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(回答先: 日本人2人がまた拘束の情報 外務省など確認急ぐ(毎日新聞) 投稿者 エンセン 日時 2004 年 4 月 15 日 02:58:29)
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悲しい出国
帰りは戦争中もドーラ浄水場で一緒だったジャーナリストの安田純平君と、やはり「盾」として共に活動していたフランス人女性のアマラとGMCをシェアして陸路アンマンへ。アマラはバグダッド陥落後にやはり支援活動として今回あわせて3度もイラクに入っている。米兵を見かける度に「F××kin' busters!」(くそったれどもめ)と罵声を浴びせていた。「イラク人は米兵とパーティーなんかしちゃだめよ!」とサラマッドに怒りをぶつけると、「誰も米兵とパーティーなんかしちゃいないさ。ただサダムがいなくなったのを喜んでいただけだよ」とサラマッド。あの戦争中に咲いた二人の恋は、砂嵐にまみれながらもまだなんとか続いているようだった。今回アマラは3日前に到着したばかりだったが、母親の急病の報せを受けて急遽私と一緒に帰ることになってしまったのだった。さらにはバグダッドを発つ直前に、容態を聞こうとかけた電話でなんと母親の訃報を受けてしまうことに。泣き崩れる彼女に何も言葉をかけてあげることが出来ずに、帰りの車の中は喪に服したように静かだった。
なにか事件があったのか、大渋滞でバグダッド市内からなかなか出ることが出来なかった。動けない車の間を縫って少年がバナナを売りに来る。関税が高くて戦前にはあまりなかったバナナだが、今ではいたるところで見かけるようになった。ハイウェイに乗ってからもしばらく渋滞が続き、ファルージャを過ぎたあたりでようやく流れ出したが、ラマディに差し掛かるあたりで今度は道の真ん中に米軍戦車が鎮座していた。よく見ると道から数百メートルほど離れたところには装甲車があり、数名の米兵がひしめきあって厳戒態勢をとっている。集まっていたイラク人によるとこの先で車輌の爆破事件があったらしい。30分から一時間ほど経って2台の軍事車輌は轟音と共に姿を消した。泣き止んだアマラは一言、「嫌な音。死の音だわ」と呟いていた。走り出すとやがて左方数百メートル先に、炎上している一般車輌が1台確認できた。
このままでは帰りの飛行機に間に合わないのではないかとも思ったが、その後は渋滞もなく順調に進み国境に到着。まだあどけなさが残る若い米兵が窓口に座っていて、パスポートに出国のスタンプを押していた。ヨルダン側の国境はこれまでになくセキュリティーチェックが厳しかったものの、アマラが事情を話して友人の係官に特別に取計らってもらったおかげで長い時間待たずに通過できた。その頃には大分アマラも元気を取り戻してくれていたので安心した。疲労のためかイラク入国前から続いていた下痢に移動中は悩まされながらも、なんとか帰りの飛行機には間に合うことが出来て、10月27日予定通り無事帰国した。
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