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(回答先: 米軍誤射説の議論は車自体が本物か走行中銃撃が本当か抜きの空論なり 投稿者 木村愛二 日時 2004 年 5 月 10 日 10:38:07)
特報 :それでも消えない米軍誤射説
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040510/mng_____tokuho__000.shtml
昨年十一月、イラクで発生した日本人外交官殺害事件。警察庁は先月、被害車両の鑑定を中心に捜査の中間報告をした。内容から「米軍誤射の可能性は薄い」という見方が流れたが、発表の詳細や新たな事実を突き合わせると、依然、真相は霧の中だ。外務省がかたくなに情報開示を拒むのはなぜか。自衛隊派遣の最大の難関だった同事件の解明は、このまま時の砂に埋もれるのか。 (田原拓治)
イラクの抵抗勢力が使う自動小銃カラシニコフを扱った経験がある日本人男性は、被害車両の写真を見つめ、こう話し始めた。
「貫通した穴が大きすぎる。カラシニコフだともっと小さい。近くで撃てば、なおさらだ。それに弾痕が集中しすぎ。あの銃は撃った後の反動が大きく、車の窓から身を乗り出しながらだと、こうは当たらない。車内で固定するには薬きょうが飛び散り危険だ」
すでに複数の銃による銃撃は明らかになっている。「一台から前後の座席で撃つのも薬きょうの飛散から危険。となると、二台以上だが、車の後部には弾痕がない。わずかでも車間距離を保ち、これだけ的を絞れるというのは神業だ」
警察庁の発表では、車両の弾痕は三十六カ所で、うち貫通跡は二十二カ所。さらに弾の進入した角度(入射角)が測定できたのは十カ所で、九カ所が地上約一メートルの高さで、ほぼ水平から撃たれたとしている。この高さが、米軍が使用する高機動装輪車(ハンビー型)の屋根に装備された機関銃からの発砲はあり得ないという解釈につながった。
ただ、発表では被害車両にある高さ約一・一メートルのボンネットの貫通跡には触れていない。弾丸成分にもばらつきがあり、「銃器の種類、数、弾丸の種類は特定できない」と報告された。
この発表について、民主党の国会議員らによる「外交官射殺事件真相究明有志の会」は「これでは誤射説は消えない」と主張する。
メンバーの一人、首藤信彦衆院議員はこうみる。「ハンビーは屋根の固定銃のほかに座席からも撃てる。水平射撃のみでは、米軍が警告のために撃った可能性のあるボンネットへの貫通跡が説明できない。さらに被害車両が警告後、路肩に落ち傾いたと想定した場合、傾いた車両に高角度から撃てば、入射角は垂直になる」
不自然なのは、車内に残っていた弾丸の破片が少なすぎることだ。車内で発見された金属片のうち、遺体に残っていた分も含め、銃弾らしきものは四十九片で合計約三十五グラム。弾頭四発分強の重量だ。二十二発が貫通したのなら、何者かが弾丸を処理した疑いがある。それが「テロリスト」とは到底、考えられない。
■レバノン人運転手の謎
警察庁の発表後も、国会を核に真相究明の努力は続いている。だが、物証以外に状況を再検討しても疑問は増すばかりだ。特に事件の六日後に大幅に変更された米軍の発表や、被害者の一人を外務省ですら当初、「レバノン人運転手」と発表していた経緯の不自然さに十分な説明はない。
外務省の説明では、昨年十一月二十九日の事件発生当日、現地時間で午後六時四十分に米軍からバグダッドの日本大使館に「午後五時ごろ、事件が発生した」という一報があった。
しかし、この発表は十二月五日、米軍自身により根本から変わる。その内容は午後一時半ごろ、事件発生の第一報がイラク警察に入り、警察官が現場に急行。米軍は午後三時四十五分に地元の地区長から事件発生の連絡を受けた。この変更に伴い、地元目撃者の証言も「事件当時、米軍の車両を見た」から、「(被害者の車は)不審車両に囲まれていた」に変わっている。
外国通信社のイラク人現地記者は「外国人が被害に遭ったのに地元警察が米軍に連絡しなかったとは考えられない。さらに発生後、現地警察の上層部は旧政権残党の犯行と語ったが、現場方の警官は米軍の誤射だと話していた」と明かす。
被害者の奥克彦大使らから大使館への最後の連絡時間でも政府答弁は揺れる。十二月十六日の参院イラク特別委員会では「午前十一時」だったのが、二月五日には「正午ごろ」、四月五日には「十二時八分」となった。井ノ上正盛書記官の血液が付着した車内のハンディトーキーの通信記録も外務省は明かさない。
さらに午前十時出発後、約一時間置きに定時連絡を入れていたのに、正午すぎとされる事件発生後、なぜ大使館は夕方の米軍の連絡まで、二人から連絡がないことを放置していたのか。
こうしたナゾに連なるのが、「レバノン人運転手」の疑問だ。外交官二人とともに殺害されたイラク人のジャルジース・ゾラさんは日本大使館が現地採用した運転手だった。米軍は当初、車両がレバノンの日本大使館から運ばれたことを知ってか、「被害者の一人はレバノン人運転手」と日本大使館に連絡してきた。
それを現地大使館、外務省は覆さず、現地時間の深夜(日本では早朝)、日本政府は「レバノン人運転手」と発表し、米軍は翌日午前九時ごろにティクリートでの支援会合でも同じ発表を繰り返した。この経緯は「日本政府は結局、(事件の)シナリオを完全に米国に委ねたのでは」(外国通信社記者)との憶測を呼んだ。
外務省は二人がティクリートでの支援会合に出掛けたとしているが、これにも疑問が浮上した。支援会合を取材したAFP通信のパトリック・モーザー記者によると、十一月二十九日には実質討議はなかった。加えて、先月四日放映のTBS「報道特集」では、モスル駐留の米陸軍一〇一空てい師団司令官のデビッド・ペトレイアス少将は「あの日、(奥さんらが行くと聞いていた)モスルまでヘリコプターを提供すると二人に伝えたが、彼らは車で来たがった」と証言している。
この会合直後、岡本行夫前首相補佐官がシリアからモスルへの視察を予定しており、一部の外務省職員は「陸路が安全か、二人はその下見に出かけた」(岡本氏は否定)と話している。
もう一つ、米国防総省作成の事件報告書をめぐるナゾがある。渡辺周衆院議員(民主党)によると、一月の米国への超党派での議員視察の際、リチャード・ローレス国防副次官補(東アジア・太平洋担当)が「遺族に配慮し、米国も未公表だが、事件報告書は日本政府に送った」と話したという。
一月二十一日の衆院本会議で、この点をただされた小泉首相は事実上、答弁を拒否し、前代未聞の散会をめぐる起立投票になった。
■『遺族配慮』盾に非公開
「現在も情報収集中」と政府はしているが、ジャーナリストの大谷昭宏氏は「これは殺人事件で、目撃証言の収集は瞬時を争う。三週間で人間の記憶はあいまいになるのに事件後、五カ月以上たって捜査に進展などありえない」と話す。
被害車両の写真も大半は未公開だが、外務省は「遺族の心情」を盾に公開しようとしない。大谷氏は憤りを込めて、こう話す。
「家族が知りたいのは事件の真相だろう。だが、葬儀の準備などで恩を売り、被害者保護を盾に事実を隠すケースは警察でも増えている。ヤクザの義理貸しとどこが違うというのか」