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『モスタルの石橋』【愛媛新聞】ボスニア紛争の激戦地で若者たちの架け橋に。26歳で事故死した松山出身の青年の記録
http://www.asyura2.com/0406/bd36/msg/470.html
投稿者 エイドリアン 日時 2004 年 7 月 24 日 12:58:41:SoCnfA7pPD5s2
 

(回答先: 民族の架け橋が姿現す ボスニアで再建中の石橋【共同通信】←石橋復元までの過去ログ集 投稿者 エイドリアン 日時 2004 年 7 月 24 日 12:36:14)


モスタルの石橋(1989年)
モスタル石橋復元基金

1990年代前半。ムスリム人、クロアチア人、セルビア人が宗教、民族の壁を越えて共存していた理想国家、ボスニア・ヘルツェゴビナは、旧ユーゴの崩壊後、紛争の地と化し、欧州では第二次世界大戦後最悪ともいわれる20万人の死者と200万人の難民を出した。
1995年のデイトン和平条約により紛争は終息したが、人々の心には今もなお、深い傷が残る。
愛媛県松山市出身の青年、安井伸はそのボスニアに入り、現地の若者たちを対象に教育文化活動に取り組んだ。特に激戦地、モスタルでは、東西に分断され、互いに憎しみ合っていた若者たちの架け橋となった。伸の世界平和を願う心と行動は、多くの人々の心を動かした。しかし、1998年6月29日、伸は旅先で事故に遭い志半ばで突然、世を去った。26歳だった。
そんな安井伸が駆け抜けた26年の軌跡をまとめたのが本書である。時には迷いながらも信念を貫き通した行動、両親への手紙、積極的にアメリカの大学新聞などに発表したレポート。ボスニアの青少年と心を通わせた人間の姿がそこにある。
戦火の絶えることのない世の中だからこそ、多くの人に読んでほしい一冊である。

◇ 安井伸プロフィール


 1972年2月8日愛媛県松山市生まれ。愛媛県立松山東高校卒業後、渡米。ニューヨーク州立大学バッファロー校、ユタ州立大学を経て、91年オレゴン大学へ編入。大学の講義をきっかけに内戦の続くボスニア・ヘルツェゴビナに目を向ける。大学の仲間と「ボスニア・ヘルツェゴビナのための委員会」(後に、「世界平和のための委員会」と改名)を設立。ボスニアとアメリカを行き来しながら、講演活動、物資等の支援活動に取り組む。大学卒業後の96年、ドイツのNGO団体ムラディモストのプロジェクトに参加。青少年の教育文化的活動を行う。その後いくつかのNGO団体での活動を経て98年、ERRC(欧米人権ロマセンター)で調査活動に従事。同年6月29日、旅行先のオーストリア・ザルツブルグで交通事故により死去した。享年26歳。

『モスタルの石橋−安井伸の軌跡』(2004年6月刊 愛媛新聞メディアセンター編)

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