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(回答先: ラスベガス風に進化した賭博経済 千葉邦雄 No.6【2003年10月25日】 投稿者 乃依 日時 2004 年 7 月 19 日 11:28:05)
ソロスを操る国際金融ファミリー
ヴァンダービルト、グッケンハイム、メロン、ロックフェラー、ベアリング、モルガン、ロスチャイルド等の、それぞれの家族資産だけで巨大ヘッジファンドに相当する国際財閥が張り巡らす権力構造の中で、ソロスたちは、彼らファミリーに相続された遺産の運用を委託され、高い利回りを報告しなければならない。つまり、ソロスは現場のゲームプレーヤーに過ぎないのだ。
数百年にわたって金融メカニズムを抑えてきた国際金融ファミリーたちが、最も基本的なプランを図解して、ディーリング・ルームで活動しているプレーヤースタッフに指示を出す。彼ら本物の財閥ファミリーは、その天文学的な財産が社会から痛烈な批判を浴びることから逃れるために、常に時代的な看板として、メディアのスポットライトを浴びてくれる存在が必要となる。
その一人がジョージ・ソロスなのだ。それではソロスの生い立ちと行動の軌跡を、広瀬隆の著書「アメリカの経済支配者たち」(集英社新書)から引用させてもらう。
(転載引用開始)
? ハンガリーのユダヤ人として生まれ、1950年代にアメリカに渡り、69年にブライヒレーダー商会に入って、国際ファンド・ビジネスをスタート。拠点をロンドン、チューリッヒ(スイス)、キュラソー(カリブ海にあるタックスヘッブンの島)において突如“世界最大のマネー・マネージャー”の異名をとる。87年、ロスチャイルド一族のマイケル・デヴィッドについで、ウォール街の収入番付で第2位となる。
? 彼の右腕となって活躍したのは若手の大集団で、ミューチャル・ファンドの開拓者ドレファス・コープほか、ウォール街で有名なベア・スターンズ、コールバーグ・クラヴィス・ロバーツ、タイガー・マネージメントといった錚錚たるのっとりブローカーのオフィスから引き抜かれて、ソロス財団に入ってきた。このトレードには資金を一ヶ所に集中させ、ウォール街全体の意思統一があったと見られる。 ? 93年1月、窮地にあるロシアのエリツィン大統領に一億ドル(約110億円)を個人寄付して金融界を驚愕させ、一年で動かした額が一兆円をはるかに超える。国連の加盟国のうち40カ国以上は、ソロス“個人の収入”より“国内総生産”の金額が小さかった。この頃から、全世界の証券取引所で、「ソロス」という名前が投機情報の一部となる。ソロスが資金を運用するクォンタム・ファンドは、93年9月1日までの5年間を通じて世界一にランクされ、利益率は772%に達した。
? 94年3月、ユーゴスラビアから独立したマケドニアに400万ドルを個人的に緊急援助し、この年、元CIA副長官フランク・カールッチ率いるシンクタンクのカーライル・グループがソロスを迎える。ジェームズ・ベーカー等と密議をこらし、春からソロス・グループが日米経済協議のアメリカ代表団の顧問格として政治舞台に姿を現す。同時に、日本に乗り込んできたソロスの参謀たちが、日本人プレーヤーを物色して子飼いのブローカーとして雇いはじめる。
この時期、ユーゴ内戦の戦犯を裁く国際法廷にソロスが資金を出し、ヘンリー・キッシンジャーの右腕ローレンス・イーグルバーガーによる国連難民高等弁務官事務所との連係プレーがスタート。同事務所へのソロス・ファンドからの拠出額は260万ドルに達し、ここを拠点にユーゴ内戦への武器輸出が活性化。
? 94年10月、アルゼンチンの大草原にある巨大な農場を買収。この頃、全世界の金融界に、「ロシアには1セントも投資もするな」という経済分析を示しながら、ソロス自身はロシアの石油、天然ガス、ダイヤ、などの天然資源を最終目的として、周辺人脈に1億ドルをはるかに超える莫大な支援を続ける。この支援サークルに国務副長官ストローブ・タルボットが参加し、ソロスを絶賛。タルボットとオックスフォード大学時代に同室だったのが、クリントン大統領である。タルボットはロシア経済マフィア集団のフィクサーとなり、99年のユーゴへのNATO軍攻撃後に大統領特使となる。 ? 97年、タイの通貨バーツの暴落、マレーシア市場の破壊などに動き、99年2月、ソロスのパートナーだったアルミニオ・フラガが経済崩壊中のブラジル中央銀行総裁に就任するなど、アジア〜中南米での活動が全世界の批判の的となる。
? 98年の“フォーブス”億万長者リストでは資産40億ドル(4400億円)で29位にランク。乗っ取り屋カーク・カーコリアンの50億ドルに比べれば小額で、この額は疑わしい。そしてウォール街最大の事件、ヘッジファンドLTCMの破綻。
(転載引用終了)
絶対に損失が出ないはずだったLTCN(ロング・ターム・キャピタル・マネージメント)がロシアの金崩壊の影響を受けて40億ドルの損害を受けて破綻し、一時ウォール街が大暴落した。ところがすぐにウォール街とホワイトハウスをあげて、なぜかLTCMは直ちに救済さてた。
そのLTCMの経営者ジョン・メリウェザーは、91年にアメリカの国債を一手に引き受けていたソロモン・ブラザースの副会長で、ソロモン時代はジェームス・ウォルフェンソーン(後の世界銀行総裁)のパートナーであった。
ウォルフェンソーンは、シュローダー銀行幹部、ソロモン・ブラザース・スミス・バーニー会長を歴任した後、ウォール街の買収ブローカー「ウォルフェンソーン・インコーポレイテッド」を経営し、93年にソロスをパートナーとして1兆円以上の企業買収を成功させ、95年から世界銀行総裁に就任した。同僚のスミス・バーニー副会長だったのが、J・P・モルガン財閥の当主ジョン・アダムス・モルガンであり、その一族であるJ・P・モルガン会長プレンストンの後任総裁として、ウォルフェンソーンが選ばれたのである。
ところがメリウェザーは、ソロモンでの国債の不正入札が発覚して辞任に追い込まれ、LTCMを設立した。その経営に参加したのが、勝手の株価暴落に関する大統領調査特別委員会の事務局次長だったデヴィッド・マリンズであった。不思議なことにマリンズは連邦準備制度理事会(FRB)副議長だった人物で、当時FRB議長ポール・ヴォルカーの部下だったから、後年の両者のLTCM経営参加の関係から、マリンズから国策情報がメリウェザーに筒抜けとなって、二人が組んで不正入札がおこなわれたと考えるのが自然である。
そのソロモンが扱っていたアメリカ国債を、日本の金融機関は強引に買わされたが、95年までは一時は1ドル80円という円高に誘導した。そして世界銀行幹部から99年7月にクリントン政権の財務長官にのぼりつめたローレンス・サマーズが、日本に圧力を激しくかけ続けた。為替レートを操作するソロスと、そのレートに従って利益が変動する国債を販売したマリンズと、国債を引き受けたメリウェザーと、その国益を受けるサマーズとヴォルカーと、LTCMを運営したマートン等が、皆ウォール街の同胞である。
絶対に失敗しないはずの資産運用法をヘッジファンドと勝手に名づけて、その理論をマートンたちが構築して見せたが、何故かソロスがこの手法の限界を見抜いて見せて、不思議なことに、全世界よりも速く破綻の警告を発していたのだ。
LTCMが破綻する前に、たびたびソロスが口にしていた「資本主義の限界」という言葉こそ、ソロスが自ら演出した凶暴な金儲けのシステムを非難されないための予防線だったのだ。この最大の被害を受けたのは、ウォール街を上げてLTCM救済資金をひねり出した場所、要するに金融マフィアが集金に行った日本と、アジア諸国と中南米なのだ。