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(回答先: イエズス会は軍事諜報組織である:日本のイエズス会人脈 投稿者 HAARP 日時 2004 年 6 月 28 日 16:18:38)
HAARPさん。 こんにちは。
力のこもった投稿をお読みしました、
私も久しぶりに顔を出そうと思いました。
これを投稿したらまた隠れます。
((1-1) 日本で、イエズス会直営の大学は、上智大学(東京)・エリザベト音楽大学(広島)。
同じく、直営の男子中学・高校は、六甲学院(神戸)・広島学院(広島)・泰星学園(福岡)。)
六甲はスター(星)を暗示しているようではあります。
「泰(星)」も同じ。
イエズス会系列かどうか知りませんが、
クリスチャン系は、「聖(星?)」学院、「星美」学園というように、
「星」のつく名前が多いのが不思議です。
((1-2) 日本でのイエズス会の女子教育部門の直営が、聖心女子大学(聖心会)・清泉女子大学(聖心侍女修道会)など。)
聖(星?)心女子大学(聖心会)・清(星?)泉女子大学(聖心侍女修道会)など。)
何かの「暗号」になっているのではないでしょうか?
((3-1) 曽野綾子は、1979年にローマ法王庁からヴァチカン有功十字勲章を受賞し、2000年にはヘレンケラーピューリツア賞を受賞している。
(3-2) 笹川良一によって、1962年に設立された日本船舶振興会は、1996年からニックネームとして「日本財団」を使用している。1995年、笹川良一の死去に伴い、作家の曽野綾子が会長に就任した。
一説には、曽野綾子氏=笹川良一氏の娘とか。)
この「噂」は根強いものがあるようです。阿修羅にも最近投稿されています。
陽平氏への世襲批判に答えて綾子を会長に据えたのですが、
それが実は実子だったとしたら・・・・・・
なかなか皮肉が効いていますね。
曽野綾子(三浦知寿子)とは?
http://www.asyura2.com/0403/war49/msg/480.html
投稿者 エンセン
この人の旦那は三浦朱門という作家だったと思います。
教育審議会を牛耳っている夫婦です。
博打の元締めが、なんで教育なのか?
なんで「愛国」なのか? なんで人類愛なのか? なんで「道徳」なのか?
ところで「朱門」は「シモン」でしょう?
((3-3) 「日本財団」は、1997年から2年連続、UNHCR(代表:緒方貞子)に、各100万ドルの資金拠出をした。
これは、イランに暮らすイラク難民とアフガン難民の保険・医療プロジェクトに使われ、1998年には曽野綾子「日本財団」会長が現地を訪問した。
(3-4) 満州・上海で軍需物資の隠匿に関係して暗躍した児玉誉士夫・笹川良一は、戦後はGHQに検束されたものの、隠匿物資と機密情報の提供を条件に、1948年にはGHQから釈放されています。
一説には、現在価格で7兆円以上という隠匿物資は、戦後日本の政治家の操作に使われた。
(3-5) 統一協会の主導により、1968年に、児玉誉士夫・笹川良一・岸信介らが「勝共連合」を結成し、これと日米韓の軍部とCIAが連携プレーをするようになった。 )
関連投稿
笹川について再説:バチカンとの馴れ初め
http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/1073.html
投稿者 すみちゃん
バチカンとの馴れ初めは昭和14年までさかのぼります。
先祖代々のエージェントらしい。
なお、この投稿のネタ本である「国会タイムズ」笹川号は、入手困難だと思います。
(【2】緒方貞子は犬養毅元首相の曾孫、犬養道子は犬養毅元首相の孫。)
戦前から何かつながっていたのでしょうか?
(犬養康彦は、上智大学出身で共同通信社社長を務め、妻:れいこは、大原財閥の大原総一郎の長女。
大原総一郎氏の次女:康子の夫は、日清製粉の正田英三郎名誉会長の息子:修で、正田修会長は美智子皇后の弟になる。
皇后の兄:正田巌は元日銀監事で、日銀を影で動かしているとの評判がある。)
正田家の「ビッグ・リンカー」との親戚関係は、だいたい戦後のもののようであり、
戦前にはさかのぼらないようです。
今月の「実話ナックルズ」という雑誌に、
正田家が被差別部落出身だという記事がのっていました。
筆者は「上原」というライターです。
一般向け雑誌に載った話なので、ここに転記してもよいでしょう。
私には真偽はわかりません。 あくまで参考まで。
記事によると、東武鉄道「館林駅」裏手に
「日清製粉」の工場と記念館があります。
ここに白山神社があり,また近辺に非常にオンボロの家々がつらなっています。
また、近くに、館林城の「門柱跡」が残っています。
この駅裏手は部落だったと書かれています。
「目車地区」という名前だったそうです。
皇后がでてしまったので、行政は同和指定をしていないそうです。
城下町の部落関係者は、門番、牢番、処刑関係の仕事を先祖代々押しつけられることが多いので,、
おそらくそれであろうと書かれていました。
実家は江戸時代から一生懸命製粉、うどん製造、しょうゆ製造の仕事をして
商売と蓄財に努めていたとのこと。
キリスト教信仰、一族あげての著しい西洋好きもここに根があるとのことでした。
この話は、たとえば「日本の閨閥」には載っていませんでした。
ただの噂にすぎないのかもしれません。
以下は私の観察です。
館林の町は、東京からの日帰り旅行にぴったりなので、よく知っています。
ここは向井こども科学館、田山花袋記念館、紡績記念館があり、
初夏には城跡のつつじがとても美しい。
町を吹きわたる風が、うっすらとした花の香りに包まれるのです。
ここのお城はやたらに大きい。
それから、駅裏が日清の地盤で、正田記念館とか工場があるのですが、
広大な城跡とは対照的に、もの凄くしょぼい場所なんです。
正田家本宅は駅前目抜き通りにあり、こちらは普通の旧家という感じですが、
時代はかなり下ります。
戦後出世した正田家の親戚係累が、
イエスズ会関係、あるいはクリスチャンで埋められていくのは興味深いことです。
(本家は現在日蓮宗という話も何かで読んだ気がしますが)
学習院のピラミッド校舎が、ご成婚と同時期に建造されているのは、
何かの合図なのでしょうか?
ピラミッドはメーソン−イエズス会の象徴でしょう。
私に解けない謎が多くてすみません。