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(回答先: アメリカ国旗があしらわれた西暦、無傷 投稿者 FakeTerrorWatcher 日時 2004 年 4 月 24 日 01:52:19)
マドオンナさん、FakeTerrorWatcherさん、どうもです。
前回の投稿は、ポスターに書かれた西暦にのみこだわって、私なりの見解を書いたまでで、みなさんのご意見をみて、このポスターの存在意義に疑念を持ちました。
占領反対なんて、わかりきったことで、文字、絵にしてみることで、それを見た人の連帯感を呼び起こそうとしているにしては、遠慮が見られます。
占領軍があのポスターを理解できないとは思えませんし、存在を許すには、合点がいきません。
いっそうのこと、占領軍が、内戦に持ち込みたく、仕上げたとする説は、わかりやすいです。そして、そのポスターがイスラム学者協会の壁にあるわけですね。どこかで見た台詞ですが、リバイアサンが、あっちこっちにはびこっているよう。
FakeTerrorWatcherさんの疑問に答えてませんが、ご参考になればどうぞ。
>一方、これは、まだ「その日」に対する固定的な用語がまだ形成されていない非占領当事者の話。アメリカなどはリメンバーパールハーバー、イスラエルなどはホロコーストなどで、日本は広島、長崎なのですが、これは完全に押さえられて、アメリカのパールハーバーのように機能していない。
私の知るかぎり、欧米の風習を取り入れていないアラブでは、記念日という感覚が日本ほどありません。誕生日、結婚記念日、そして、臨終のとき。これら、何周年という考え方がほとんどありません。確かに、国の独立記念日というのは、どの国にも存在しますが、一般国民は、何の日であるか意味を持っていません。建前の儀式として、政府がやっている。というのが、一番近いです。強引ですが、イラクにもこれが当てはまるとしたとき、果たして、2003年4月9日が、どれほどの意味をもつのかと疑問です。むしろ、9日は、占領側からの節目であったかもしれませんが、現在のように、戦災続いている状況は、イラク側にとって、節目として、強調される意味がほとんどないと思われます。
> 私だったら、特に何かメリットがない限りは、そここそが創意のしごころに思えるところです。
このポスターのメリットが確かに私にも見えません。
モスクのイマーン(イスラムで、説教をする人)を代弁するのか?反米むき出しのフトワ(宗教令)を出すと即消されてしまってもおかしくないイラクですから。
> そして今、アメリカが旧バース党に対する歩み寄りを進めている。ポスター製作、配布には日にちがかかります。アメリカが公言する前に手配しているわけですね。
ポスター製作は、海外でも十分できます。
国内では発禁が目に見えている雑誌なんかは、創刊号は、政府の認可を取るために、やんわりと仕上げ、実は、発禁覚悟で、つくっているので、2,3,4号も、実は、仕上げて、創刊号が、流れるとほぼ同時に、あらかじめ用意しておいた次号もばらまきます。そう、発売するのでなくて、ばら撒くのです。展示会なんかに来ているエリート社員を相手に、ただでばら撒くんです。編集者も、印刷も、すべて、欧米だったりして、政府は止めようもないんです。そんな雑誌は、当然、購入するのも危険ですから、読むに読めない。だから、配られた雑誌が、信用のある仲間内でまわし読みがされるのです。
今回のポスターも同様に、アメリカの目を気にしなくてよいなら、もっと、過激にできたのでは?というご想像ですが、はまちには、わかりかねます。
○デザインについて
垢抜けていて、アラブ風でない。というご意見をどこかで見ました。アルジャジーラのサイトやアルマナールのサイトをご覧になればわかると思いますが、アラブ世界にも、垢抜けたすてきなポスターはあるので、このポスターがイラク人の手によって作成されたことは、不思議でない。
○ポスターにあるイラクの領土の北部、つまり、ポスターの上部が、グリーンであること。イラクに限らず、アラブ諸国は、グリーンが好きです。グリーンが緑を現していることの他ならないのですが、イラクの領土を表現する際、愛国心を沸き立たせようとしている。つまり、クルド人の心情を組まれて描かれたものでない。
○2003年4月9日が意味するもの。
フセイン崩壊ととるか、アメリカの占領が開始、と、とるか。星条旗が意味するのは、そこではないですか?われわれは、1年以上も、占領下にあるぞ。と。この発想は、パレスチナの1945年、および1967年ではないでしょうか。
○VサインをNOと仕組んだ指文字。
思い出せないのですが、Vサインは、日本で意味するVサインと違う意味を持っていました。それが、NOであったという記憶がありません。あるいは、イラクでは、そういう意味があるのかもしれません。