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レンブラントの「精神のリアリズム」
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投稿者 鷹眼乃見物 日時 2004 年 6 月 30 日 18:07:50:YqqS.BdzuYk56
 

 5月10日付・共同通信の報道によると、米軍のイラク人虐待事件がフセイン元大統領拘束直前の2003年10〜11月に集中していたことが分かったそうです。つまり、米軍がフセイン元大統領の一刻も早い拘束を狙った情報収集強化の一環としてイラク人への虐待が加速された実態が明らかになってきたわけです。また、多数のイラク人捕虜を虐待した米軍憲兵たちは、情報将校の指示に従ってフセイン大統領に関する重要な情報を持つと思われるイラク人捕虜の監督と尋問を担当していたことも分かりました。当時は、反米闘争が激化し拘束者が急に増え始めており、尋問を担当する憲兵たちは人手不足となっていました。つまり、捕虜への尋問を担当する現場の憲兵たちは、フセイン拘束に役立つ情報収集を急ぐ上層部からの圧力で強い精神的圧迫を受けていたようです。その上層部とは、いうまでもなくブッシュ大統領、チェイニー副大統領(ネオコン)、そしてラムズフェルド国防長官(ネオコン)などです。このように、イラク人捕虜の虐待の背景には米軍を指揮・統括する体制の不備という「構造問題」があったと共同通信は伝えています。しかし、一般的に見ると“殺人・虐待などの犯罪”には必ず「動機」がある筈です。ここで指摘される「構造問題」は犯罪のプロセスであり、動機ではありません。その「動機」とは何でしょうか?
 そのことを考える前に、私たちが始めてイラク人捕虜虐待を報じるテレビの映像や新聞の写真を見た瞬間の第一印象を思い出してみましょう。それを一口で言えば“ヘドを吐きそうな程のオゾマシさ”そして“何ともやりきれない気持ち”です。それに続くのは被害者となっているイラク人たちへの心からの憐憫の思いです。屠殺された牛でもあるかのように、裸で山積みにされたイラク人捕虜たちの哀れな姿とともに写真に収まる米兵たちの笑顔には狂気の影が射しています。あるテレビのインタビューで、一人の米兵が笑顔で答えていました。・・・・・“どうして、こんな写真を撮ったかだって?それは、イラクのテロリストをやっつけた記念写真だよ!”・・・それにしても、なぜヒトラー時代のアウシュビッツの悲劇(ホロコースト)を連想させるような狂気に彩られた“おぞましい悲劇”がイラク戦争で起こっているのでしょうか?その「動機」は「テロとの戦い」をブッシュ大統領に“決断させたもの”と共通しているようです。ブッシュ政権を支える大きな政治的圧力の一つにアメリカの「キリスト教原理主義」(Fundamentalism)、あるいは「キリスト教右派」(キリスト教保守主義)と呼ばれる勢力があります。様々な統計データが飛び交っているので判然としないのですが、この「キリスト教右派」勢力は、アメリカの有権者総数の少なくとも3〜4割程度を占めているようです。日本における宗教的な某政治勢力の同じ割合が1〜2割であることと比べてみれば、教団としての結束力の強さを背景とする、その権力中枢への影響力の大きさが想像できる筈です。この政治勢力の詳細については別の機会に検討するつもりなので、とりあえずは、この「キリスト教右派」勢力の特徴を分かりやすくまとめてみます。彼らの信仰の原点の一つは、ディスペンセーショナリズム(dispensationalism)という考え方です。それは“父なる神の絶対的な摂理による新制度(統治体制/dispensation)を、この世界で実現して新しい神の国を創る”ということです。そこに見られるのはユダヤ教と共通の原理です。つまり、武力(戦争)によってイスラエル王国を建設し、その新生イスラエルを中心として世界秩序を再構築する、ということです。従って、この理念は必然的に過激な行動に結びつきやすいのです。
 もう一つの原点は再生主義(リバイバリズム/revivalism)です。リバイバリズムのルーツは1620年にピルグリム・ファザーズ(PilgrimFathers)と呼ばれた102名の英国から来た清教徒たちがニューイングランド地方のプリマスに殖民した直後の時代まで遡ります。この時代に殖民の先頭を切ったのは、これらの清教徒たちでしたが、続いて宗教心や信仰には無関係な人々が新大陸へ押しかけてきます。このため、17世紀のアメリカ殖民時代は無信仰な人々や異端者などによる無法地帯であったというのが実情です。凡そ、この頃の名残を残す時代を清教徒の立場から描いた作家がホーソン(Nathaniel Hawthorne/1840-1864)であり、『緋文字』などの名作が残されています。このため、アメリカのニューイングランドを中心とする一帯では信仰覚醒のための運動、つまりリバイバリズムの運動が繰り返し興るようになっていたのです。やがて、18世紀に入ると神学者ジョナサン・エドワーズ(Jonathan Edwards/1703-1758)が現れます。エドワーズは本格的なリバイバリズムである大覚醒運動(Great Awakening)の指導者となり、尊い父祖の信仰から離れて倫理的に腐敗した生き方をする多くの人々に対して、神の審判が迫っていることを説き、悔い改めて回心することを説教しました。特に、彼が1741年に行った『神の怒り/Sinners in the Hands of Angry God』の演説が有名です。エドワーズは宗教が持つ感情面への作用に強い関心を持って演説したため、彼の説教を聴いた多くの人々はトラウマ的な強迫観念に取り憑かれました。つまり、“宗教的に潔癖(完全主義的)な心”を植えつけられた人々は、容易に回心しない人々や異端者たちに対し排他的な、あるいは攻撃的な感情を持つようになります。また、この感情はサディスティック(加虐的)な異常心理に結びつき易いものでもありました。つまり、これはマインドコントロールに他なりません。場合によって、それは幼児性の退行的な心理にさえ結びつくものです。リバイバリズムの運動の本来の目的は聖書の正しい教えに戻るということでしたが、このような行き過ぎは「聖書に書いてない、解釈的な内容を頑固に原理的に主張する」という病理現象をもたらしました。それが具体的になったのは、例えば20世紀に入ってからの出来事ですが「禁酒運動→禁酒法(1920〜1933)の制定」によるアメリカ社会の混乱(密売、ギャングなどの横行)です。「聖書に書いてない、解釈的な内容を頑固に原理的に主張する」という病理現象は、まさにカルト現象以外のなにものでもありません。
 実は、アメリカ社会が「進歩的な側面」とともに「宗教面での非常な保守性」の姿を見せるのは、このようなディスペンセーショナリズムとジョナサン・エドワーズのリバイバリズムの大きな影響を重く引きずっているからです。このようなアメリカ建国いらいの宗教的伝統に対する啓蒙主義などの立場からの批判活動(バランス維持活動)が、黒人の人種差別問題などとともにアメリカの文化形成の大きな流れの一つとなってきたのです。1789年の「合衆国憲法」制定によって、アメリカ合衆国の「政教分離」が確立された背景にも、このような事情があった訳です。つまり、アメリカの国家体制は、放置すると原理主義的な宗教(キリスト教右派勢力)に引きずられる恐れがあるので、アメリカでは、この傾向を制御すべきという良識的なバランス感覚が働いてきたのです。ところが、「キリスト教右派」勢力とネオコン(極左から転向したシオニスト(ユダヤ人右派)系の一派で、ディスペンセーショナリズムを信奉するインテリ集団/シカゴ大学がルーツ)が手を携えて支えるブッシュ政権は、明らかに、このような意味での「政教分離」の原則を無視しています。また、これらの勢力と産軍複合体が結びついたのが「イラク戦争」の動因(動機)であるとすれば、初めから「大量破壊兵器の存在」などは開戦の理由づけの一つに過ぎなかった訳で、実はそんなことはどうでも良かったのです。このような意味で、現在のアメリカ“合衆国”は、文字通りのアメリカ“我執国”(戦闘的なユニラテラリズム)となっいるため、その戦争現場の暴走がイラク人虐待事件をもたらしたのであり、このような意味でイラク人虐待(あるいは大量殺戮)の「動機」は「イラク戦争」の動機と当初から重なって存在していたのです。また、ブッシュ大統領自身が、石油事業の失敗でアルコール中毒の自堕落な生活に堕ちた時にキリスト教右派(アナバプティスト派)の説教師ビリー・グラハム(Billy Graham)の教えのお陰で、Born-Again-Christian(生まれ変わったキリスト教徒)となったと自覚していることが明らかになっています。だからこそ、ブッシュ大統領は機会があれば「アメリカに神の祝福あれ!」(God Bless America!)と叫びます。このように、現在のブッシュ政権のアメリカで「政教分離」の原則が事実上は無視され、明らかにアメリカのバランス感覚に裏打ちされた良心が揺らいでいることに注意を払うべきです。そこでは、宗教的な「寛容の精神」が影を潜めています。従って、おぞましくもサディスティックなイラク人虐待事件の犯罪は、ごく一部の現場の兵士たちが起こした不祥事だとする政治的な矮小化の論理と、それを先導する意図的なメディア・コントロールには十分に注意すべきです。
 ところで、17世紀オランダの大画家レンブラントは、36歳の時(1642年)に妻サスキアを結核で失っており、サスキアとの間に生まれた愛息ティトウスの養育のために雇った家政婦ヘルティエ・ディルクスと愛人関係を持っていました。更に、新しく雇い入れたヘンドリッキエ・ストッフェルス(20歳前後で女中として雇われたヘンドリッキエは、レンブラントが残した多くの肖像画からやさしく純朴な女性であったことが想像される)との関係が生まれたため42歳(1648)の時に、レンブラントは愛人ヘルティエから婚約不履行の訴えを起こされています。このような訳で、ヘンドリッキエは事実上のレンブラントの妻でしたが、ヘンドリッキエとの正式の結婚は終生行われませんでした。それは、最初の妻サスキアの遺言により、もしレンブラントが再婚した場合には、サスキア(亡父はフリースラント地方のレーウワルデン市の市長や高裁判事を務めた名声の高い財産家)が残した全財産の用益権の半分が彼女の姉ティティア・ファン・ローに渡ることになっていたからです。また、レンブラントが46〜48歳(1652〜1654)の頃には「第一次英蘭戦争」が起こり、イギリスの護国卿クロムウエルが制定した「航海条例」(1651)がオランダの中継貿易にボディーブローのような打撃を与えたため、オランダ経済は衰退の一途を辿り始めていました。これと並行するかのように、この当時のレンブラントは、多額の借金未返済問題に悩まされ、彼が48歳の時(1654)には借金返済の目処が立たなくなり担保の書き換えを行っています。51歳の時(1657)には全財産を処分するための最初の競売が行われることとなり、自分自身の70点の油絵と財産としての美術品類が競売に付されました。翌年には家と家財道具が競売となりましたが評価の約1/3以下にしかならず負債の償却が不可能となります。そして、遂に54歳の時(1660)にはローゼンフラフト街(貧民街)の小さな家に移り住むことになります。
 製粉業者の子として生まれたレンブラントは、製粉で使う風車小屋の中で過ごす幼少時代を送りました。風力エネルギーを与えられた風車が回転するにつれて小さな窓を通り小屋に入ってくる外の光は、とめどなく明暗の様子を繰り返すため、幼いレンブラントの目には、まるで光と闇が戯れてでもいるかのように見えたに違いありません。それは、小屋の中に一瞬の明るさと深い闇を繰り返しもたらし続けるのです。この時、レンブラントの心は、光こそが自然の造物主であり現実(リアリティ)の創造者であることを学んでいた筈です。また、幼いレンブラントの心は、光が魔法のように創造する世界を、つまり室内に満ちた光と影が目くるめくように千変万化させる造形を捉えて再現する術を経験していたのかもしれません。このような幼少期の特別な体験が、後になってからレンブラントの神業ともされる明暗法をもたらしました。また、レンブラントの父ハルメン・ファン・レイン(製粉業者)はプロテスタントに改宗していましたが、母コルネリアはカトリックのままであったとされています。最近の研究では、レンブラントが少年時代に、その家族はライデン市を二分するレモンストラント派(ライデン大学のアルミニウスに起源を持つ反カルバン主義神学を信奉する一派)と原理主義的なカルバン派の政争に巻きこまれています。この抗争では、オランダ総督マウリッツがカルバン派に与したためレモンストラント派は市の行政職から一掃されてしまいました。そして、レモンストラント派を信奉していたレンブラントの両親がその余波を受けたことは想像に難くありません。この辺の事情はレンブラントのライデン大学中退と関係がありそうです。いずれにしても、レンブラントがライデン大学を中退し画家への道を歩み始めた背景に、このような事情が絡むとすれば、レンブラントの芸術にはキリスト教の信仰に関する大きな矛盾と葛藤のようなものが存在したことが想像できます。このようにレンブラントの私生活、生い立ち、精神環境などを概観するだけでも、いかにレンブラントの生活環境が逆風に満ちていたかということが想像されるのです。ところで、このような人生の波乱の時期に書かれたにもかかわらず、レンブラントのリアリズムを代表する傑作とされるのがルーブル美術館所蔵の『屠殺された牛』(1655/http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/nikki8.htmの画像、参照)です。この絵を絶賛するのが、ブルゴーニュ地方の都市ディジョン出身で、20世紀フランスを代表する美術史家とされるアンリ・フォション(Henri Focillon/1881-1943)です。彼は、名著『フォルムの素描家、レンブラント』(原章二・訳、彩流社・刊)で、この『屠殺された牛』について次のように書いています。・・・レンブラントは、誰よりも注意深く存在を観察した。彼ほど断固たる手で世の事物に触れ、それを力強く掴んだ者は他にいない。解体されて町の肉屋にぶら下がる牛を描き、そこに物質の美と、仕事のなかに生まれる詩を、彼は見た。屠殺され、皮を剥がれ、逆さに吊るされたその牛は、まだ血を滴らせている。ずしりと重く、残酷に、いのちを失い、見事な、巨大な肉塊となり、臓物を抜き取られた腹をさらしている。毛をむかれ、切断され、むき身になったその牛は、ボッテル(17世紀オランダの動物画家)の牛よりずっと力強く造形的な生命に溢れている。・・・(途中略)・・・なにものも拒まず、人間と生命が展開する光景に深く心を動かされ、いたるところに愛情あふれる線を見出す観察力、それがレンブラントの偉大さの真の源泉だ。レンブラントに拠って曲芸と弁証法を楽しむことは、いくらでも可能だろう。そうするためにもっともな理由を見つけることは誰にでもできる。しかし、いま述べた源泉に、つねに立ち戻る必要がある。おそらく、その源泉に対して用いられるべき最良の言葉は「友愛」であろう。その「友愛」は、アニミズム的な愛である。なぜなら、レンブラントの愛は、霊魂(アニマ)を探し求め、対象を呼び覚ます愛だからだ。レンブラントのどの作品にも、人間の手の温かさが残っている。その手が動いて創造するのを、私たちは目撃する。ものに触れるその手の微妙な力、その指先から流れ出る線の強さ、私たちはそれに肌で触れる。と同時に、また。それは筆跡学でもあるだろう。ただし、レンブラントの手が描き出す記号(シーニュ)は、彼の秘密を解読させるがゆえに有意味なのではない。彼が生み出す記号は、彼が創造する人類の言語であり、人類の姿なのだ。・・・ここでフォションが詩的ともいえる言葉で見事に語るように、レンブラントの絵の本質は人類の存在に対する限りなく温かい「愛」にあるようです。私生活と時代環境の逆風にもかかわらず、決して打ちひしがれることがないレンブラントの天才の眼は、身近な人々から人類にまで及ぶ「愛」に満ちているのです。それは、「いたわりの愛情」と言ってもよいでしょう。それは、「イラク戦争」で私たちが見せつけられている“憎しみと憎悪”の狂気の視線がもたらすものと対極の世界です。奇しくも、「Slaughter」という言葉には「屠殺」と「虐殺」の両義があります。「イラク戦争」が続く限り、イラク全土でブッシュ政権が仕組んだジェノサイド・マシン(大量殺戮機械)は悲しくも、ゾットするような「虐殺」をもたらし続けます。そして、おぞましい限りの夥しい「虐待」の映像が世界中にもたらされます。今、この世界で決定的に欠けてしまったものは、レンブラントの眼によって捉えられていた、もう一つの「いたわりの愛情」に満ちた世界です。「芸術のリアリズム」も「ジャーナリズムのリアリズム」も、そして「政治的なリアリズム」も、一度、ここで立ち止まりジェノサイド・マシンを動かし続ける原理主義的な「冷血のリアリズム」から目を転じて、この「もう一つのリアリズム」を回復する方策を考える必要があります。レンブラントのリアリズムが描く、本来は残酷な場面である筈の『屠殺された牛』からは、温かい人間の心臓の鼓動が、そして人間の心の響きが聞こえてくるのです。
 『エマオのキリスト』(1648/http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/nikki8.htmの画像、参照)は、レンブラントが42歳の時の作品です。これは『屠殺された牛』より7年前の作品ですが、この時代のレンブラントの絵画は「抒情主義時代のレンブラント」と呼ばれており、それ以前の激しく明暗を対比させるバロック的な描き方の傾向が薄れて画面全体が淡い光に満たされています。キリストがエマオ(Emmaus)の地で<復活/Resurrection>したという最古の証言は,パウロの『コリント人への第1の手紙』15章3節以下に記されている初代教会の宣教の短い要約にあります。そのキリストが<復活>したという現実を、レンブラントは復活したキリストが弟子たちとともに朝食を取る場面として描いています。やはり、このレンブラントの絵の“キリストの復活”という「現実」は、ジョナサン・エドワーズの“Angry God”の激しい説教がもたらす狂気のリアリズムとは対極にある静けさと調和で満たされています。抑制的で単純化したレンブラントの絵筆は、静かで穏やかな大気のぬくもりを見る者へ伝えてくれます。レンブラントの両親が原理主義的なカルバン派とレモンストラント派の政治的確執に巻き込まれ翻弄されていた様子があることから窺えるのは、『エマオのキリスト』に描かれた静寂で穏やかな、そして人間に対する「いたわりの愛情」に満ちたバランスが取れた信仰心こそが、この時代のレンブラントの精神環境(レンブラント・バロックの光)であったということです。このようにレンブラントの「精神のリアリズム」が見る者(人間)へ投げかける深遠な意味を、今、この混迷の「虐殺と虐待の時代」にこそ、私たちは再評価する必要があるのです。(2004/05/17/News-Handler、初出)
<参考>関連内容については下記のURLを参照
http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/
http://blog.nettribe.org/btblog.php?bid=9816b255425415106544e90ea752fa1d
http://blog.goo.ne.jp/remb/
http://blog.melma.com/00117791/


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