【これらの映画のできた状況・経過・背景】
■「健常者として障害者介護に関わるということ―1970年代障害者解放運動における健全者運動の思想を中心に―」
報告者:淑徳大学社会学部 山下幸子   日本社会福祉学会第51回全国大会(2003年10月13日)
http://www.arsvi.com/2000/031013ys.htm より一部要約。

健全者運動は、自身の生活が障害者差別の温床だということを自覚したうえで、
そのような社会を作り上げてきた構造とは何かという問題に焦点化し、
そのなかで障害者と共闘。
当時の運動の思想や実践には、現在においても重要な提起が含まれている。

1972年当時の重度障害者は、施設入所あるいは親元での在宅生活しかなく、風呂に何年間も入れない、
家族から疎まれる、外出に非常な不安を抱える親そして障害者本人の姿。親元や病院、施設のみの中で、
人間性を無視され、社会存在を自覚する機会をもたなくなるところまで社会的存在を奪い尽くされてきた。
(今もたいして変わっていない。あるいは一時進歩したときがあったとしても、
今また逆コースをどんどん取らされている。
ニュースの片隅に、障害を持つわが子を殺す親の事件や、障害者への差別・いじめは、あとを絶たない。
しかも今は障害者自身の団体さえもがその排除・無視の側になっている!そしてまた、反戦団体も。)
 年譜--------------------------
1972年、青い芝の会の主張から、映画『さようならCP』が完成。
青い芝の会のメンバーはこのフィルムをもち、全国各地で上映会と上映後の討論会を行っていった。

1972年7月、『さようならCP』関西上映実行委員会結成。
1972年12月、兵庫県姫路市、上映集会、障害者たち「自立障害者集団・姫路グループリボン」結成。
1973年2月、大阪「自立障害者集団・大阪グループリボン」結成。
1973年2月、グループリボンから介護・友人グループ「自立障害者集団友人組織グループゴリラ」結成。
      大阪をはじめ、その後、兵庫、和歌山、奈良。
1973年4月、「大阪青い芝の会」結成。脳性マヒ者の多くはグループリボンにも青い芝の会にも関わっていく。
1974年11月、関西地区のグループゴリラ結集「自立障害者集団友人組織・関西グループゴリラ」結成。
      在宅障害者訪問、行動保障、自立障害者介護を中心に行ない、「街へ出よう、運動に参加しよう」
      と訴えていった。
1975年、金満里が関西初の重度障害者自立生活開始。その24時間介護をグループゴリラが中心となって担っていった。
  ※障害者の自立生活運動は、生産性や効率性が重んじられる社会のなかで、障害者ペースを貫き通すことは、
   障害者にとっては大きな「挑戦」であり、既存の社会に対する「異議申し立て」でもある。
  ※グループゴリラの活動、そして青い芝の会との関わりから、健常者は障害者との厳然たる立場の違いを実感する。
   それは健常者である自分自身を棚上げした考えではない。
   健常者である自分自身のこれまでの生活やその価値観のなかに、障害者差別の思想が根付いていることを
   知るのである。
   つまり、すべての価値基準が健常者ペースで構築されており、その価値基準が具体的な力となって
   障害者を排除してきたことを、日々の介護や在宅障害者との出会いによって気づいていくのである。
   その価値基準を、まったく意識することなく生活を営んできたこれまでの自己を捉えなおす運動が、
   グループゴリラをはじめとする健全者運動であった。
  ※障害者と四六時中付き合うことは、健常者にとっては
   「非日常の存在としての障害者が、我々健全者の日常にズカズカと入り込み、その日常性が破壊されて」
   いくことになる。
  ※“この日常性の破壊”という経験があって初めて、障害者の日常を健常者社会の日常のなかで捉えなおしていく
   ことが可能となる。そしてその健常者中心社会のペースに疑問をもち社会変革を志向していく。
   この思想が、障害者と健常者が共闘してゆける可能性を開いていくのである!
  ★「差別者」としての己を変革し、「殺人者」としての己れを変革していこうとする、我々の根本的な姿勢を
   示すものである(障害者解放をめざす講座―関西実行委員会1976:5)。
1977年10月17日、「緊急アピール」関西青い芝の会、関西グループゴリラ、障害者情報センターりぼん社の各代表によって提出を契機に混迷を極める。そこには、障害者のランクづけを行う健常者の実態、障害者と健常者との馴れ合い、一部の人間による運動の私有化が明記されており、この緊急アピールを期に関西各地の健全者運動は解散に至っている(大阪、奈良を除く)。
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障害者を無力化してしまう社会があり、その社会によって構築された健常者がいる。社会を変革していく闘いと、その社会のなかで安寧としている自身を問い直す闘いを行っていくこと…。
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【関連事項】 金満里のその後
※金満里>WHO→ http://www.arsvi.com/0w/kmmnr.htm  http://www.arsvi.com/0n/taihen.htm
 1953年大阪生まれ。在日の二世。3歳の時ポリオに罹り、7才〜17才まで施設「大阪市立中津整枝学院」入所、
 その隔離収容政策の苦痛と残酷性→「我が原点としての施設」 http://www.ne.jp/asahi/imaju/taihen/kim/social-1.html
 1975年21歳〜 自立生活、(24才から29才ぐらいまでをいろんなものが絡まって先に進めない、
 という時期→ http://www.ne.jp/asahi/imaju/taihen/kim/ARU2.html そのあと母親の家へ戻り障害者運動から遠ざかる。)
 81年ぶっとばせ'81コンサートを企画、1983年〜「劇団態変」を主宰。一児の母。〜詳しくは自伝「生きることのはじまり」を。
 2003年から徹底非暴力の反戦運動、実行中。
※金満里(著)半生の記録『生きることのはじまり』ちくまプリマーブックス(103) 筑摩書房 1996/08 ¥1,155 (税込)
※劇団「態変(たいへん)」 http://www.asahi-net.or.jp/~tj2m-snjy/jtop.html …脳性まひの人とポリオの人の劇団。
※劇団態変:演劇『マハラバ伝説』2001〜 上のほう参照。青い芝の原点を描く。
 その芝居には他の芝居にはない価値の転倒、「ヒューマニズムなんか否定する」と大きな声で言える日はもうすぐだ。
 http://www.asahi-net.or.jp/~tj2m-snjy/maha/maha0202.html#NISHIMURA
★劇団態変・東京公演・2004年12月9日〜12日 http://www.asahi-net.or.jp/~tj2m-snjy/kikyou/k.html
 2004新作『帰郷-ここが異郷だったのだ』(『マハラバ伝説』'01、『碧天彷徨』'03に続く、三部作完結編!)前売り中!
※劇団態変情報誌「IMAJU」(イマージュ) http://www.asahi-net.or.jp/~tj2m-snjy/imaju/backnumber.htm
 過去の号での対談…原一男監督・燐光群の坂手洋二・モノノケサミット中川敬・沖縄の知念ウシ・平田オリザ・三上寛など。
★金満里「劇団態変」による反戦演劇とデモ行進の映像が、パソコンでストリーミング・ビデオで見られます。
 2003年3月2日 大阪市東淀川区「表現する 徹底非暴力の反戦」(8分30秒)
 ビデオアクトのページ→ http://homepage3.nifty.com/atsukoba/vact/war/ その右側を下のほうへスクロール。
 『ワールド・ピース・ナウ−2003年 春−』の下のほう。
※金満里「我ら表現者は戦争放棄・徹底非暴力の道を往く」反戦企画のページより(2003.3/29〜  )日々更新中〜(一部抜粋)
http://www.ne.jp/asahi/imaju/taihen/kim/hansen-01.html##1 2003.3/2「表現する徹底非暴力の反戦」は感激的でした。(略)「箕面チャンゴの会」プンムルという韓国の芸能で練り歩き。態変稽古場「メタモル・ホール」で私も含め身体パフォーマンス。(略) 3/20とうとう米国は空爆開始。3/22米国領事館前、抗議行動。3/29ピースウォーク。韓国青年同盟の若い女の子の声でアピールは続く。朝鮮戦争時に、朝鮮半島で米国が行ったことは、チョコレートやキャンディーをばらまきそれに群がった子供達を、一斉に自動小銃で打ち殺すことや妊婦のお腹を引き裂き殺したこと、を自分達は忘れない。米国は絶対に友軍なんかではない事を自分達は知っている。日本がどういう立場に立つかで、今後の米国の、非常に重要な国際的なカギを握っていることを考えてくれ、という悲痛に満ちた叫びであった。今の日本の現実の中では想像もできない、もう一つの戦争という現実が確実に同時進行に進んでいて、実感とは別次元で迫ってきているというリアリティーである。4/13大阪などは市と府の2つの議会の議員選挙です。私は在日コリアンとして、選挙権が日本にも韓国にもありません。
http://www.ne.jp/asahi/imaju/taihen/kim/hansen-06.html##6 5/3・4 旧「らい病」、現「元ハンセン病」となったが、私は今も当の友達の間ではらい病と言い合っている。(略)そして、随分とこの友人は私が連れていったメンバーの手応えにはご不満なようで、喧嘩を仕掛けるはで、それはそれで非常に面白かった。それ程、突きつけ合いを求める、昔の左翼運動、特に障害者運動にありがちな<徹底的で妥協無しの関係性の構築>を久々に味わう濃さ、であった。
http://www.asahi-net.or.jp/~tj2m-snjy/meta/antiwar/aw.html#aw4 2003年9月20日 講演とシンポジウムでさぐる「未来志向の日本・韓国・在日コリアの関係」@メタモルホール  青柳優子  北川れん子  金満里
私は、私が態変を立ち上げる前に、社会的な立場としての運動から始めそれは障害者運動であった。世の中に当たり前に障害者が自立すると言う概念自体の無い時代に、街中に車椅子で出ること事態が許されない公然と駅員などが「人の迷惑を考えろ」と言って憚らない差別の社会通念を、「それはおかしい」と喧嘩しながら変えてきた。しかし在日コリアンとしては、そう言った差別が今まで、私の上には見えにくいことであった。しかし、イラクへの米国の戦争以来、日本はどう進むのか、を考える時に韓国との関係と私達在日コリアンの立場はこれからどうなるのか、と考えるようになりようやく在日コリアンが日本社会へ物言わない状態ではいけないと、はっきりと意識し出している。
  (……さらに延々とつづく。)
※金満里の個人ページ「金満里の庭」 http://www.ne.jp/asahi/imaju/taihen/kim/index.htm
 「プリーモ・レーヴィ」1〜3(03.3.20)徐京植の報告 http://www.ne.jp/asahi/imaju/taihen/kim/art-1.html
 障害者もガス室に送られたあのアウシュビッツという大量殺戮隔離施設…
★金満里ビデオVHS45分「ウリ・オモニ」1998年 http://www2.osk.3web.ne.jp/~akamev/
 制作・著作:劇団態変/製作:ビデオ工房AKAME L価格10000円 高いけど発売中!
 障害者たちが構成する劇団態変を率いてきた金満里さんの1人舞台の記録。
 1998年に他界した母(韓国の古典芸術の至宝と言われた)金紅珠(キム・ホンジュ)に捧げるオマージュ。
 世界的に有名な舞踏家の大野一雄氏の監修を得て作った舞台「ウリ・オモニ」。韓国語で「わたしのお母さん」。
 http://www.asahi-net.or.jp/~tj2m-snjy/omoni/omoni.htm
※『私は女』岸田 美智子,金満里(編) 長征社 1995/04 ¥2,520 (税込)
 脳性まひ、進行性筋ジストロフィー、ポリオなど重度の障害をもつ女たち、編者2人を含めた21人が、はじめて語った自らの生と性。  
 1984年刊に、11年たった今の彼女たち女性重度障害者21人の証言集。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【ご参考・出版物資料】
■障害学?の本 http://www.arsvi.com/0w/ts02/2003002.htm
『障害学への招待──社会,文化,ディスアビリティ』石川准・長瀬修編 1999,明石書店,328p.,2800円
『障害学の主張』石川准・倉本智明編 2002,明石書店,294p.,2600円
「(略)乙武は先天性四肢切断症で(中略)すこし慣れるとそう異形の者という感じはしなくなる。過剰なものはない。むしろ「普通」の人から手足を引いて、そしてさっぱりさせた感じだ。これは例えば脊髄損傷等の中途障害で車椅子に乗っている人が、やはり「普通」の人が車椅子に乗っているだけという感じであるのにも似ている。(中略)乙武がその意味で現代の社会の価値を脅かすことにならない。ドラマなどでも出てくる人はたいていそういう人たちだ。脳性まひで身体がそっくり返っていたり、捻じ曲がっていたりしている人は登場しない。また、役者が真似しようと思ってもできないところがある。そのような部分はどうなるのだろう。広く受けはしなかったが、むしろそこにこだわったというか、その部分を押し出したというか、そんな人たちが実はいた。(※青い芝のこと)それはどういうことだ。(後略)」(立岩真也) 
■『戦前戦後障害者運動史年表──戦前戦後障害者運動と関係法制』著者・杉本章 掲載年代1868年から2000年。
定価1300円+税(送料別) 2001年11月2日発行 B5版120ページ 編集人 ノーマライゼーション・Nプランニング
『障害者はどう生きてきたか――戦前戦後障害者運動史』杉本章・著 3000円 と対になる労作。
http://homepage3.nifty.com/epoepo/books.htm#−日本の障害者運動− 
↑申し込み先「EPOエンパワメント・プランニング協会」
正会員研究者 杉本章(賢明女子学院短期大学教授/元NHK福祉番組ディレクター)助言者:辛淑玉
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【'70年安保闘争の熱気の一例】
 
「1969東京大学・安田砦の攻防戦」 http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/tousou.htm
(――1968年1月29日の東京大学医学生自治会と青医連による登録医制度導入反対の無期限ストに端を発した東大闘争は、全国の大学闘争の拠点となり、ベトナム反戦・安保粉砕・闘争勝利の歴史的なうねりを巻き起こしていった。安田講堂は解放講堂となっていった。自由と抵抗と反戦のために! http://members.at.infoseek.co.jp/historie/
 ♪起(た)て同胞(はらから)よ 行(ゆ)け闘いに 聖なる血にまみれよ 砦の上に我らが世界 築き固めよ勇ましく♪  
   http://members.at.infoseek.co.jp/historie/aa1.html  
一年後1969年1月18日、東大安田講堂を占拠しつづけていた学生に、大学執行部は、機動隊8500人を導入し、封鎖中の校舎を次々に解体、放水や催涙ガスなどで攻撃。学生約500人が安田講堂に立て篭もり、火炎ビンや投石などで激しく抵抗、翌19日の夜まで35時間にわたって激しい攻防戦が繰り広げられた。300人以上が逮捕され、重軽傷者76人を含む多数の負傷者を出した。―――)

★「我々の闘いは勝利だった。全国の学生、市民、労働者の皆さん、我々の闘いは決して終わったのではなく、我々に代わって闘う同志の諸君が、再び解放講堂から時計台放送を行う日まで、 この放送を中止します。」東大全学学生解放戦線 1969年1月19日午後5時50分

■安田講堂1969/1/18〜19闘争が切り開いた全国学園闘争■ 
安田講堂防衛隊長 今井 澄(きよし)(東大医共闘/全闘連/全共闘)
 全文は→ http://zenkyoto68.tripod.com/imaik02.htm (一部抜粋)

(略)…戦後二十数年の問に、ただひたすら、支配階級の支配を平和的に貫徹するための手段、多数によって少数を圧殺するというおきまりの儀式と化した議会制民主主義は、人民の生活と権利を守るものとは全く縁もゆかりもないものになってしまった。議会制民主主義を軸とする「平和と民主主義」の思想は、形式民主主義を通して平和的に歴史の変革へのエネルギーを圧殺する以外の何物でもなくなってしまった。そしてまた、戦後民主主義への破産宣告は、同時に「進歩的」「民主的」学者・文化人への訣別をも意味した。彼らは、ブルジョア支配の補完物としてエセ民主主義や「進歩」の幻想を振り撒くことによって、人民の闘争の牙を抜いて来たのであった。

1・18〜19闘争は、このように、…(中略)闘いの中から新たなる秩序=権カの創出を提出した。それは、…(中略)既成秩序の破壊以外の何ものでもなく、そのことによってもたらされる混乱は、ブルジョアジーによる階級支配の貫徹が困難となることをのみ意味する。そして、かかる混乱はやがて新しい人民による人民のための秩序が拡大し、それをもって収拾されるための前提に他ならない。このような既成秩序の破壊は、既成秩序の中にがっちりと組み込まれている人民の叛乱によって行なわれるのであるが、それは、その叛乱に決起する個人個人にとってみれば、日常性からの脱却に他ならない。既成秩序の破壊は、当然にも、その秩序を是とする価値観の否定、破壊抜きにはあり得ない。秩序維持によって守られていた幾千万の神話の破壊である。いわく、市民生活の安全、平和、繁栄、進歩、向上・・・とりわけコンピューター革命等が云々される現代にあっては、「科学技術の発展が人間社会の進歩をもたらす」という神話が根底から破壊されねばならない。…(中略)…

そして、労働者階級を先頭とする人民の闘争の戦列に加わるという輝かしい人生を示してくれる。我々の闘争は、既成秩序を温存し、とりわけ、自己の日常生活を温存したまま進められるものと考えない。かつて、闘争は、ある日、ある時、街頭に出、中央諸官庁にデ
モを行なうという形で闘われた。学生のストライキ闘争も、大学における日常的な教育・研究をほんの一時期中断するだけのものでしかなかったし、労働者のストライキ闘争も似たりよったりのものだった。つまり、かつての闘争は、ブルジョア的な日常性と日常性の間をつめるような形で闘われていたにすぎないと言っても過言ではない。このような闘争は、「平和と民主主義を守る」という観点から、それを侵害しようとする政府支配層に反撃を加え、侵害を断念させるという闘いであって、つまり、ブルジョア秩序を守るものであって、既存の秩序そのものを支配階級の秩序としてとらえ得ていなかったのである。さらに、このような闘争は、せいぜいのところ、政府支配層のある政策の貫徹を阻止し、そのことを通じて、ブルジョア支配の貫徹を困難ならしめ、その結果としての支配秩序の一時的混乱を期待するといったようなものであつた。…(中略)…

階級闘争が闘われるとき、革命的あるいは進歩的な理論があるとすれば、それは決して机上の研究から生まれたものではないのである。それらは階級闘争が自らの中から生み出すものであり、学者あるいはインテリゲンチャとの関係で言えば、彼等を階級闘争の真只中に引き込んで、はじめて彼らの理論的活動を階級的なものと成し得るのである。…(中略)…

我々は我々の日々の生活の場に戦場を設定したのである。我々の日々の生活の場を支配階級に制圧されるのか、我々自身が支配するのかと言いたい。退くことも中断することもできない遊撃戦が始まったのである。このような闘争は苦しい。…(中略)我々は、何よりも支配階級に対して、怒りと憎しみの炎をますます高く燃え立たせているのだということを彼等は思い知るであろう。
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※今井澄なんてのは、その後、医師になったあと社会党から国会議員(参院)になり、社民党へ分裂のとき、よりにもよって民主党へ行き、議員にしがみついたクソヤロウだと言ってしまえば、上の言説はすべて否定・無視・排除できるだろうね。そんなことはどうでも良い。肝心なのは上記の文の内容だ。あの安田砦の攻防戦の真っ只中で培(つちか)われた感覚だ。誰かが言いたそうなこと→「国会議員もやられて、地域医療にも親身に取り組まれた偉い先生をそんなふうに言うものじゃないよ」。そういう権威追随主義がイヤだと言っているのだ。そんなことを言うのなら、今の民主党を正当化できるのか?今井澄氏は2002年9月1日、享年62歳で亡くなった。合掌。過去の時代の空気が受け継がれていなくて、今の空気に窒息しそう…。

★日常性からの脱却! ★価値観の否定! ★既存秩序は支配秩序! ★既成秩序の破壊! ★人民の叛乱! 
★既成秩序維持によって守られていた幾千万の神話を破壊せよ!  
★自己の日常生活を温存したまま進められるものと考えない!
  http://www.linkclub.or.jp/~monet/syaka2.html
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【手ポリオあとがき】
 私は、今の反戦運動のほとんどが目指すような社会――おとなしく、おだやかな、従順な、明るく楽しいだけの世界、そんなのが身震いするほど、イヤなのです。むしずが走る。恐るべき抑圧社会。みなさん、そういうことをなんとも思わないらしい。ほぼ完全に飼いならされた羊の群れ。そうされている自覚もないのがその証拠。そんな反戦運動・福祉運動に参加するほど、自分のイヤな社会を作ってしまう。
 もちろん、ブッシュ、コイズミらのような直接間接、軍事力・経済力・能力・効率などで世の中を治める社会は一番イヤですが、どっちもイヤなのです。と言うか、それらは裏と表の関係で、実は同一のもののようなのです。
 暗さや、怒りや、ねたみや、ひがみや、うらみなどを出せる社会、人間の心の葛藤を言える社会、そういうことを出しても暴力にならずに、わかり合える社会、弱みをさらけ出しても突け込まれず変な目で見られず屈服させられない社会、…うまく言えないが、そういうふうがいい。ネクラとか、ウザイとか、ダサイとか、シツコイとかの中にこそ、人間の気持ちの真実があると思う。それをうんと暗く出せてからの明るさならまだわかる。
 今は、相談とかカウンセリングとか言って、話を聞くふりをして、そういう気持ちを押さえ込まされ、明るさを押し付けられる。目先の解決だけにさせられ、根本的なことは何もしない。そういうカウンセリング自体のあり方がイヤだと、カウンセラーに言ったらどうなると思いますか?精神科も同様です。
 怒りやひがみを言うにしても、上の者や世間がお膳立てしてくれたことにお膳立てのワクの中で怒ったりさせられるのではなく、上の者や世間に都合の悪いことに向かって、都合の悪いやり方で、怒らなければ、怒りの意味がない。
 だから、私はわざと言葉使いは汚くします。「礼儀を守ってお行儀よく道徳的な言葉で怒る」なんてのは、もうそれ自体で、怒りではない。そういうやり方自体に怒っているのです。しかし怒りを出さすと、みんな引いてしまう。だから、どこへも行かなくなったのです。
 私は'60〜70年代の大学紛争も反戦運動も障害者運動も何も知りませんが、そのころの感じを取り戻したいと思ってた。'68年ごろを参考にしても失敗するよと言われるかもしれないが、『革命的な、あまりに革命的な――「1968年の革命」史論』スガ(←糸へんに圭という字)秀実 http://www.tssplaza.co.jp/sakuhinsha/book/junk.htm などというものもある。そんなものはあとで「太陽肛門スパパーン♪」から見つけたのだが、そういうのを見る前から思ってた。障害者解放運動は、学生運動の'60年代に起きたことが'70年代に来た。私には当時の歴史的文脈をリアル・タイムで知るということはできないけれど、何も知らずに運動をするよりも、後追いでも調べてその気構えを知って、失敗をしても嫌われても挑戦していきたいのに、そういうことにあまりにもふれなさ過ぎる。青い芝の脳性まひの人たちは、かつて、そういうことを考え実践していた。マハラバ村、バス斗争、和歌山の自殺、養護学校や施設ではなく普通学校へ、地元で自立生活を、などなど…。それを「世間の空気」がつぶしたのだ。仲間であるはずの障害者や支援者までもが、その「世間の空気」の側につき、安易な処世術・世渡りをするために、本当の焦点から逃げたからだ。'70年代運動は失敗したのではない。むしろ今も生き続けている。その後に、別の者たちが一部おいしいところだけを、アメリカの権威を借りて取り入れる…。とっくの昔に独自に日本で、青い芝の人たちがやっていたことを否定するような言説をして、世間の目に合うような、やわいとこだけ取り入れて、最も肝心な理念・五つの綱領を取り入れない。世間の目に合わせようとするな。卑怯なやり方だ。「われらは、愛と正義を否定する・・・」。ここが肝心だ。それ以後も、愛と正義の名において、抹殺されているからだ。それは、障害者だけのことではない。イラクでチェチェンでアフガンでパレスチナで中南米でビアフラでアフリカで、また、朝鮮人に向けて、そして、日本国内やアメリカなどでもだ。福祉運動と反戦運動とは、リンクさせねばならない。今!
 障害の有無には限らないが、そういう私のような感覚だと、今の日常社会自体が、奥崎謙三さんの戦場の続きの日常のような気がする。感情を出すこと、特に、偉い者へ直接の「怒り」をぶつけることを、無言の周囲の圧力で、禁止されているわけでもないように見えて禁止される。そのお膳立てのところから変えていかなければ、今の反戦や福祉運動は……ソイレント・グリーンは人肉だ……狂っている・いないって、何?…っ。
 なお、今回の文章は、青い芝の会などの1970年代・障害者解放運動と反戦運動について調べたかったので、障害者運動の全体像やその他の差別問題などは除きました。別な形で調べたいとは思う。
 障害者問題と部落問題と在日朝鮮人問題とは連携していた。それだけでなく、<シンポジウム「差別の100年を問う」を振り返って> http://www.jinken.ne.jp/ に書いてあるように、ハンセン病やそのほかあらゆる差別の問題にまで連携して踏み込んで、運動を担う人たちと手を携えて行くようにもなるべきだ。そしてすべての根っ子は、反戦運動につなげていくべきだと思うのです。一つ一つのいろんな運動には課題や専門性など違いはあれど、すべて反戦・反優生思想という基盤ではつながるはず。さらにその他の労働問題や市民運動・環境問題などさまざまなことにも、通底するものがあるはず。それがほとんどバラバラで、さらに同じ対象の運動でも政党や団体・組織で別々になり、つながろうとしない。それに、運動している人たちは、今の現状を変えたい人たちなのに、今の自分の生活はそのままの価値基準を保ったまま運動を進めることもおかしなことだ。今、こんなに戦争反対をせねばならないときに、これらの根底を結びつけて、反戦に結集すべき時なのだと思うのに、どこでも目先の対応・生活防衛ばかりで、まるで聞く耳持たずで排除される。そして道徳・礼儀だのお説教ばかり。だから、共産党やその他への悪口もどんどん言わねばならなくなるのだ。自分たちに都合の悪い歴史を隠蔽し、批判を封じ、世間受けをねらい偽善を装おうとする、これらは、まるっきり、ブッシュやコイズミらと同じではないか。そういうことも言えないで、何が反戦か!
 それを変えるためには、そういう意味での、精神的状況として、いま、『ゆきゆきて、神軍』になるとき。[手ポリオこと近藤和也]

★『ゆきゆきて、神軍』1987年 監督/原一男 122分 神軍平等兵・奥崎謙三 …DVD、VHS、発売&レンタル中。 
http://result.gr.jp/cinecinedan/yukiyukite.html
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD17864/story.html
血しぶき映画や全国映画のしらじらしさは、この「ゆきゆきて、神軍」の打ちのめすようなドキュメンタリーの暗黒の前には態をなさないだろう。イデオロギーとかテーマ性を云々する前に、このおろかしく悲惨な人間という生きものを描き出した企画と、監督はじめスタッフに心から敬意を表する。
(手塚治虫『キネマ旬報』87年8月下旬号「観たり撮ったり映したり」より。)
http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/cinema/singun.html

♪青く果てない 空の下 いばらの道を 踏みこえて これも 世のため? 人のため〜?
 とぼけちゃいけねえ 知ってるぜ おまえら み〜んな ホゲタラだ ホゲホゲ タラタラ ホゲタラポン!♪
…「どろろ」の中で 戦乱の果てに 弟や父を殺さねばならなくなり 母への思慕もある自分を 駄目な存在だと嘆く百鬼丸に向かって 盲目の琵琶法師が 戦災孤児の障害児たちを養う中で 諭した時のセリフ
   「この子たちゃ この村の生き残りだよ・・
    手のねえ子 足のねえ子 目のねえ子 焼けただれた子
    この子達は気の毒だ 誰もかまっちゃくれねえんだ
    だがよ みなせえよ この子達が どんなに一生懸命生きようと 頑張ってるかを・・
    おまえさんは 何処が悪いかしらねえが 妖怪が取っついてるか しらねえが
    それだけ 育って来られたんだ 何故 一人で頑張ってみねえんだい?」

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