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(回答先: Israelis shoot stone-thrower dead 投稿者 はまち 日時 2004 年 4 月 21 日 00:48:06)
先ほどその場面をTVニュースで見ました
たまたま珍しく仕事から早く帰れてTele5チャンネルの夜のニュースをつけたところ、イスラエルの戦車が石を投げる少年たちに向かって機関銃を発砲し、少年たちが砂丘のあちこちを逃げ惑っていく場面が放映されていました。死亡したと思われる少年でテレビに映っていたのは一人でしたが、血みどろになって仲間の少年に抱えられて運ばれていきました。その後それにもめげず子供たちは無駄と知りつつ石を投げつづけていました。たとえ撃ち殺されても、そうせざるを得ない、そうすることによってしか今の張り裂けそうな気持ちを処理することができない、子供たちがそこまで追い詰められているのです。
こちらでは夜の8時半か9時からがゴールデンタイムで、スペイン人たちは夜の9時前後から食事をするのが普通です。その時間帯にパレスチナやイラクでの惨状が修正無しで放映されます。機関銃に打ち抜かれ地を吹いて倒れる少年、ファルージャなどでばらばらになった手足、赤ん坊の泥まみれの死体、これが現実で、その現実を見てどう思うのかは見る側の作業でしょう。もちろん「カミカゼ」攻撃で死んだイスラエル人の姿も映りますし先日のファルージャでの米人焼き殺しも報道されていますが、数的にも圧倒的に差があります。実際の死者数はもっと差があるでしょう。
ただでさえ1898年のハバナ港での「メイン号事件」で、アメリカに「だまし討ち」の汚名を着せられたうえに帝国主義戦争に敗退した歴史的トラウマを100年以上も忘れないスペイン人が、このような中近東での現実をそれこそ茶の間で目の当たりにするのですから、どんな意識になるか、説明を要しないでしょう。これでも親米・親イスラエルでいられるのか、ということです。
同様に「だまし討ち」の汚名を着せられた上に原子の火で広島・長崎市民を生贄にされた日本なのですが・・・、何ともまあ、お人のよろしいことで。日本の「親米意識」は、マスコミが隠すことによって捏造されたものでもありますが、一般の日本人自身の責任でもあります。
日本人には伝統的に「血の穢れ」「死の穢れ」を嫌う民族性があるでしょうから、こちらと同じようなテレビ報道をすれば「どうしてこんな残酷な場面を茶の間に流すのか」という非難が轟々と沸き起こるかもしれません。先日も、日本人観光ガイドの人が言っていたことですが、観光客がこちらのテレビで、アフリカからの密航者の船が転覆して海岸にいくつかの死体が打ち上げられているのがニュースの映像になったのを見て、「なぜここのテレビはこんな場面を写すのだ。死んだ人を写さなくてもいいじゃないか。」と怒っていたそうです。
もちろん「死者の尊厳を傷つけている」ということかもしれませんが、これは現実なのです。貧困にあえぐアフリカ人たちが、地元のマフィアに巻き上げられてでもヨーロッパに行って何とかましな生活をしたい、と押し寄せてくる、その途中で亡くなる人も日常茶飯事、といってよいくらいある。それほど世界的な貧富の差が激化している証拠です。これも恐らく「緩慢な戦争」なのでしょう。そして「激しい戦争」も日常化している。その世界の現実の中にいながら、それを見ることを嫌がる。先ほど述べた民族性にしても、閉じ込められた環境の中で、極端に厳しい身分制度の元で「見ざる、言わざる、聞かざる」でしか身の安全を保つころができなかった奴隷の精神の名残であり、この奴隷根性を日本人自らが崩していかない限り、今からの世界の中で生きていくことは難しくなるのではないか、と思います。
私はこの、現実から目をそむけながら平和だの繁栄だのを云々できる多くの日本人の神経を忌み嫌います。はっきり「怠惰だ」と思います。「知的怠惰」です。マスコミが「見せない」だけでなく、「見たくない」という意識に対する「天罰」が、最後には、日本人に「見ざるを得ない現実」となって降りかかるのではないでしょうか。