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(回答先: 日本は参戦してるの?戦争中? 投稿者 新参者 日時 2004 年 4 月 19 日 17:03:58)
テレビに出て、許された僅かな時間の中で発言する以上、視聴者に誤解される危険は覚悟の上です。ただ、誤解を解く機会があれば、その機会を活用して誤解を解かなくてはならないでしょう。私は、米国同時多発テロ事件以来一貫して、「対テロ戦争」への日本の参加に反対してきました。そのことは、以下に転載する拙著『よくわかるイスラム原理主義のしくみ』(中経出版刊)の冒頭部分(はじめに)をお読みいただければご理解いただけることと思います。私が「日本も戦争に加わっているという自覚が政府にも国民にもない」と批判し続けているのは、自衛隊派兵を支持する意図などでは毛頭なく、むしろイラク戦争前に「戦後復興は日本の得意分野だから任せてくれ」と米国大統領に約束し、開戦へのハードルをひとつ低くした首相を持つ国の国民として、いったいイラク戦争開戦の責任が日本にはないのだろうか、そういう認識でイラク戦争を語っていていいのだろうか、という憤りから出ている行動に他なりません。この主張については、青土社から1年前に出た『現代思想臨時増刊 特集イラク戦争 中東研究者が鳴らす警鐘』所収の拙稿をご覧いただければ幸いです。最後に一言付け加えさせていただけば、今回このサイトで起きた誤解は私の言葉足らずが招いたものと確信していますが、現実にはニュースで安田純平さんらが行方不明になった事件について発したコメント(犯行グループから何の連絡も要求もないので、誘拐事件とは断定できない)が高遠さんたち3人の人質事件に関する発言として引用され、飯塚も自作自演を疑っていた、とされるなど無茶苦茶な引用をしてくれるサイトも存在するのが実情です。しかも、こういうサイトには誤解を解くための書き込み欄がないわけで、当サイトが書き込み欄を持っていてくれたことに感謝する次第です。以下、『よくわかるイスラム原理主義のしくみ』より。
九月一一日に起きた米同時多発テロは世界中に大きな衝撃を与えた。米国政府は間もなく、かねてより米国民に対する無差別攻撃を公言していたイスラム原理主義者ウサマ・ビンラディンを首謀者と断定。十月八日には、彼をかくまうタリバンが実効支配するアフガニスタンへの空爆に踏み切っている。日本政府も米国の立場を全面的に支持し、「テロリストとの戦争」に加わった。
しかし、同時多発テロ以降、日本で繰り広げられた議論を見ると、大半がイスラム原理主義者が対米テロに走る原因すら理解しておらず、自分の無知を覆い隠すためか、「テロリストは憎むべき存在であり、彼らの論理など知る必要はない」といった論調に終始している。専門家が報道機関に頼まれてイスラム原理主義者によるテロの論理を解説するだけで、残忍なテロリストの擁護・代弁者と見なされ、嫌がらせを受けるような状況なのである。
けれども戦争を始めるにあたって、「敵」を知る努力すら放棄するというのは、果たして正しい態度なのだろうか。ふつう戦争を始める時には、敵がなぜ戦うのかを研究して情報戦を有利に進めるとか、敵の戦力を分析してできるだけ味方の損害を少なく留めるとか、不必要に敵の数を増やさないなどの政治的な努力が不可欠なはずである。「テロリストとの戦争」を強く支持する論者の中には、反対派を「平和ボケ」と罵った輩もいたが、敵の研究もせず「テロリスト憎むべし」という信条だけで戦争に加わろうとする人々こそ「超平和ボケ」なのではあるまいか。
本書はこうした考えから、イスラム原理主義による対米「テロ」の論理と背景を明らかにするため、緊急出版された。監著者自身は、ビンラディンが真犯人かどうか、いまだに確信を持てないでいるが、とにかく「戦争」は始まってしまい、日本は参戦してしまったのである。CIAが自ら認めているとおり、「敵」の反撃は必至であり、わが国も損害を最小限に食い止める努力をしなくてはならない。その中には、いまだ米国が示した「証拠」に納得できず(NATOをはじめとする同盟国の政府しか「証拠」を見ていないのだから当然といえば当然なのだが)、米国による「制裁」を、テロがあればまずイスラム教徒を疑う態度に象徴される先進国の偏見の賜物ではないか、と疑っている一四億のふつうのイスラム教徒への配慮も含まれる。米国による「報復」を根拠のない「侵略」ととらえれば、ふつうのイスラム教徒ですら米国とその同盟国を敵視することになりかねない。
実際、同時多発テロにあったブッシュ政権は、政権維持のためにも迅速にどこかに報復する必要があった。報復せずに二度目のテロが起こった場合、政権はその無策を批判され、確実に崩壊するからである。そして現下の国際情勢を考えた場合、米国が躊躇なく攻撃できる相手は、ビンラディンと彼をかくまうタリバンが実効支配するアフガニスタンしかなかった。ブッシュ政権は二度目のテロが起こる前に迅速にどこかを攻撃しなくてはならない。ビンラディンとタリバンはその犠牲となって確たる証拠もなく攻撃されたのではないか。そう考えるイスラム教徒はたくさんいる。現実問題として、たとえ半年後、一年後に意外な所から真犯人が現れたとしても、米国民も同盟国もブッシュ政権を批判する可能性はない。ビンラディンが米国にとって「最悪のテロリスト」であるのは事実だからである。
いずれにせよ、日本はビンラディンを支持するイスラム原理主義者を相手に戦うことに決めた。よって、ここではまず簡単にビンラディンが対米テロに走った理由をまとめておく(詳しくは本書の第一章、第二章を参照されたい)。話は一九七九年までさかのぼる。この年の暮れ、突如ソ連軍がアフガニスタンに侵攻した。神の命令であるイスラム法の古典規定を国法とし、厳格に適用しようとするイスラム原理主義者にとって、この侵攻は到底容認できるものではなく、各地から義勇兵がアフガニスタンに集結した。イスラム法の古典規定によれば、「武装した異教徒」がイスラムの支配する土地に現れた場合、すべての成人男子は侵略者を撃退すべく、生命・財産・言論などを捧げて抵抗しなくてはならない。これをふつう「防衛ジハード」と呼ぶが、イスラム原理主義国家を標榜するサウジアラビアに育ったビン・ラディンも、当然ながらこの思想を共有しており、私財を投じてアフガニスタンでのジハードに加わったのである。
およそ一○年後ソ連軍は撤退し、多くの義勇兵は祖国に帰還したが、ビン・ラディンは他の地域への「侵略者」とも戦うべきだと主張し、義勇兵組織アルカイダを組織した。間もなく湾岸戦争が起こり、米国という新たな「侵略者」が現れる。サウジアラビアに軍を置き、イラクへの制裁を続け、もうひとつの「侵略者」イスラエルを支援する米国との戦いはこうして彼の新たなジハードとなったのである。とはいえ、彼の敵は米国だけではない。現にアルカイダはカシミールでいまも「侵略者」インド軍と戦っているし、米軍が中東から撤退し、イスラエル支援から手を引けば対米テロは放棄されるものの、チェチェンや新彊ウイグル自治区をめぐってロシアや中国との戦いが始まるのは確実である。ビン・ラディンという人間は「防衛ジハード」の熱情に駆られた単純な「愛国者」と言っていいかもしれない。
ここに明らかなように、ビンラディンによる対米テロの唯一の動機は米国の中東政策への反発にある。むろん、こうした事実を米国政府は決して認めない。認めれば、中東政策の失敗を非難されるばかりか、政策の変更自体、テロリストの脅しに屈したことになってしまい、政策決定の自由を奪われることになるからである。いかなる事情があっても、米国はテロリストの脅しに屈するようなまねはできない。しかし現実にはパレスチナ問題が、イスラム原理主義者による対米テロの最大の原因であることは疑う余地がない。このため、第三章ではパレスチナ問題の経緯をやや詳しく追ってみることにした。
パレスチナ問題はもともと、パレスチナに移住した「ユダヤ人」とすでにこの地に暮らしていたアラブ人(のちにパレスチナ人と呼ばれるようになる)が土地と職を奪い合うところから始まった。この対立の本当の理由を隠し通すために、イギリスとユダヤ人入植者によって産み出されたのが、「アラブ・イスラエル五千年の対立」とか「ユダヤ教・イスラム千年の戦い」といった二○世紀最大の大嘘である。両者の対立は一九四八年にイスラエルが建国されると、アラブ諸国とイスラエル国家の四度にわたる熱い戦争へと移行し、一九七○年代半ば以降は、パレスチナ人とイスラエル国家の対立へと姿を変えていった。
状況をさらに複雑にしたのは、同じく一九七○年代半ばから顕在化したイスラム原理主義とユダヤ教原理主義(宗教的シオニズム)の高揚である。イスラム原理主義者はイスラエルの建国以前からユダヤ人移民を「侵略者」と見て、第一次中東戦争にも一部が義勇兵として参戦していたが、一九七○年代半ば以降はパレスチナ問題を主要な課題と位置づけて本格的な「防衛ジハード」を展開し始めた。こうして、本来宗教対立の色彩を持たなかったパレスチナ問題は、「イスラムとユダヤ教の対立」へと変貌し始めたのである。これにともない、社会主義や世俗的民族主義に立ってイスラエルとの戦いを「帝国主義・新植民主義との闘争」と位置づけていたPLOから、イスラム原理主義団体ハマスへとパレスチナ闘争の主役も移行した。ビンラディンもこうした変化の中でパレスチナに注目し、遠く離れたアフガニスタンから「防衛ジハード」を展開することになったのである。
ただし、現にパレスチナで戦っている人々にとって、米国本土にまで戦線を広げ、米国市民への無差別攻撃をも公言しているビンラディンのテロが迷惑なことも確かである。現に彼がパレスチナの大義を唱えることで、帰還と独立を目指すパレスチナ人自身による闘争までが「テロ」として扱われる危険が増大しつつある。「テロ」ということばは一種のレッテル貼りのために用いられることばで、学問的には定義できない。国家を単位としない戦闘行為は時と場合によってレジスタンスと呼ばれたり、テロと呼ばれたりする。ナチスから見ればヨーロッパ各地のレジスタンスはテロに他ならなかったし、ソ連軍と戦っていた時のビンラディンはソ連にとってテロリストであっても、米国にとっては「自由の戦士」だった。ビンラディンの対米テロによって、パレスチナ人の「レジスタンス」がテロというレッテルを貼られるようなことになれば、それは決してパレスチナ人のためにならない。本書では読者の読みやすさを考え、あえてテロということばを排除していないが、「テロ」ということばが抱える右のような問題点はあらかじめご承知おき願いたいと思う。
なお第四章では、世界の対テロ組織を概観するとともに、日本政府の対応がはらむ問題点について若干の考察を試みた。本書が日本人一般のイスラム原理主義の闘争論理に対する理解を深めることができれば幸いである。
飯塚正人