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(回答先: 陰謀論とオカルトは表裏一体 2004/5/13 ー肯定論 投稿者 乃依 日時 2004 年 10 月 10 日 23:19:00)
>乃衣さん
ホームページを拝見させて頂きました。前からある程度の予想はしていましたが今回あらためて予想が正しかった事を知りました。(汗)
さて、実は乃衣さんについてはKよりオカルト系について深い知識がありそうだと認識していますので避けたいのが実感なのですが、ここまで危険思想を書かれてしまうと少々反論したくなってしまいます。
・・・で、無謀にもこのレスを付ける訳です。ただ、おそらく、Kの「憑き物落とし」は乃衣さんには効果が無いと思います。その場合「逃げる」と最初から断っておきます。
乃衣さんの論ですが、正直言ってたいしたものです。理論の構成、展開も確かなものを感じさせます。普通ならば脱帽です。確かに
【陰謀論を突き詰めていくと、必ず超越した存在というオカルトの分野に踏み込み、逆にオカルトを突き詰めていくと陰謀論に触れざるを得ない。】
と言う事はあります。しかし、陰謀もオカルトも「ある。と言う事が実証されるまでは『主観』である事」を落とされています。
それぞれ、他の分野に踏み込み、触れざるおえなくなるのは「あやしい」からなのです。言い換えれば、他人の構築した(主観的な)あやしい理論に頼らなければ、主張される理論構成が成り立たない事が多いと言う事です。
乃衣さんは基本的に「既存の情報(否定論も含めて)に注意して、自らの判断、考察を行う」事を勧めています。それは普通においては正しい事です。先日Kもその事をしない人を注意する問題提起をしたばかりです。
しかし、「自らの判断、考察」は土台のしっかりしている実生活においては重要でしょうが、土台もあやふやな「主観によって構成されたオカルト世界」では危険です。
「主観」によって判断される場合、その憑き物を落とすには「確かな現実」が必要なのです。
例えば、野球の選手になれるといる妄想は「なれなかった現実」以外ではそう簡単に解けません。回りの者が「無謀だ!井の中の蛙だ!」と忠告しても妄想が強ければ(自分の出世を妬む陰謀)と受け取られるでしょう。
ところが、オカルト、陰謀系の妄想は「主観の間違えに気付かせる現実が無い」のです。実際には「ある現象が否定される事が証明」されても、もともと確固たる土台が無いので、別の「あやしい理論に変化」することになるので「現実が無いのと同じ」とする方がより正確な表現です。
乃衣さんは様々な考察で「真実の見極め方」を模索していますが、オカルト論についてはかなりの部分が「インチキか間違い」であることが証明されています。証明されていない事でもほとんどが「追認実験」が出来ないのが事実です。これは、「全てが情報操作による隠蔽」というのは行き過ぎた考えである事を意味し、それも認めないならば「主観のもたらす情報操作(これは愛とか恋とか生理的嫌悪感とか複雑です)に引っかかっている」事を意味します。
これの具体例が宗教における狂信者です。
勿論、国家には国家を問題無く治めるための「陰謀的情報操作」があり。現在の科学を絶対と思わせるための「真実の隠蔽工作」は存在するでしょう。ただし、裏に超国家レベルの陰謀集団など存在するとは思えません。
もしも、いると主張されるなら「何のためにどの程度の規模でどのようなメンバー構成」でそれが行われていると主張されるのでしょうか?そして「彼らはどのような手段で方針を決め情報交換」をおこなうのでしょう?
あるのは国家単位(一部に資本主義的の利益の共有化のために国家の協調もあるでしょうが)の国体の維持のための情報操作・隠蔽工作くらいでしょう。