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(回答先: 見るだけの者が競技者にケチをつけるべきではない 投稿者 ネオファイト 日時 2004 年 8 月 23 日 18:35:03)
小生の発言は、何度も述べているように、五輪という特殊環境の元で、最高のショー、最高の闘いを見たいというものだ。
他の競技会であれば、そんなことはいわない。
サッカーの例でいえば、アジアカップくらいまでなら、どのような選考、どのような戦い方をしたかはさほど批判、批評の対象にはならないと考えている。
しかし、ワールドカップ(予選も含めて)なら、見るだけものものでも、声を出す(ケチをつける)権利はあるだろう。
オーストラリアは、選考会で失格したイアン・ソープを、選考選手の辞退という形で復活させた。
卓球の福原愛は、将来の可能性という点を加味されて、選考された。
ショービジネス化したスポーツとはそのようなものである。
また、そのような環境で、選手も競技も磨かれていくものだ。
ネオファイトさんは、「高橋の落選はこれまでの選考に比べれば実にすっきりするものだった」と書かれているが、これはとんでもない事実誤認だ。
蒸し返すつもりはないが、女子五輪の選考は、一発選考などではなく、最終選考の理由も明瞭なものではなかった。
選考の基準は、最初から曖昧なものだったのだ。
現状では、何年経っても、女子マラソンの一発選考は不可能だろう(商業的価値がなくなれば、見るだけのものの関心がなくなれば、たとえば体操競技のように可能になるだろう)。
最初からメダルに届く可能性が非常に低い選手を選ぶなら、それよりも実績のある選手を選べということだ。
当時、小出監督は「専門家の結論だから」と皮肉を込めてコメントしていた。