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(回答先: 人間心理における「戦争」と「平和」の葛藤 投稿者 鷹眼乃見物 日時 2004 年 7 月 28 日 23:57:28)
鷹眼乃見物さん、はじめまして、こんにちは、また横レスにて失礼します。
同じコラムを読まれていたことを知り、つい嬉しくなってレスしたような次第です。
柳澤桂子氏は末尾で「戦争について、DNAレベルまでさかのぼって深く研究して、なぜ戦争が起るのか、どうしたらそれを防げるのかを多方面から研究することが必要であろう。」と述べています。私の専門ではないのですが、非常に関心を持っているテーマです。そして、かかる専門家の尽力によって一刻もはやく解明して欲しいと願っています。
さて、この機会に標題に準じて自身の雑学の現状を大雑把に纏めてみますと、人間及び生物の活動の基底的なベクトルは代謝(「種族保存」と「個体維持」の本能に基づく)のホメオスターシス(恒常性)の維持ないしは創出にあり、たとえば「平和」はベクトル上の連続する線を、「戦争」は不連続点を表わしているかも知れないとの想いに至ります。そこで、ある集団がその環境の中(条件下)で、集団のホメオスターシスが維持されている限り「戦い」は生じないのではと想われます。けれども、環境は変化するものですし、あるいは閉鎖系においては限りなく劣化していくものですから、ホメオスターシスの維持のためには、条件を克服するような合理性を創造するか、必要な条件を獲得すべく他に活路を求めていかなければならないでしょう。したがって後者においては、他集団との軋轢が生じる、つまり「戦い」が起き得ます。
人間を含む生物の存在理由は「種族保存」と「個体維持」にあり、存在目的はその完結に収斂するものと考えていますが、安定的な条件が約束されていない状況下でのホメオスターシスの維持と云う目的を遂げるためには、生存の優位性の確保は必然的なものとして現前してくるでしょう。「戦い」で問題の解決を図るのか、もっと他に智慧はないかと模索するのかによって、人間性の新たな側面の開発が掛かっていると思いますし、それはまた宗教を生み出すこと以上に人類にとっての大いなる挑戦と言えるのではないでしょうか。(それにしても、人類はこれまでにも悲惨な失敗を繰り返して来ていますね。)
余談ですが、ロジェ・カイヨワは不連続点を「反対称」という言葉で表現し、さらに不連続点をエネルギー転換のための重要なモメントと捉えて、「戦争」を人間が携えている宿命に近いものとして考えていたようです。(『反対称』、『聖なる社会学』)
また、宗教学者の中沢新一氏は、不連続点あるいは「戦い」と云った非対称性を何とか自然とその摂理を含む対称性によって受けとめることができないかと、模索しています。(『愛と経済のロゴス』、『対称性人類学』)
私は、ファシズムに迎合することなく、しかもカイヨワの諦観による覚悟と中沢新一氏の悲観的ではない当為が重要ではないかと思っています。
ところで、鷹乃眼見物さんは人とやり取りすることをあまり好ましいと感じてはいないと察せられ、それはそれで仕方がないと思うのですが、たまには一言コメントなどいただけますならば、おそらく泣いて喜ぶのは私だけではないのではないでしょうか、と、ふとそんなふうに感じました。
それから、アングロサクソン・アメリカンがキリスト教原理主義に傾斜していった経緯、本当は無神論の指導者によって利用されているに過ぎないとの一部の見方もありますが、その要因についてもさらに掘り下げていただければ非常に嬉しく思います。決して好ましいこととは考えていませんが、アシュケナージ系ユダヤ金融家を含む国際金融支配層を元締めにして、アングロサクソン・アメリカンを中心にしたプレイヤーによる世界支配はますます現実味を帯びてくると推察しています。そのような事態に抗うべく、でき得る限り心と身辺の準備をしておきたいと考えている今日この頃です。
また、会いましょう。