現在地 HOME > 掲示板 > 戦争49 > 898.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
スペイン社会労働者党の「裏切り」は今に始まったことじゃないんです
スペイン社会労働者党の変節に怒っておられる竹中半兵衛さんからの「スペイン史を」というご要望でしたが、これは多くの人に知ってもらった方が良いと思いますので、新規投稿いたします。私には「教授」するほどの豊富な知識も無いんですけど、スペイン社会労働者党の歴史について、知っていることを取りまとめて書いておきます。
現在の社会労働者党(以後社労党)に関しては、フランコ政権末期頃からの歴史が大切でしょう。60年代末期からタガの緩み始めた独裁政権は、フランコの「後継者」で政権末期を実質的に支えたカレロ・ブランコが1973年にETAが道路下に仕掛けた爆弾によって車ごと吹っ飛ばされることで、ほぼ息の根を止められたわけですが、その後1975年のフランコの死を経て、1976年の「選挙法、反対政党・労働組合の合法化、スト権の公認」などを盛り込んだ政治改革法案、1977年の第1回総選挙、1978年の憲法制定という流れを実行し、独裁政治を払拭していったのは、「体制内」であったフアン・カルロス国王とその懐刀のアドルフォ・スアレスのグループでした。彼らは体制内の右派を次々と政治的に切り落としていき、軍を中立化させ、左派勢力を懐柔して「スペインの民主化」をいわゆる「政変」無しで成し遂げてしまったわけです。(余談ですが、スアレスは例のオプス・デイのメンバーと噂され、国王もこのカルト集団の影響を受けています。彼らはいわゆる「右」ではなくもっと底知れないものを持っています。)
社労党は1977年まで非合法政党であり、本部はフランスに置かれたのですが、1970年ごろから国内の事情に疎い本部に代わって国内派が力をつけてきて、その中心が後に首相になる若きフェリペ・ゴンサレスだったわけです。そして多くの国内の社会主義と右派を吸収し、労働組合(労働総同盟=UGT)も強化しました。当時のゴンサレスは党内でも急進左派だったわけですが、70年代には社労党や共産党も非合法のままで常に監視つきですが国内で多少は活動できるようになっていました。
76年にスアレスは地下活動中のゴンサレスと秘密会談を行います。また共産党は合法化の直前にイタリア、フランスの共産党とともに「ユーロコミュニズム」を旗揚げしレーニン主義と決別して民主化の流れに乗ろうとします。しかし、スアレスはほとんど『革命』といってもよいほどの急激な法改革による政治変革を行って、「独裁政治粉砕」に意気込んでいた反対派勢力(左派、民族主義者)を完全に出し抜きます。その流れの中で、社労党にしても共産党にしても、それまでの「共和制・根底的な決裂」路線を放棄してフアン・カルロス=スアレスの「君主制・すみかやかな改革」路線に乗らざるを得なくなるわけです。急進左派だったゴンサレスも中道右派との妥協を重ね、それが党内や労働組合、大衆組織の中でさまざまな亀裂を作っていきました。さらに1979年には「マルクス主義の放棄」を宣言し他のヨーロッパの社会民主主義政党と流れをともにしていきます。なお1978年の第1回総選挙ではスアレス率いる民主中道連合が政権党になりました。
そして1982年の総選挙で社労党は350議席のうちの202議席という圧倒的な多数で政権を取ったのですが、実はその前の年に大事件が起こったわけです。1981年2月に国軍に所属する国家防衛隊のテヘロ中佐らによる国会の武力占拠事件が起こり、国内ではそれに呼応した軍人による非常事態宣言まで出される事態になりました。国王フアン・カルロスはすぐさまテレビで国民に平静を呼びかけ軍に働きかけて忠誠を誓わせ、反乱分子は翌日に投降しました。この事件は今もって謎に包まれた部分が多いのですが、ともかく国民はフランコの亡霊に出会うことになったわけです。そしてこれが次の年の社労党の大躍進につながったことは言うまでもありません。(この事件には多くの説がありますが、国王が旧体制派を一掃するために仕組んだ、などというものもあります。とにかくこの王様、大変な政治家ですから。)
ただ、クーデター未遂事件から82年の総選挙までの1年半に、社労党は、中道右派の民主中道連合の分裂を利用し党勢を拡大すべく、その中道路線を徹底化していきます。またこの選挙に例のテヘロ中佐が獄中から立候補し(わずかしか得票できず落選)、危機感をもった国民が「再クーデター防止」の安全策として社労党に投票した面もあります。こうして14年間続くゴンサレス社労党政権が誕生したわけです。
こうしてフランコの亡霊から解放され社会が安定したのは良いのですが、失業率の拡大、景気の沈滞、徐々に解消はされたが高いインフレ率など、決して社民党の国内政治は国民の満足のいくものではなかったことは明らかです。さらに政権を取る前には絶対反対を貫いていたNATO加盟を「国民投票にかける」という公約を破って1983年に決定しました。(社労党員ハビエル・ソラナ――現EU上級代表――はNATO反対の急先鋒だったのですが、その後なんとNATO事務総長に出世しています。なんともかんとも。)
もちろんNATO加盟には社労党内部でも反対論が多数意見で脱退を求める声は世論調査でも多数派だったのですが、他のヨーロッパ諸国はEC加盟の条件としてNATO残留を提示し、ゴンサレスは党内反対派を次々と切り捨たうえで1986年に国民投票にかけ、ド白けムードの低投票率の中ギリギリの得票でNATO残留が決定しました。
一方、社労党政権下では、ポルノ解禁、中絶の許可、麻薬の解禁(使用は合法、販売は違法)、経済構造のヨーロッパ化が次々と進められ、「開けたスペイン」にはなってきました。しかし特に90年代になってから社労党の汚職・腐敗体質化が目立つようになり、選挙での得票率も回ごとに低下し、ついに1992年の総選挙で過半数を割って共産党系の統一左翼などと連立を組まざるを得なくなります。その後、社労党員と幹部の贈収賄などの汚職事件は後を絶たず、おまけにGALという極右組織によるETAメンバー大量殺害事件にゴンサレス政権が絡んでいることが暴露され、これが社労党政権に引導を渡すことになりました。(この件については以下の阿修羅投降に詳しく書いています。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://www.asyura2.com/0401/bd33/msg/494.html
日時 2004 年 2 月 02 日 08:04:36
「荷電粒子」さんへ、「フランコ、ETA、オプス・デイ」に関して、稿を改めまして、ご
返答いたします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1996年の総選挙では初めてかつてフランコ政権を支えたファランヘ党のなれの果ての国民党が政権を握り、若きネオ・フランキストのアスナールが首相になったわけですが、これは要するに社労党に対する国民の絶望感であり、またフランコ時代の悪い思い出があまり気にならなくなるくらい「過去」になったせいかもしれません。いずれにせよ軍事クーデターが起こるわけではないのですから。
国民党に政権を譲ってからの社労党は内紛の連続で、ゴンサレスは書記長を辞め、2000年の選挙で誰を立てるかで四分五裂の状態、とにかく汚職歴のない「清潔な」人物を立てなければならない、と今まで「噂」の無かった(つまり大物ではなかった)ジュゼップ・ブレイュを書記長にしたのは良いのですが(このブレイュは「若いころ社会主義の理想に燃えてイスラエルに行ってキブツに参加した」ことを自慢するような野郎で、けっこうこのテの奴がいるんだよ、この党には)、わずか数ヶ月のうちにその「汚れた前歴」が暴露され(恐らく党内反対派閥の新聞タレコミ)、首を挿げ替える、といったゴタゴタ続き、2000年の選挙では惨敗、アスナール国民党の絶対多数をプレゼントしました。
そこで書記長に選ばれたのがサパテロですが、ブレイュの件に懲りて汚職歴の可能性の無い人物(つまり実力者ではない若造)を表に立てて、社民党のイメージを変えようとしたわけです。ところでこのサパテロはもともとゴンサレスの腰巾着で、後ろから大将が操っているのは見え見えです。もっともそうでなければ党内の反対派のやっかみでとうにつぶされているでしょうが。
今回の選挙の結果、念願の「院政」を実現することになったゴンサレスですが、2年前のベネズエラの政変ではチャベス追い落としの応援団になって「裏切り者」の本領を発揮しております。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(参考)
http://www.asyura2.com/0403/war49/msg/171.html
日時 2004 年 3 月 08 日 05:13:40
ベネズエラが危ない! 「民主主義神話」の嘘を暴き、その「完全犯罪」を見抜け!
http://www.asyura2.com/0401/war46/msg/126.html
日時 2004 年 1 月 05 日 03:56:30
イベリア半島「百鬼昼行図」 その4:米西同盟の仕掛け人?オプス・デイ
(1)バチカンを牛耳り中南米を操る悪魔的カルト集団
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
と、まあ、スペインの新政権に絶望させるような歴史を書いてしまったのですが、事実はこんなもので、先日もどこかでご紹介したと思いますが、以前知り合いのスペイン人が新聞の各政党の政治家連の顔写真を見ながら「どうせコイツら、みんな嘘つきばかりだ」と吐き捨てるように言ったのが印象に残ります。「イラク撤兵」を「国連が主導する体制がとれそうだから」と撤回しても私は不思議とは思いません。私はアスナール国民党には敵意と悪意をむきだしにしてきましたが、社労党政権には冷ややかな目を向けています。願わくはこの視線を暖めてほしいのですが、サパテロ殿。
「上」のやつらなど誰も信じられない、でも彼らに悲壮感はありません。頭の上を通り過ぎるさまざまな権力の身勝手さを、知らん顔して享楽で紛らわしながら、時々止めようの無い大爆発・大暴走を起こす、そんな暗くて明るくてとんちんかんでしたたかなスペインです。このスペインにだけはあったかい視線を向けていきたいと思っています。