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(回答先: 4/1衆院イラク委員会民主首藤議員パソコン証拠隠滅まで肉薄質問 投稿者 木村愛二 日時 2004 年 4 月 08 日 12:04:45)
(イラク外交官射殺:4月1日民主党の4人が一斉追及していました。
http://www.asyura2.com/0403/war50/msg/575.html )で
「藤田幸久議員は、イラク人運転手のジョルジース・スレイマーン・ズーラ氏の死亡確認は警備会社が行った。息子さんは、翌日、現地の専門家と一緒に危険なティクリートまで行っているが、大使館員は行かなかった。よって、遺族たるズーラ氏の息子さんは危険な目に会ってもいいが、大使館員は危険な目に遭ってはいけないということになる。国籍によって命の重さが違うのか。息子さんが行きたいと言ったから行かせたと堂道中東局長がいうなら、外務省の他の職員が自分の意思で各自行くのも自由なはず。翌日息子さんが現地に赴いていながら(上村臨時大使)職員が2月29日まで行ってないのはあまりにもおかしい。これは衝撃的な新事実だ、という趣旨のことを述べていました」に投稿したのですが藤田幸久議員の会議録が出ましたので、転載させて頂きます。
○斉藤委員長 次に、藤田幸久君。
○藤田(幸)委員 きょうは田嶋議員、そして先日は若林議員、参議院ですが、それから今の首藤議員の外交官の殺害事件についての質問に続きまして、私も同じテーマについて質問をさせていただきたいと思います。
今、田嶋議員ほかが中立的な立場でという前提のもとで質問いたしましたが、私は、きょうは、むしろ外務省の職員の立場で質問したいと思っております。したがって、主に堂道局長にお伺いをしたいと思います。
もし仮に、自衛隊の方に事故が起きていたといたしますと、石破長官であったならば恐らく現地に行かないかもしれないけれども、中谷長官であったならば、同じ自分の自衛隊の仲間に何かあったといったのであるならば、恐らく中谷長官は飛んでいったのではないかというようなことを想像しながら、外務省の職員の皆さんが、恐らく何千人の方々が、同じ仲間の外交官が殺されたということに関して、この数カ月間、じくじたる思いで、良心のいろいろな意味での傷を負いながら、そして、何らかの形でぜひ真実を解明したいという思いで頑張っておられるのではないか。
そうした中で、堂道局長は、部下であった奥さんがこういう形で命、あるいは井ノ上さんも亡くなったわけでございますけれども、こういった事件があって、まず、外務省あるいは政府の人間が現場に飛んでいっていない。そのことについて、これからやがていろいろな真相が解明されていくに当たって、堂道さん自身が例えばここで答えたということが後で繰り返し繰り返しテレビでも放映される可能性がある、そして、局長の後ろには数千人の外交官の方々が大変な思いでいらっしゃるという前提の中で、ぜひ正直に答えていただきたいと思っています。
まず、こういった中で外務省の局長としてどういう気持ちを持っていらっしゃるかということと、なぜ現場に政府の人間が行かなかったかということについて、お答えをいただきたいと思います。
○堂道政府参考人 お答え申し上げます。
この事件につきましては、非常に心を痛める事件でございました。特に、最初、日本人らしき者が殺害されたという報告がございまして、他方、運転手については、レバノン人の運転手ということで必ずしも情報は正確ではなかったわけでございますけれども、私ども、ティクリートにその両名が向かっているということは承知しておりましたし、この一報があってから、携帯で連絡を試みても全然通じないということで、空白の六時間とありますが、その後も、両名が最終的に身元が確認されるまでの時間というのは、大変心を痛めるときでございました。またさらに、御遺体の身元を確認するものが何もなかったということでございまして、それにかなりの時間を要したわけでございます。
私どもとしましては、この一報を受けましてから、直ちに大使館とも相談いたしまして、現地に入るということについても当然検討しております。もう夜に近くなっている時間でございましたけれども、どういうふうに行けるのかということについて、米軍の協力も得て、どういうふうに行けるかというのを真剣に検討したわけでございます。
しかしながら、現地におきましては、まず、車で向かう、ヘリコプターで向かうということについても、今危険だということで、動かない方がいいというアドバイスがございました。さらに、御遺体の搬送についても至急取り組むべき問題でございました。
こういうことを同時にやるということで、極めて少人数の中で上村臨時代理大使を初めとしてやったわけでございますが、当初すぐに館員が行けなかったということについてのじくじたる思いというのは上村臨時大使も私どもも共有しておりますが、しかし、具体的に……(藤田(幸)委員「その後行っていないんでしょう、現場に」と呼ぶ)その後、韓国の人たちがやられたということもありますように、やはり危険な状況だったことは間違いないと思います。
その後、行かなかったか、行っていないかどうかにつきましては、上村臨時大使がさらに現地に行って今までの調査の裏づけ等確認をしているところであります。
○藤田(幸)委員 まず、先ほどの上村臨時大使の話は、ティクリートに行ったという話はありましたが、現場に行ったという話は先ほどの答弁になかったと思います。
現場に日本政府の人間が最初にいつ行ったのか、今までに何回行っているのか、それを答えてください。
上村臨時大使は行っていないわけでしょう。ティクリートで米軍関係者等と会ったけれども、現場には行っているという先ほど答弁はなかった。簡潔に答えてください。
○堂道政府参考人 お答え申します。
上村臨時大使は、ティクリートにおきますイラクの警察、米軍及び現場にも訪れております。
○藤田(幸)委員 まず最初に日本政府で現場に行ったのはだれか、それから上村臨時大使が現場に行ったのはいつですか。簡潔に答えてください。
○堂道政府参考人 政府として大使館員が行ったのは上村臨時大使が初めてでございまして、二月でございます。
○藤田(幸)委員 二月の何日ですか。
○堂道政府参考人 二月の二十九日です。
○藤田(幸)委員 二次災害とかいう話がありましたが、私は、思い出しますけれども、タリバンに日本のジャーナリストが数年前に拘束をされたことがありますが、そのときに、当時の沼田パキスタン大使は、私は直接お話を伺いましたけれども、パキスタンの兵士数十名を雇って、前後、トラックだったと思いますが、軍用トラックに守られて、沼田大使自身が日本の民間人の人質の救出に出ているんです。
ですから、二次災害とかいろいろ話ありましたが、先ほどの韓国の例もありますけれども、行こうと思って行けないはずはないと思うんです。要するに、行く意思がなかった、あるいは行ってはまずいと。だから、二月の二十九日まで臨時代理大使自身が現場に行っていない。どう考えたっておかしいじゃないですか。そのことについて答えてください。
○堂道政府参考人 お答え申し上げます。
意思がなかったということはございません。いつでも現場に行こうということはございました。
一つだけ御説明申し上げたいのでございますが、この十一月から今日に至るまで、特に十一月でございますけれども、我が方の大使館が置かれた状況ということについて一つ申し上げたいと思います。
十一月には、大使館周辺で銃撃事件が発生するなど、極めて厳しい環境のもとにございました。個々の館員については、安全確保に最大限の注意を払う必要が生じていたということでございまして、館員の数についても、この脅威に応じてかなり削減するということも必要だった状況がございます。この点については詳しく一つ一つの例を申し上げるわけにはいきませんが、そういう状況にあって最善を、車の輸送もそうでございますけれども、最善を尽くしたというふうに認識しております。
○藤田(幸)委員 その二月二十九日まで臨時代理大使が現場に行かなかったということに関する意思決定はだれがされましたか。その中には、大臣と官房長官、総理も含まれた意思決定だったでしょうか。簡潔に答えてください。
○堂道政府参考人 お答え申し上げます。
上村臨時大使が行くに当たりましては、当然、安全の問題がございましたので、私どもは、大使館と相談するとともに、大臣も含めて御相談の上、行ったということでございます。
○藤田(幸)委員 いや、ですから、官邸、総理も、意思決定、二月二十九日、臨時代理大使が行くことにかかわっていたか、それから、それまでだれも行かないことについて、官邸、総理も含めて意思決定にかかわっておられたか、簡潔に答えてください。
○堂道政府参考人 この事件をめぐる状況及び大使館をめぐる状況については、官邸も含めて逐一御報告をしてございます。
○藤田(幸)委員 いろんな不可解なことがある一つに、お二人の日本の外交官と、もう一人運転手の方、ジョルジース・ゾラという方が亡くなられましたが、まず、この運転手の方の司法解剖は行ったのか、だれがどこで行ったのか、それから、その結果報告について政府はどう把握しておられるのか、聞かせてください。
○堂道政府参考人 この亡くなられたジョルジース・スレイマーン・ズラ、職員でございますが、この司法解剖については行われておりません。この職員の家族が遺体の司法解剖を拒否したためでございます。
なお、その死因につきましては、ティクリート病院の医師が発行した死亡診断書によれば、死因は銃創によるものとされております。
○藤田(幸)委員 この運転手さんの死亡確認は、襲撃があった翌日の現地時間で夕方で、現地の警備会社が死亡確認を行ったというふうに外務省の資料にありますが、であるならば、奥さん、井ノ上さんの死亡確認は、だれが、いつ行ったんでしょうか。
○堂道政府参考人 お答え申し上げます。
奥、井ノ上両名の死亡確認は、現地のティクリート病院の医者が行ったというふうに承知しております。
○藤田(幸)委員 ということは、運転手さんは病院にいなかった、したがって、警備会社が死亡確認をしたということですか。
○堂道政府参考人 お答え申し上げます。
先生御指摘の外務省の資料というのはちょっと手元にないのでございますが、私ども、先ほど御答弁申し上げましたとおり、この職員、運転手の死因についてはティクリート病院の医師が発行した死亡診断書で確認しておる、現地にはこの運転手さんの息子さんも同行されたというふうに承知しております。
○藤田(幸)委員 その病院の医師から外務省には、では、どうやって、だれが通報したんですか。
○堂道政府参考人 この運転手さんについては、今申し上げましたとおり、御子息が、私どもが派遣したイラク人の専門家と同行いたしまして、病院の方に行っております。それで、息子さんも運転手さんの死亡を確認したということでございまして、その旨については、私どもが派遣したイラク人の専門家から通報があるとともに、また、その息子さんからも確認している、こういう次第であります。
○藤田(幸)委員 ということは、外務省、大使館が雇ったそのイラク人専門家の人と、もう翌日、二十四時間後ぐらいには、この運転手さんの息子さんですね、恐らくバグダッドからだろうと思うんですけれども、現地に入っているんじゃないんですか。そのときに大使館員は行っていないんですか。つまり、専門家に翌日行かせているんでしょう、その運転手さんの息子さんと。そのときにだれも行っていないんですか、大使館の人は。
それで、さっきから言っているように、危ないと言っているけれども、危ないと言っているときに遺族を行かせているんですか。おたくの職員じゃないですか。職員の息子を危ないというときに行かせていながら、大使館の人は行っていないというのはおかしいじゃないですか。
○堂道政府参考人 お答え申し上げます。
先ほども御答弁申しましたとおり、私どもとしても、できれば行きたかったということでございます。
大使館については、非常に少数の人数で活動しておりまして、第一に、現場に行くかどうかという判断、第二に、御遺体の移送等今後とるべき措置の準備、こういうことがございました。そこで、この少数の中でどうするかということを検討いたしまして、大使館員については直ちに行かない、ただし、私ども、現場で何があったのか、いろいろ確認しなきゃいけないことがたくさんあるということでございまして、私どもとの関係があるイラク人の専門家を、また彼はティクリートの周辺の出身ということもございましたので、派遣して、その際にこの運転手さんの息子さんも同時に、自分も行きたいということで同行した、こういう次第であります。
○藤田(幸)委員 息子さんは行きたいと言ったから行かせて、外務省の皆さんは行きたいと思ったけれども行かなかったというのは、矛盾しているんじゃないですか。そして、その翌日、おたくの職員の方の息子さんは行かせているのに大使館員は行かなかった。仮にその日が危ないにしても、遺体の搬送のことが最優先だと考えたにしても、それから二月の二十九日まで調査にも何も大使館の人間が行っていないというのは余りにもおかしいじゃないですか。
おたくの職員ですね、この運転手さんは。そうすると、国籍あるいは待遇によって命の重さが違うということですか。あるいは、その遺族の方が行っているということは、その安全について、仮にその方が、息子さんが行くと言ったら勝手に行かせていいというんだったらば、外務省の皆さんだって、自分の仲間の奥が殺されたんだから、行こうと思う人が志願で行きたいならば行かせるということになるんじゃないですか。余りにもおかしいじゃないですか。遺族の息子さんは翌日行かせておきながら、それから数カ月の間大使館の人が現場に行っていないということは、余りにおかしいじゃないですか。
ちょっと委員長、これは新しい事実で、実際に、遺族の、職員の息子さんは翌日行かせていながら、外務省の人間が数カ月行っていないというのは、これは余りにおかしな事実でございますので、これはやはり上村臨時大使を召喚するということを改めて私からも要求しておきたいと思います。
それで、時間がないので次に移りますけれども、なぜこういったことを質問したかといいますと、警察庁にお聞きしたいと思いますけれども、結局、いろいろな機材がないので、バグダッドあるいはティクリート、この現場まで行かなかったという話がありますが、先ほどの首藤さんの質問とも関連があるんですけれども、捜査をする場合に、何か成分を調査するとかいう話ばかり出ていますけれども、捜査にとって重要なことは、我が国の外交官が命を失って、殺されているわけですから、犯人を突きとめるということが捜査のポイントでしょう。であるならば、すぐ現場に行くということ、仮に現場に行けないならば、何と何をすぐに調べる、あるいは、現場にいないということは、そのいろいろな捜査の可能性が失われるんだろうと思うんです。
時間がないので、幾つか端的に質問しますけれども、まず、捜査権は日本にあるかどうかということが一つ。二つ目は、現場に足を運ばないことによって生じる捜査の損失について、いろいろな可能性があると思いますが、それを簡潔に答えてください。
○瀬川政府参考人 まず、捜査権の問題でございますけれども、これは日本にも捜査権はあるだろうと思いますけれども、これは国外、イラク国内における犯罪でございますので、これは当然、第一義的には現地のイラクの捜査機関が主体となって行うべきものであるということだろうと思います。
それから、我が国が捜査権を行使するかどうかということになりますと、その国の主権との衝突といいますか、という問題が生じるということでございまして、一義的には、そういう意味からも、当該国の捜査機関が主体となって行うということだろうと思います。
それから、現地に行けば何が得られるか、行かなければ捜査資料が得られないのではないかということでございますけれども、それは現地で捜査をするということが捜査上は最も有効だろうというふうに思いますけれども、そういった捜査権をめぐる問題でございますとか現地の治安情勢の中で、我々の意図するような真相究明のための活動が現実にそこで安全かつ円滑に行えるのか、効果的に行えるのかというようなこともあろうかと思いますし、それから、車両の検証等あるいは御遺体の鑑定等々につきましては、これは、でき得れば日本国内で行う方が、体制面におきましてもあるいは装備資機材の面におきましても、それは最良の結果が得られるだろう等々を考慮したところでございます。
○藤田(幸)委員 今、最後の部分ですけれども、犯人を捜すということが一番の目的じゃないんですか、つまり、成分を分析するのは日本が一番適しているということが目的ではなくて。
それから、時間が重要なんじゃないですか。時間というものと現場というものが重要じゃないかということと、先ほどの外務省の説明との整合性の問題ですが、警察庁の方から外務省に対して、こういった資料を集めてほしい、例えば、現場の写真があるのか、今までは遺体の関係と車両の関係ですけれども、現場の地図があって、写真があって、そして地域にどんな方がいてとかいうことを恐らく要請をされたんだろうと思うんですけれども、そんな要請をいつされたのか。
それから、捜査権は日本にもあるということでしたが、警察庁側から、実際に犯人を突きとめるということに関して、やはり早く行くということ、それからこういったことが必要だということについて外務省側に要求したことはないのか。その点についてお答えください。
○瀬川政府参考人 警察といたしましても、本事件は極めて重要かつ重大な事案だと考えておりまして、犯人の検挙というのを非常に強く我々としても求めているところでございます。
そういった意味で、いろいろ鑑定でございますとか検証という点につきましても、できるだけといいますか、何とかその犯人を特定するに足りるような資料を得たい、あるいは犯行の状況をできるだけ明らかにできるような捜査資料を得たいということで、精いっぱい努めてきているところでございます。
それから、現場の状況等々、現地の状況につきましては、そういった大変限定された厳しい状況の中でございますが、事件発生直後から、外務省と極めて緊密な連絡をとりながら、関係資料等々につきましても、適宜その提供を要請し、また入手させていただいているところでございます。
○藤田(幸)委員 そうすると、いつ外務省と、そもそも捜査について警察庁の方から主体的に捜査をしたいということを意思表示されたのか、されたとするならば、いつなのか。それとも、外務省側から捜査について協力を求められたのが先だったのか、であるならば、それがいつなのか。そして、現地に行くことについてのやりとりが警察庁と外務省の間で最初に始まったのはいつなのか。答えてください。
○瀬川政府参考人 これは事件の発生直後から警察は外務省と連絡をもうとっておりまして、それから……(藤田(幸)委員「外務省から来たのですか」と呼ぶ)いや、外務省からこういう事件が発生したという御連絡もいただき、その中で、こちらの方からも、ぜひ事案の真相究明に警察としても努力をするということも当然これは申しておりますし、それから、何といっても、お二人の御遺体が戻ってくるということがその直後にも判明いたしましたので、その御遺体についての司法解剖等々をしっかり実施をして、そこから犯人を何らか特定できるための材料を得るための捜査を実施したいということで、外務省と緊密に連携して対応してきたところでございます。
○藤田(幸)委員 今度、車の分析結果が出るということになっておりますけれども、やはり車だけじゃなくて御遺体の関係、先ほど首藤議員の質問の中でもいろいろな不可解な点があるという点。それから、一部お二人の、あるいはお三名の御遺体の部分が外国の通信社等の映像で流れておりますけれども、いろんなうわさが立っている。
そうしますと、やはり車だけではなくて、実際に検視をされた慶応大学と東大でしょうか、その方がいらっしゃるはずでございますので、実際にそのお二人からその状況について聞くということが私は非常に重要ではないかと。やはり、余りにも真相究明が遅過ぎて長過ぎるし、余りにも不可解な点がある。これは、恐らく堂道局長を初め外務省の、外交官の皆さん自身が非常に不思議に思っておられるのではないか。
そういうことから考えまして、委員長、ぜひ検視をされた東大病院と慶応大学病院の担当者の方を参考人としてお呼びしたいということを委員長の方にお願いをしたいと思います。
そして次に、この会議、つまり、お二人の外交官が出席をされるということになっておりました会議の件でございますけれども、結局は、米軍の第四歩兵師団基地で会議が開かれるようになっていた。そして、この第四歩兵師団基地で、結局、マクドナルド大佐という方がこの最初の死亡の事件について発表されたということになっておりますけれども、これは堂道局長にお伺いしますが、お二人の外交官が出席をされようとしておりましたこの会議がどんな会議で、これは米軍の第四歩兵師団基地で開かれる会議であったということの確認をしていただきたいと思います。
○堂道政府参考人 この会議につきましては、ティクリート宮殿で会合がされておりまして、スンニ・トライアングルの地域も含めまして、この地域におきまして復興活動をどのように進めるか、それが重要であるという認識のもとに開かれたわけでございます。
この会議につきましては、その両名は復興支援という形で我が国がどういうふうな貢献ができるかというのを探るために出た、こういうことでございます。
○藤田(幸)委員 そうしますと、同じ二十九日の二時に開会されたという第四歩兵師団基地の会議、これはレイモンド・オディエルノ少将という方が開会をしたということになっておりまして、その直前にこの三名の方が亡くなったという報道をこのスポークスマンがしているわけですが、これは全く別の会議なんでしょうか。あるいは、別の会議であったのになぜこのスポークスマンがその三名の死亡についてリアルタイムで知っていたのかについて、お答えください。
○堂道政府参考人 この会議は二十九日に開催されたということでございますが、実際には、二十九日及び三十日の両日開かれております。ティクリート宮殿の開会式、会場も含めまして行われておりまして、二十九日におきましては、したがって、昼食から始まり、宮殿内のツアー、そういうことが行われておりますし、実質的な会談については三十日から始まるというのがスケジュールでございました。
そういうことから、今おっしゃった報道でございますが、私どもが承知している限り、米軍がこの事件について最初の発表をしたのは二十九日の深夜だったと思います。報道……(藤田(幸)委員「二十九日の二時でしょう」と呼ぶ)二十九日の二時にということでございますが、私どもはそれは何かの間違いではないかと思います。
○藤田(幸)委員 いろいろな意味で、先ほどの遺体の関係、それから現地に行っていないということの関係で、いろいろただしていかなければいけないと思います。
もう一つ、先ほどの証拠隠滅の関係もございますけれども、まず、お二人の外交官が乗っておられた車の中に所持品があったと思いますが、所持品は何が残されていたのか、それは今どこにあるのか。それから、同じように、大使館におけるお二人の所持品、何が残されていたのか、パソコンだとか、パソコンだけじゃなくて電子手帳もあったと言われておりますけれども、それがどこにあるのか。それから、そういったものについて、これはあわせて警察庁にもお聞きしたいと思いますけれども、警察庁の方でそういった所持品について検査をしたのかどうか。
では、堂道局長と警察庁と、簡潔にお答えいただきたいと思います。
○堂道政府参考人 お答え申し上げます。
遺留品でございますけれども、既に、警察当局が捜査上必要と判断したものについては、御遺族の同意を得た上で、外務省が取りまとめてすべて警察当局に任意提出を行っております。その中には、お尋ねのパソコンや電子手帳もこれに含まれております。
なお、遺留品でございますが、車の中に残されていたということをおっしゃいましたが、基本的には、身元を判明するものについては当初全く見つからなかった、それを、米軍に協力を要請して、地元民から回収したというのが事実でございます。
○瀬川政府参考人 お答えいたします。
警察としましては、本件に関係するさまざまな資料、情報等につきましては、外務省を通じるなどして適宜入手をしております。捜査に関することでございますので詳細は差し控えさせていただきたいと思いますが、ただいま外務省から答弁がございましたパソコン、デジタルカメラにつきましては、これらの資料に含まれております。
○藤田(幸)委員 警察庁に最後の質問をいたしますが、今のお話ですと、さまざまということと適宜ということですから、必要なもの全部というふうではない、それから任意提出だということですから、つまり全部ではないということの確認と、それから、ちょっと細かいことですけれども、一月三十日の発表で、右回り四条の線条痕と発表されておりますけれども、これは、線条痕というのは銃身の中に刻まれた溝と理解をしておりますけれども、一回転する距離の違いが弾丸の痕跡に違いを発生するんだろうと思います。例えば、二十センチメートルで一回転する右回り四条の線条痕を持った銃と三十センチメートルで一回転する右回り四条の線条痕を持った銃、これで特徴的な違いが発生するかどうかについてお答えいただきたい。もしきょうお答えできないのであるならば、また委員会の方にしっかりと提出していただきたい。その二つです。
○瀬川政府参考人 お答えいたします。
まず、一点目の、さまざまとか適宜とかいうことでございますが、これは外務省と本当に緊密な連携をとっておりまして、本件捜査に必要といいますか、関係あると思われる資料につきましては、外務省から御協力をいただいて入手をしているという意味でございます。
それから、線条痕の関係のお尋ねでございますが、通告が、いただきましたけれども、ちょっと突然でございましたので、とりあえず専門家に聞いたところでございますけれども、拳銃、ライフル銃等の銃器におきましては、銃身の溝がどのぐらいの距離で発射される弾丸が一回転するかというのは、弾丸に与える回転力に影響を与えるということになるわけでございまして、一般論であれですけれども、短距離で一回転する溝を有する銃器の方が弾丸に大きな回転を与える、こういうことになるわけですね。短い間に一回転する方が大きな回転を与える、こういうことになります。
そこで、お尋ねの、二十センチメートルで一回転する右回り四条の線条痕を持った銃から発射された場合、これは左回りでも右回りでも、何条でもそれは同じことでございますが、それと三十センチで一回転する線条痕を持った銃から発射された場合とでございますけれども、これは当然、弾丸に残された痕跡に違いが生じるということになります。
ただし、この違いは、銃身の距離といいますか、一回転する距離だけではなくて、実は、銃身がどんどん使用に応じて、使われていきますと溝が摩耗していきまして、回転にずれが生じるということがございます。これが実は、銃から発射された弾丸の痕跡から、銃が同一の銃から発射されたものかどうかということを判定する根拠ということになるわけでございます。ですから、という意味は、どのぐらいの距離で一回転するかというのは、最初溝を切ったときには二十センチ、四十センチと決まりますけれども、使っているうちにそれはなかなか変化をしてくるという状況があるようでございます。
したがいまして、弾丸に残った腔旋痕、いわゆる線条痕からどの程度の長さで一回転したのかということは、実はずれが生じるということで、必ずしも判別できないということが一つございます。
それから、今回私どもが押収といいますか鑑定しておりますものといいますのは、実は、先ほども申し上げましたとおり、完全な形の弾丸というのはございませんで、極めて微細に、細かく砕けたいわば金属片というものに近いものでございまして、その中から何とか腔旋痕が残っているものを見つけて判別しているということでございますので、そういった状況のもとで、今申し上げたようなことを判別するのは大変困難なものであるという回答を得ております。
○藤田(幸)委員 ありがとうございました。
外務省の職員の皆さんとともに、真実の解明のために私も一生懸命努力をしたいということを最後に申し上げまして、質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/013315920040401010.htm
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kaigiroku.htm