現在地 HOME > 掲示板 > Ψ空耳の丘Ψ36 > 841.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: 母性とフェミニズム 6(4) アマゾネスの陰謀 ( 『家族破壊』徳間書店、第三章 ) 投稿者 乃依 日時 2004 年 8 月 26 日 01:28:17)
一つ考えて欲しいのは、自分達は今自由に決定をしていると思っている、それは本当に自己の意思なのか?という事だ。
フェミニズムが伸張しているように見えるのと正反対の動きも同時に見受けられる。石原弟の神格化・細木の占いブーム。一見正反対の動きのように見えるが、実際はますます思想を管理されはじめて自然な生き方ができなくなってきているのではないか?
昔は大家族でみんなで子育てをした。隣近所でも付き合いがあった。今の子育ては密室で、どれだけ虐待があっても、勝手に胎児を遺棄しても分かりにくい世の中になっている。
姑・老親と同居するのは息苦しいかもしれないが、子育ての知恵もまた自然に学んだと思うのだが、今は母親が一人で抱え込んで、自己決定とか、産まない権利とか言っているのだ。実際に産まれたら、どうしていいか分からずノイローゼになるのだ。普通、女性は妊娠したら実家に戻る事が多いのだが、最近は違うと思う。一人で悩んで、一人で決定するのだ。非常に孤独である。
自由とか、自己決定とかいうのは、それだけでは実は非常に侘しいものだ。女性の意識が家族と切断され、心理的に実は引きこもっているのだが、いわゆる家に閉じこもった引き籠もりではないので、本人もきずかない。子供たちは決して両親だけではなく、老親、近所のこどもたち、兄弟、近所のおっちゃん、おばちゃんと共に育ってきた。
女性の自立、に限らず最近の自己責任とか、勝ち組負け組という言葉には、孤立した人間しか思い浮かばない。そして、その孤立した人間達の不安な心を「強い」「父親」石原慎太郎と「強い」「母親」細木和子と「にわかナショナリズム」が支配する。それでも足りなければ冬ソナの甘い雰囲気に酔いしれる訳だ。まさに近代化はニ方面で支配を強めてきたし、今もそうなのだ。