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イスラム過激派グループによるとみられる日本人3人の人質事件は、イラク・サマワの自衛隊宿営地付近で起きた発煙弾攻撃の衝撃が冷めやらない政府をさらに震撼(しんかん)させた。犯人グループは衛星テレビ「アルジャジーラ」を通じて人質の映像を見せつけ、「自衛隊を撤退させなければ人質を殺害する」と脅迫。8日夜、記者会見した福田康夫官房長官は要求を拒否する考えを表明したものの、人命にかかわるだけに難しい対応を迫られている。「イラク復興への国際協力」との論理で自衛隊派遣に踏み切った小泉純一郎首相は政権発足以来、最大の試練を迎えた。【人羅格(平田崇浩中川佳昭】)
8日午後8時58分。小泉首相は「イラクで邦人3人が誘拐されたようだが」との記者の質問に無言のまま東京・東五反田の首相公邸に入った。
外務省によると、首相には午後6時45分ごろに同省から事件の報告が入った。自民党の安倍晋三幹事長らとの会食が始まる直前とみられるが、首相は会食中にイラクの話題には触れず、同8時40分過ぎに退席した。首相周辺によると、公邸で福田康夫官房長官らに指示を出していたという。
首相への報告に先立つ午後6時20分、中東の衛星テレビ・アルジャジーラが外務省に「3人が拘束されたというビデオを放送する」と通告してきたのが、政府が動き出す端緒だった。
福田官房長官は同8時20分ごろに首相官邸入り。外交・安全保障の担当者も次々と緊急招集をかけられ、堂道秀明・外務省中東アフリカ局長、二橋正弘官房副長官、野田健危機管理監、柳沢協二官房副長官補らが情報収集に追われた。この日はサマワの宿営地近くに着弾する事態があり、二橋副長官は外務省、防衛庁幹部と終日、情報収集にあたっていた。
今回のように民間人を標的にした犯行は、イラクへの自衛隊派遣で政府が最も懸念した事態だった。外務省は邦人に退避勧告を出していたが、強制力はない。ある防衛庁幹部は「日本人を人質に取られて自衛隊撤退を要求されるというシミュレーションはしていなかった」と打ち明けた。
今後、政府は米軍とも連携しながら、警察庁の「国際テロ緊急展開チーム」を派遣して犯行グループとの交渉や人質救出にあたるが、政府筋は「犯人はかなりマイナーなグループで交渉は難しいのではないか」と早くも危ぶんでいる。
外務省では、8日午後7時ごろから、川口順子外相や竹内行夫事務次官ら幹部が省内のオペレーションルームにかけつけた。外相は同ルームで「冷静に」と繰り返していたという。
外務省幹部の一人は「自衛隊が撤退する選択肢はありえない。物理的にも3日以内に撤退するのは無理だ。ダッカ・ハイジャック事件とは性格が違う」と語る一方で、「自衛隊員以外の民間人が巻き込まれるのは想定外で最悪の事態」と苦渋の表情をにじませた。
午後11時過ぎから記者会見した川口外相は「国際社会の一員として、イラクの復興支援を進めてきた。このような我が国の努力にもかかわらず、今回の事件が発生したことは極めて遺憾」と犯行を非難した。
同省地下1階のオペレーションルームでは廊下に職員が立って報道陣をシャットアウトした。鹿取克章領事移住部長は「報道されている以上の情報が何もない。どこに拘束されているのかもわからない。グループと接触する手立てもない」と嘆息するばかりだった。
■ ■ ■
政府は福田官房長官の緊急記者会見を通して、犯人側が要求している自衛隊の撤退について「理由はない」とはねつけた。国内で自衛隊派遣自体の賛否が分かれる中、交渉に応じる余地を残せば世論が決定的に分裂する恐れがあるため、小泉政権としてあえて原則を明確にしたとみられる。
イラク全体の治安が急速に悪化していることや、スペインでの列車爆破テロを受けて、政府は自衛隊の安全確保に万全を期すと同時に、国内テロへの警戒を強めてきた。国際テロ組織アルカイダを名乗るグループによる日本へのテロ予告もあり、イラクに派遣された自衛隊への直接攻撃だけでなく、日本が関係する各方面でのテロを警戒しなければならなくなっていた。
しかし、イラクにいる民間人を標的にして自衛隊の撤退を迫る今回のような手口は、政府内で十分に対策が練られた形跡がない。民間人が拘束されるのは、武装した自衛隊が直接攻撃される事態以上に対処が難しい側面を持っている。
今回の対処方針作りにあたって、小泉首相や福田長官の念頭にあったとみられるのは、福田長官の実父である故・福田赳夫氏が首相の際に直面した77年の日本赤軍による「ダッカ日航機ハイジャック事件」だ。結局、乗客解放と引き換えにメンバーを釈放した事態を繰り返せば、結果的に「テロに屈しない」と強調した小泉首相のこれまでの姿勢は水泡に帰す。これは、小泉政権にとって、事実上受け入れられない判断だ。
今後の交渉は難航が予想されるうえ、実際に人質への危害が切迫した場合に政府が苦しい立場に置かれる可能性は依然として残っている。イラクの治安情勢が急速に悪化する中、小泉政権のイラク復興支援は不透明感を増している。
■イラクへ派遣した自衛隊の撤退などに関する小泉純一郎首相の主な発言
03年12月9日 (イラクの治安は)危険性を認識しながら、その対応をどうするかだ。(派遣した自衛隊に死傷者が出た場合)その時点で自分で判断する=自衛隊派遣に関する基本計画が閣議決定された後の記者会見で。
04年2月9日 万一、法律(イラク特措法)の想定にない事態が生じた場合は撤退ということも考慮に入れないといけない。その点についての責任は私も十分認識している=参院イラク復興特別委員会で。
同3月19日(スペインの列車テロの後、日本が攻撃対象に名指しされたことについて)目的達成のためには手段を選ばない、この卑劣なテロリストの脅しに乗っちゃいけない=官邸で記者団に。
◇「日本標的」繰り返され 過去の事件
日本人を標的とした海外での人質事件で、日本政府は77年9月、日本赤軍がインドのボンベイ上空でパリ発東京行きの日航機(乗員・乗客156人)を乗っ取り、ダッカ空港に強制着陸させた事件で、犯人グループが人質との交換として、日本国内で拘置中だった日本赤軍メンバーら9人の釈放と身代金600万ドルの要求を、超法規的措置として受け入れた。
これに対して、77年10月、西ドイツのルフトハンザ機がハイジャックされた事件では、当時の西ドイツ政府はテロリスト13人の釈放要求を退け、ソマリアの首都、モガディシオ空港で対テロ特殊部隊を投入し、犯人4人のうち3人を射殺、乗員・乗客86人のうち12人が負傷した。
ダッカ事件で福田赳夫首相(当時)は「人命は地球より重い」などと語り、強硬策を取った西ドイツ政府との差が際立った。人命尊重を最優先させ、犯人グループの要求に応じた当時の日本政府の対応が「弱腰」との批判を浴びた教訓から、今回の事件では、あくまでも要求には屈しないとの立場を明確にしたとみられる。
一方、96年12月に起きたペルーの日本大使公邸の占拠事件では、武装グループMRTAは天皇誕生日を祝うレセプションに参加していた招待客など約600人を人質にした。拘束は長期間に及んだが、約4カ月後の97年4月、ペルーの陸軍空軍特殊部隊が公邸内に突入、最後まで拘束されていた日本人を含む71人を救出。武装グループ14人は全員死亡、ペルー治安部隊の2人も死亡した。この突入の情報は事前に日本政府には知らされていなかった。
毎日新聞 2004年4月9日 1時59分
毎日新聞速報から
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/afro-ocea/news/20040409k0000m040168000c.html