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第1話
1964年9月19日脱稿/全99枚(97+2)/後記あり/雑誌「ガロ」第4号(1964.12)掲載
目次
1.怪声(かいせい) 夏。巨人(アイヌ人)が兎を獲り、「カムイ !!」と叫んだ。
2.ダンズリ 花巻村の百姓達。その下人の正助と父ダンズリが登場。
3.犬追物(いぬおうもの) 日置藩の日置城。場内馬場での犬追物。夙谷非人村の弥助が犬を集める。
4.山狩(やまがり) 3年前の一揆を指揮した吉兵衛を武士の命令により非人達が捕らえる。竜之進登場。
5.地擦り(じずり) 笹一角の道場。一角が水無月右近に敗れる。右近が横目に片足を斬られる。
6.緑(みどり)の日(ひ) 秋から冬へ。山の中、傷ついた日本狼片目が回復。群れを呼ぶ。
7.誕生(たんじょう) 春。吉兵衛の磔処刑。非人の弥助に男の子が生まれる。白い狼が生まれる。
後記 雑誌ガロ第4号(1964.12)より
西部劇のきらいな人はすくない。だが西部劇の中で襲撃してくるインデヤンがうたれ馬上から転落するのをなにげなく、とうぜんのごとく見すごしてしまう人は多い。なかには手をたたいてよろこんでる人まである。が、もし何故インデヤンが襲撃してくるのか考えて見たらどうだろう。
最初アメリカ大陸にはインデヤン達が誰からもじゃまされずにくらしていた。そこに文明の進んだ白人達がやって来た。フロンティヤ精神にもえ開拓がすすめられた。とうぜんインデヤンは土地を追われインデヤンの衣食住の元である動物まで白人にうばわれた。これはインデヤンの死をいみする。ここにインデヤンの反抗が始ったのだ。自分達のすみよい場所にすみたい。動物をうばわないでほしい。このインデヤンの生きるための主張に誰も反対できないわけだ。インデヤンは飢死するか斗ういがいに道はなかった。そして斗って、ほろぼされたのだ。
よく映画にとり上げられている平和交渉のような場面は信じがたい。白人のインデヤンにとったたいどは自分達の利益のために、インデヤンの絶滅政策をすいこうしたのである。平和交渉によってインデヤンがあたえられた居留地は動物もおらずなにも作れない不毛の地である。そこでインデヤンは病気と飢のために死んでいったのである。又いくたの記録にもあるように帰順後においても、インデヤンの偉大な酋長(しゅうちょう)達の多くが暗殺によって死んでいる。このことからも白人はインデヤンに対して平和的な共存政策はかんがえてなかったことがうかがわれる。
もしみなさんが人間としての正当な要求がむしされおしつぶされてしまったとしたら、どのようにふんがいし、かつ悲しむことだろう。今日人間社会は高度に発展し、いよいよ人々にとって生活はよろこびとならなければならないはずであるのに、事実は逆である。この物語も寛永の末から寛文年間に至る三十年間の歴史の中からよろこびの生活をもとめて、そこから少しでも前へすすもうとした人々の姿をうきぼりにしてみた。領主、剣客、忍者、商人、学者、そして百姓さらにしいたげられていたさまざまの人々が登場してくるだろう。そしてそれらの人々がおのれの意志とは全くかけはなれた生涯を展開しなければならなかったさまをごらんねがいたい。とくにめいきしておきたいのはこの物語の舞台である徳川封建社会をえがくには、その根本的無盾をささえてる要素、身分制度(士、農、工、商、穢多(えた)、非人)という、権力によってつくられた差別政策をとおして見ることによって、はじめてその本質をあきらかにすることができる。
したがってその犠牲者として農民よりさらに、しいたげられた環境の中で生きぬいてきた弥助やその仲間の人々はこの物語の登場人物として大きな意味をもつのである。
作者によるあらすじ 雑誌ガロ第5号(1965.1)より
頃は寛永の末、日置七万石はつづく豊作にとにかく表面だけは無事平穏といってよかった。なかでも花巻村は年貢の皆済が領国一番となり庄屋の家にあつまり祝いのさいちゅうであった。庄屋の下人ダンズリは改作所へ皆済状をとどける途中一揆を指導し村をおわれていた吉兵衛に会う。一方城内においては、犬追物の催しがあり、武士達によって犬が次々に殺されていた。非人弥助は自分の飼犬まで供出させられて殺されてしまった。そのとき弥助がひろって来た、傷ついた狼も生にえにひきだされた。だが狼は数人の武士を殺傷し山へ姿をけした。又密告によって村にかえった吉兵衛の存在が発覚し、ただちに山狩りが始められた。だが吉兵衛をしたう百姓達はただ山をあるきまわるだけだった。一策をおもいついた領主側は日頃百姓達からいじめられている夙谷の非人をつかって山狩りを続けた。結果吉兵衛はとらえられ処刑された。処刑を命じられた弥助に百姓達のひなんといきどおりの目がむけられた。こうたいで部落へかえる弥助は花巻村の人々におそわれた。傷ついて村にかえった弥助の家では赤坊が生れていた。その頃雪のまだきえやらぬ山中においても真白い狼の子が生れていた。
登場人物: 山男・ダンズリ・正助・弥助・横目・ナナ・草加竜之進・笹一角・水無月右近・片目・カムイ・白狼
中題「緑の日」だったものが、単行本では「緑の目」になっています。実際どちらが正しいのかは不明。
単行本では消されてしまった後記内でのインディアンに関する文章。構想の段階ではアイヌ(北海道の先住民族)の物語に移っていくという考えもあったらしいので、白土氏は江戸時代の身分制度を、現代(連載当時)の民族問題と同じような観点で見、物語を創っていこうとしていたのかもしれません。
正しい歴史から見てみると、実際には非人達が一目で非人だと分かるようにザンギリ頭にしなければならなくなったのも、横目なる役職の非人が探偵のような役目を言い付けられるようになったのも、この時から約80年後(享保8年12月)のことです。
寛永21年(1644年)夏、物語が始まる。年末の12月16日、元号が正保に変わり、翌年春(正保2年)、梅の咲く頃、カムイが生まれる。この推測は間違っていたとしても1、2年さかのぼる程度だろう。