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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu69.htm
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マスコミというのが、いかに自己矛盾を起こす阿呆連中
プロのジャーナリストが少ないのは自己責任がないから
2004年4月29日 木曜日
◆小泉の波立ち ニュースと感想 【 追記3 】 (2004-04-29)
http://www005.upp.so-net.ne.jp/greentree/koizumi/98n_news.htm#pshost3
27日に、例の三人とは別の、二人の人質(一時拘束されただけ?)が、記者会見をした。マスコミから、「自己責任」をめぐって集中砲火がかかったらしい。( → ZAKZAK )
マスコミというのが、いかに自己矛盾を起こす阿呆連中であるか、よくわかる。指摘しよう。
そもそも、「自己責任」かどうかは、理論的な問題であって、イラクに行った計5人の行動とは、何の関係もない。彼らが「自己責任」と思うかどうかは、彼らがイラクでなしたこととは関係ない。「自己責任」かどうかをめぐる論議は、政治的・理論的な問題であり、日本にいるわれわれの問題だ。彼らが「こう思います」と主張したとしても、それは、彼らの論客としての問題であり、彼らの行動者としての問題ではない。
だから、彼らに「私はこういう意見を持ちます」という発言を聞きたいのであれば、記者会見なんかではなくて、トークショーを開いて、そこで論客として出席してもらえばいいのだ。(もちろん、論客としての出演料も払うべきだ。)
しかも、である。人質たちを非難した人々は、「人質や家族が日本の国策を左右している」と非難した。とすれば、むしろ、「国策に影響するような論説は言うな。政治的な発言は慎め。ただ黙って行動しろ」とだけ言うべきなのだ。なのに、今になって、今度は「自己責任をどう思うか」という政治論争に巻き込もうとしている。かつては「政治的な意見を言った」という理由で家族を批判し、今度は「政治的な意見を言え」と注文する。完全な自己矛盾だ。
マスコミはあの5人に、政治的な意見を求めるべきではない。尋ねるとしても、現場証人として、ただ事実のみを尋ねるべきだ。それならば、わかる。しかし、現実には、政治的意見を求めて、政治的論争に巻き込もうとする。マスコミとしてなしてはならないことをなす。何の政治的権力もない市井の一個人を、国家レベルの政治的な大論争に巻き込もうとする。……その理由は、ただ一つ。事実を知りたいのではなくて、5人を吊し上げたいだけなのだ。記者会見では、5人から何かを聞き出したいのではなくて、5人を自分たちの言葉でいじめたいだけなのだ。何かを聞くために記者会見があるのではなく、何かを聞かせるために記者会見があるのだ。
かくて、「事実の報道」を目的としていたマスコミが、いつのまにか、「無償出演のタレントに意見を言わせてバッシングする」というだけのワイドショーに化けてしまった。彼らは、5人については「自己責任」を唱えながら、自分たちマスコミの「自己責任」を放棄してしまった。だからこそ、あんなにも無責任に、電波や活字を私物化して、個人への誹謗中傷という犯罪行為を重ねているのである。狂気。
( ※ 実は、これは、マスコミのプライバシー侵害と、まったく同根である。)
( ※ プライバシーと言えば、政府は、大臣の年金情報を公開せよという要求に、「個人情報だから」という理由で拒否しようとした。ちゃんちゃらおかしい。……それでも平気でいるのがマスコミだ。政府を擁護し、市民を攻撃する。強きを助け、弱きを挫く。……最低ですね。)
なお、家族の「自衛隊撤退の要求」についても、言及しておこう。
家族の要求については、「国策に影響するので、行き過ぎだ」と非難する声が多かった。しかし、何か、勘違いしている人が多いようだ。家族は別に、国会議員として、政府権力を勝手に行使して、強引に国策を変更したわけではない。家族として、何が何でも命を救いたいがために、精一杯の声を上げただけだ。
家族を非難する人々は一体、家族にどう言えばよかったと言うのか? 「イラクにいる姉( or 娘・息子)を見殺しにしてください。お国の方針が大切です」と言ってほしかったのか? まさか。そんなことを言う家族は、人間としての心を失っている。
だから、たとえ政治的には間違っているとしても、家族としては血のつながった近親者を最優先するだろう。それが人間として当然の心だ。そしてまた、政治権力のない家族には、どんな声を上げることも許される。
マスコミは、本来なら、家族には政治方針に関する意見は求めなければよかったのだ。「こうしてほしい」という政治的な要望があっても、報道しなければよかったのだ。なぜなら、その政治的な決定権は、家族には権限外のことだからだ。一個人としての家族がどう思うかは、一個人としての私がどう思うかと同様で、いちいち報道すべきことではなかったのだ。
かくて、マスコミは、なすべきことをなさず、なしてはならないことをなしたのである。報道すべきことを報道せず、報道してはならないことを報道したのである。……今回の大騒動の根源は、マスコミが自らの倫理を失ったことだ。人質たちに自己責任がなかったのではなくて、マスコミに自己責任がなかったのだ。
ただし、国民の態度も、問題だ。マスコミの報道態度を別にしても、今回の国民の態度は、まったく常軌を逸している。家族が市井の一個人として、政府とは正反対のことを主張したからといって、日本中から非難を浴びるようでは、もはや、民主主義というものは成立しなくなる。独裁体制を築くしかなくなる。たとえば、私は政府に異を立てて「こうせよ」とか「景気回復策を取れ」とか述べているが、そのせいで、日本中から非難を浴びることになるのかもしれない。ひょっとすると、特高に逮捕されて、拷問を受けることになるのかも。……そして、そういう体制を望んでいるのが、今の日本国民なのだ。狂気。
重ねて言う。家族が何を政府に要求しようが、それは家族の自由である。一方、政府の方針を決定するのは、閣僚の仕事である。両者は別のことだ。家族は政府の方針を決定する権限はない。実際、今回も、家族の意向は完全に無視された。なのに、家族が政府の方針に反する意見をしゃべったからといって、日本中の非難を浴びなければならないとしたら、今後、あなたも政府の方針に反することを主張したとき、日本中から非難を浴びなくてはなるまい。そこにあるのは、言論封殺だけだ。
とりあえず、人質の家族を非難する人々に言っておこう。仮に、あなたの最愛の家族が人質になったとき、「何が何でも救ってくれ」と思わずにいられるか? 「お国のためなら死んでもいい」と平気で見殺しにできるか? ……ここでは、政治家としての声が問題なのではない。人質の家族としての心が問題なのだ。もし平然と「最愛の家族が死んでもいい」と思えるようであれば、あなたはもはや人間的な愛を失っている。
(私のコメント)
私のホームページは表紙に911テロ事件の予言したとも言える日記を載せています。世界で起きていることは謎だらけで、明日のことすらわからず、現在から過去に起きた出来事すら十分に解明されていない事だらけだ。911テロ事件もその正体が明らかにされるのは数十年も先のことだろう。永久に解明されないかもしれない。
しかし分析力の鋭い人なら、公表されたニュースや事実だけからでも正体を暴くことが出来る。それが正しいことなのかは事実が公表されなければわかりません。そして毎日、報道されているニュースが何を意味しているか、それが本当なのかを見抜くためには、航海する時に必要な羅針盤のようなものが必要だ。
その羅針盤とは一般常識とか第六感とかみたいなものですが、刑事コロンボみたいになんでもないことでも、「ちょっと変だぞ」と気付く感性も必要だ。ところが政治的信条や宗教的信念に凝り固まってしまうと、観察力にフィルターがかかってしまい真実も色が付いたことしか分からなくなる。
今回起きたイラク日本人人質事件も、どうもおかしなことが多く謎が多い。ニュース記事自体も胡散臭いものも多く、謎に拍車をかけている結果になっている。そしてマスコミでは自己責任論が巻き起こっていますが、何に対する自己責任なのかがわからない。どうも日本のジャーナリスト達の常識が狂ってしまっているようだ。
イラクには今現在日本人ジャーナリストが数人しかいない。マスコミの記者達は全員引き上げてしまったし、あとは宮嶋茂樹氏や綿井健陽氏らのフリージャーナリストだけだ。彼らは危険を承知でイラクで取材をしているのだから、万が一のことを考えて周りに迷惑がかからないように手続きはとっていた。それが常識というものだ。それが出来る人が数人しかいないというのはジャーナリズムの精神が狂っているのだ。
そしてテレビ局は人質家族をテレビに引っ張り出して、涙ながらに「命を助けてください」と大キャンペーンを行った。人質家族がそう言うのは当然だ。間違っているのはテレビ局であり、日本政府と国民に対して「生命か自衛隊撤退か」と二者択一を迫ったことだ。テレビ局側は家族の言い分を放送しただけと言うつもりだろうが、日本政府はダッカ事件の前例があるから危険なのだ。
だから日本政府自身も世界の常識をわきまえていなかった時期があり危ないのだ。ということは日本国民自身の常識も世界の常識から外れていることを意味している。このような事は私が学生時代や社会人時代にいやというほど感じてきた。日本のマスコミもその例外ではなく世界とずれていることをイラク人質事件は証明した。
冒頭に紹介した南堂久史氏のコラムでもマスコミの自己責任を指摘している。ワイドショーなどを見ると政治問題に対してタレントが司会したりコメントを述べている。それが悪いというのではなくテレビ局の常識が疑われるだけだ。タレントがおかしなことを言ったところでテレビ局の責任ではなくタレントの責任と言い逃れる。只みたいなタレントだからいくらでも差し替えがきくからだ。
ただ南堂氏と私の常識とは若干のずれがあり、コラムでは「家族が何を政府に要求しようが、それは家族の自由である」と書いているが、確かに自由であるがその人の常識を疑られるだろう。だからこそ後に拘束された二人の時は政治的要求は出されなかったし、だからマスコミや世論のバッシングは低かった。
さらに南堂氏は「元人質は、記者会見の義務など、さらさらない」と書いているが、確かに義務はないが、常識としては記者会見は開いたほうがいい。今後もジャーナリストやNGOの活動のためには人々の協力を得る必要があるし理解が必要だから、そのためにも義務はないといって開かなかったら周りの反発をかうだろう。
インターネットの言論サイトやBBSなどでは様々な意見が発表されている。どれが良いか悪いかは評論できる立場ではありませんが、BBSなどでは異常な常識の持ち主が荒らしまわっている。匿名だからそうするのでしょうが、一般常識が通用しない人間が爆発的に増えているようだ。学校や家庭の教育に問題があるからなのだろう。
さらには職業モラルも失われて警察官の不祥事や教員の女子生徒へのいたずらが絶えない。それと同じようにジャーナリストたちのモラルと資質の低下があまりにも酷く、今回の人質事件でも反省の色が見られない。だからマスコミの権威は失われネット情報が主導権を握るようになって来てしまった。