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(回答先: 高遠さん、解放後初の会見…疲れの色濃く癒えぬ恐怖心(読売) 投稿者 ネオファイト 日時 2004 年 5 月 20 日 21:00:07)
http://www.sankei.co.jp/news/040520/kok118.htm
イラクで武装グループに拘束され解放されたボランティア、高遠菜穂子さん(34)=北海道千歳市=が20日、解放後初めて報道各社の代表取材に応じた。拘束中に「もう駄目だ」と何度も死を覚悟したことや、イラクに再び行くかは分からないが、支援してきたイラクの子どもたちを見捨てたくないなどと述べた。
拘束中、高遠さんはイラクの病院に医薬品を運んだことなどを説明したが「英語を話すからスパイだ」などと、何度も罵声(ばせい)を浴びたという。今も恐怖を感じている様子だった。
その一方、解放直後「イラク人は嫌いになれない」と語ったことについて、「彼らも愛する家族を殺され、悲痛な叫びを届かせるには、この(人質を取るという)方法しか見つけられなかったのだろうと感じた」と説明。「彼らもこのやり方が決して良くないと知っていると話していた。武器を捨てる勇気を持ってほしいと思う」とした。
また「あれだけ親日だったイラク人が反日感情を持つようになったことが何より悲しい。今こそ武器を持たない人道支援が必要と強く感じます」と述べた。
高遠さんは何度かインタビューを中断、今朝もじんましんが出るなど体調は悪く、依然安定剤を使っているという。
◇
イラク邦人人質事件で解放後、初めて報道各社の代表取材に応じたボランティア活動家、高遠菜穂子さん(34)。北海道千歳市の自宅で20日、約30分にわたり涙を浮かべ、懸命に質問に答えたが、解放から1カ月以上経過した今も残る心の傷の深さをうかがわせた。
取材は、高遠さん側の希望で写真やテレビの撮影はせず、音声のみを録音。事前に寄せられた質問項目に対する回答を紙で用意し、正座の状態で一つ一つ読み上げた。
ずっとうつむきがちで何度も深く息をつく。拘束から解放に至る経緯については、ビデオ撮影の状況を話し終えると言葉につまり、1度休憩を入れたものの、最後までは話し切れなかった。
一番体調が悪かった時期を問われ「(解放後、移動したアラブ首長国連邦の)ドバイから現在まで」と説明。取材当日の20日朝からは、じんましんが出たという。
同席した弟の修一さん(33)によると、高遠さんは今も週に1回は医師の診察を受けている。最近はだいぶ眠れるようになったが、睡眠薬を時々使用している。
◇
高遠菜穂子さん(34)の一問一答は次の通り。
−現在の体調は。
「今でもパニック状態になることがあり、嫌な夢をよく見る。今朝からじんましんが出ている」
−拘束時や人質生活はどうだったか。
「ガソリンスタンドでイラク人数十人に囲まれ、対戦車ロケット砲を抱えた人が走ってくるのを見て『もう駄目だ』と思った。拘束から2日は、気に障ることが少しでもあれば殺されるという恐怖が常にあった」
「ファルージャの病院に何度も医薬品を運んだ話をしたが、英語が分からない人たちは『英語を話すこいつはやっぱりスパイだ』と怒っていた」
「ビデオ撮影の時、英語を話す人が『泣いてくれ』と言ったが、武装した人たちが暴れ出し、恐怖心でいっぱいだった」
−犯人グループのことをどう思うか。
「解放直前、1人が泣きそうな顔で『どうしたら君と友達になれるだろう』と言ってきた。彼らも愛する家族を殺され、悲痛な叫びを届かせるにはこの(人質を取る)方法しか見つけられなかったのだろうと感じた。武器を捨てる勇気を持ってほしい」
−解放に尽力した友人、家族らへの思いは。
「悲しませ、怒らせ、疑わせ、眠れない夜を過ごさせてしまったことに、心からおわびする」
−日本政府の対応は。
「自衛隊を撤退させなかったのは当然と思う」
−自己責任を問う批判をどう思うか。
「いつ死ぬか分からないという覚悟の下、強く考えて行動していた。さまざまな意見があるのは自然なことだと思う」
−イラクの現状について。
「あれだけ親日だったイラク人が反日感情を持つようになったことが何より悲しい。今こそ武器を持たない人道支援が必要と強く感じている」
−イラクの子どもたちに対する思いは。
「絶対にあなたたちを見捨てません。そう伝えたい。必要なことは、戦争を恨むより人を愛する心だと思う」
(05/20 20:22)