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(回答先: 陸自宿営地近くの着弾、りゅう弾と発煙弾 [読売新聞] 投稿者 あっしら 日時 2004 年 4 月 09 日 03:19:57)
陸上自衛隊宿営地を狙ったとみられる砲撃事件で、陸自は8日、宿営地北側で2発の着弾を確認した。現地で破裂音は3回聞こえており、陸自は残り1発についても捜索を続け、攻撃側の意図や使われた武器の種類について分析を急ぐ。砲撃直後、装甲車などに退避していた派遣隊員は宿営地内での給水作業を同日午前、安全確認の後、開始した。
陸自によると、1発目の着弾痕は派遣部隊が給水活動に使っている運河と宿営地の中間地点で発見された。付近には砲弾の一部があり、「黄リン」が燃えたような跡があり、陸自では使われたのは発煙弾と断定。破片の形状、大きさから弾の直径は60〜80ミリと推定されるという。迫撃砲かロケット弾かは、依然不明。
また、2発目の着弾痕は、宿営地から約1キロ北の運河の対岸で見つかった。こちらは榴(りゅう)弾とみられる。さらに、宿営地から約3キロ北北東の砂漠地帯で迫撃砲を発射する際に使われる「底板」と呼ばれる部品や弾薬箱などの遺留品がみつかった。これが今回使われたものかについては確認中という。
発煙弾は、主に発生させた煙で敵の視野を遮ったり自軍の動きを隠すために使われ、殺傷目的では使用されない。また、榴弾は爆発の破片で、広い範囲で相手を殺傷する。二つの種類の異なる砲弾が離れた場所に着弾したことになるが、陸自幹部は「不思議な話だ」として、攻撃相手の意図をつかみかねている。
砲撃があったのは真夜中の7日午後11時13分から14分にかけて。隊員たちは一時、退避ごうや装甲車の中に退避したが、翌朝6時半になって、警備を強化したあと、宿営地内での活動を開始した。
91年のペルシャ湾への海自掃海艇派遣、92年のカンボジアPKO陸自派遣から始まり、10年以上の実績を重ねた自衛隊の海外派遣活動で、今回初めて「標的」となった。8日の定例会見で先崎一陸上幕僚長は「油断できない状況下で人道復興支援任務をやらざるを得ない。ガードを固めながら、我々の本来の任務を達成するかは非常に厳しい。その分、やりがいがある」と話した。
【滝野隆浩、藤生竹志】
毎日新聞 2004年4月9日 1時32分
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/afro-ocea/news/20040409k0000m030162000c.html