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(回答先: 米紙「韓国、北の機嫌伺いに必死」 [朝鮮日報]【ニューヨークタイム紙】 投稿者 あっしら 日時 2004 年 9 月 07 日 23:29:52)
国家保安法が廃止されれば、韓国社会にどんなことが起こるだろうか。大統領、最高裁判所、憲法裁判所などの国家機関、執権党、野党、そして各種の社会団体が加勢した国家的大型論争に拡散している国家保安法改廃論議は、まさにこのような問いに対する回答から出発しなければならない。
国家保安法が廃止されても韓国社会には何も影響を及ぼさず、さらなる発展を成し遂げることができるとすれば、国家保安法は廃止されるべき法だ。反対に、国家保安法が廃止された後、韓国社会が背負いきれないような事態に発展するか、社会の安全が深刻に脅かされる可能性が大きいとすれば、国家保安法の核心条項は、どんな形態であれ維持しなければならない。
このような理想的観点から見れば、大統領が「(国家保安法は)鞘に入れて博物館に送らなければならない」、「国家保安法がなくなれば大韓民国は文明国家に発展することができる」、「国家保安法について法理的にばかり話してはならない」とし、この論争を感情的・政治的レベルで引っ張ろうとするのは、正道からはみ出したやり方だ。
とすれば、国家保安法が完全に廃止されれば、どんなことが起こるだろうか。韓国の国民が北朝鮮労働党に加入することを法的に阻止する手段がなくなる。韓国内では北朝鮮体制と主体思想を自由に伝播する行為も制裁できなくなる。テレビや新聞で金正日(キム・ジョンイル)総書記を褒め称える番組が放送され、記事が掲載されても仕方がなくなる。
大学の講義室をはじめ、ソウルの真ん中に主体思想研究所を設置し、学生たちに主体思想を学習させてもこれを阻止する手段がなくなる。全国の主な都市で一斉に人共旗(北朝鮮の国旗の名称)をはためかせ、北朝鮮の国歌が響き渡る中、金日成(キム・イルソン)の追慕集会が行われても警察はこれを阻止することもできなくなる。
在韓米軍撤退と連邦制統一を支持するデモが行われてもなす術がない。国家保安法がなくなれば、宋斗律(ソン・ドゥユル)氏が労働党・政治局候補委員であっても処罰することが難しくなる。
このようなことを許容し、放置しておいても、韓国社会に何事も起こらないとすれば、国家保安法の廃止は当然な時代的流れといえる。しかし韓国社会がこのような混乱を充分に消化することができ、国家がこのような状態でも、安保と経済発展を調和させていくことができると信じる人は多くはないだろう。
某日刊紙の世論調査でも「国家保安法を一部改正したり補完すべき」が66%、「そのままにしておくべき」が16%、「完全に廃止すべき」が14%となっている。さらに具体的に「自由民主主義体制の転覆の自由までは許容できないため廃止してはならない」という最高裁の判決を支持する国民が62%に、「保安法は独裁時代の古い遺物であるため廃止すべき」という大統領の発言を支持した28%の2倍を超えている。
事情がこうであれば大統領と与党は国家保安法改廃についての国民の見解をまず問い、論議の方向を決めるべきことであり、理念的レベルで目標を予め設定しておき国民をその方向に力ずくで持っていこうすべきことではない。
従って現在の国家保安法論争は国家保安法が韓国社会で持つ意味を熟考し、万が一現在でも国家保安法の存在意義が依然としてあるのであれば悪用の懸念がある条項をどのように変え、国家保安法の意味を生かしていける核心条項をどのような形態で維持していくべきかを論議する段階に進まなければならないのは当然である。
こうした合理的論議段階を無視し、大統領が感情的かつ政治的な言辞を使用しながらこの論争に首を突っ込み祖国統一汎民族連合の韓国側議長が「現在の国家保安法では裁判を受けたくない」とし、裁判を拒否する事態まで触発している。
政府と与党は国家保安法改廃論争がこうして軌道を逸脱し、公然としかも集団的に大韓民国の現行法を無力化しようとする無政府的性向を避けるため、今からでも国家保安法改廃論争を正常な軌道に復帰させなければならない。
国政に責任を負う政府と与党が正常な立法論議段階を踏まないまま大韓民国の現行法に対する冒涜と攻撃の先鋒に立つことは、誰が見ても正常だとは言えない。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/09/07/20040907000091.html