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(回答先: スペインの情報機関 投稿者 エンセン 日時 2004 年 3 月 12 日 01:56:48)
オプス・デイ
Prelatura della Santa Croce e Opus Dei
■調査
周知の通り、ローマ法王は、約15億人を数える全カトリックの精神的指導者だけではなく、1929年から現在の形で存在しているバチカン市国の元首でもある。法王の官邸の外部及び内部の警備を遂行しているのは、伝統的な中世の衛兵の服を着たスイス親衛隊である。バチカン政府たるローマ教皇庁の機構では、保安機関も活動しており、その職員は、全ての行事、並びに国外旅行において、教皇に非公然に随行している。
精神的影響力の外、世界で起こる事件に対する法王の政治的影響力も顕著である。宗教裁判時から、法王の諜報、防諜及び捜査実施機能は、特別な機構、イエズス会を指揮した枢機卿、司教及び主教から成る代理人に委任されていた。多くの歴史家、本及び重要な科学研究の著者の意見によれば、イエズス会は、カトリック界において、過去の影響力を既に有しておらず、その地位は、別の教団が占めた。「聖キリスト・神事大修道院」(「Prelatura della Santa Croce e Opus Dei」)が、特別な制度により活動し、ローマ法王に個人的に従属するバチカンのこの機構の正式名称である。Opus Dei大修道院の本部庁舎は、ローマ、ヴィヤレ・ブルノ・ブオッツィ、73に位置する。
ヨハネ・パウロI世、元ベネチア枢機卿アルビノ・ルチャニの死去後、ローマ・カトリック教会は、歴史的選択に直面した。改革者ヨハネXXIII世の精神的後継者で、パウロVI世の側近であるルチャニは、計33日間、聖なる王座を指揮した。多くの者は、根拠がなくもなく、1978年9月29日夜の法王の死が、決して神の意思によるものではなく、特務機関の参加の下によるものだと考えている。しかし、これは、別のテーマである。新しい法王ヨハネ・パウロII世に彼を選出した法王選挙会の前日、クラクフの司教カロル・ヴォイトゥイラは、バチカン教会の地下納骨所の1つを訪れ、「ホセ・マリア・エスクリバ・デ・バラゲル」の墓碑銘が付いた緑の大理石製のプレートの上にうつ伏せになった。これは、世俗カトリック教団Opus Deiの設立者、スペインの司祭エスクリバの墓所だった。
エスクリバ死去7年後の1982年、法王は、Opus Dei(OD)に自分の個人的大修道院(主教の1人により管理される機構)の地位を下賜し、1992年、この組織の設立者を聖人に列した。反対者は、そのような決定の間違いを指摘している。イエズス会が、ODを全カトリックへの脅威として評価しているのは、興味深い。最も詮索好きな研究家は、エスクリバの論文からの引用及び彼の履歴からの事実を以って、Opus Deiのイデオロギーがファシズムの亜種の1つであるという説を裏付けている。
■密集陣形
ホセ・マリア・エスクリバは、1902年1月9日、スペインのバルバストロ市に生まれた。1925年、聖職に捧げ、農村の教区からサラゴスに、2年後、マドリードに移った。Opus Deiの設立日は、公式には、1928年10月2日と考えられている。1936年、エスクリバは、ブルゴセのフランシスコ・フランコの本部の武装反乱軍の隊列の中にいた。欧州で多くのカトリック司祭が反ファシズム・レジスタンスに加わった20世紀の最も悲劇的な期間、エスクリバは、マドリードに恙無く「居座り」、法学博士の講座を有していた。この時代は、国家支援、財政基金へのアクセスを得、教育施設及びマスコミへの直接の出口を有し、軍中で影響力を得た組織の最盛期に一致した。
エスクリバにより創設され、同時にファシストのイデオロギーの影響を避けられなかった宗派は、1947年、バチカンで、非宗教(世俗)カトリック大学の地位を得た。数年前、エスクリバは、ローマに落ち着き、その後、神学博士、2つのバチカン聖庁の顧問、ピアXII世教皇の主教の1人となった。50〜60年代、フランコ体制の特色は、ODの機構が、主として、将官代表から成るファシスト密集陣形と置き換わり、スペインの政治舞台で支配的立場を占めることを可能にした。
70年代初めまでに、組織の影響力は、弱体化したが、同時に、世界中、特に北米及び南米に急激に広がった。公然化したのは、1973年11月11日にフランコ型軍事クーデターを実行したチリのアウグスト・ピノチェト将軍の教団による支持の事実だった。
「バンク・デ・サンチアゴ」及び約250社を支配するチリの富豪の1人、クルサトは、70年代、毎月200万ドルをOpus Deiの会計に割いた。反乱及びテロリストとの闘争後、汚職の嫌疑で国を離れた元ペルー大統領アルベルト・フジモリは、Opus Dei代表と協力していた。
米国において、教団の信奉者は、最近、5千人を数えた。20都市において、彼らのために、50以上の「センター」が開設された。米国におけるODの活動の最盛期は、ロナルド・レーガンの在任時代に一致し、教団は、ホワイトハウス、ペンタゴンの中・高級層に代理人を有した・・・。ビル・クリントン行政府の下で、教団は、ゆっくりとではあるが、発展した。2月18日に逮捕されたロバート・ハンセンの事件を巡る出版物から今明らかにされているように、若干のFBI及びCIA職員は、「神の仕事」に従事していた。
FBI長官ルイス・フリーの教団への所属に関する新聞の疑いは、当初否定された。しかし、90年代中盤の記者会見において、フリーが自分の宗教生活の詳細を話すことを拒否したとき、これは、噂を刺激しただけだった。彼の秘書官、特別捜査官ジョン・コリンウッドは、Opus Deiについては何も知らないと表明し、プレスの情報を「粗野」と呼んだ。しかしながら、後に、組織は、FBI長官の弟ジョン・フリーが、ピッツバーグにおけるODの大センター長であることを確認せざるを得なかった。
■地位
Opus Deiの憲法は、1950年に起草され、1982年に公布された文書である。その条項の大部分は、秘密性を有している。組織は、秘密条項によっても行動している。教団の内部ヒエラルキー、その儀式並びに中世のスペイン修道僧団の戦闘訓練と現代特殊部隊員の精神的訓練を組み合わせた訓練方法については、詳細な情報はない。多数の研究者は、ODの構成員が(1)下級者、(2)上級者、(3)主任司祭、又は司祭の主要3カテゴリーに分かれているとの意見を出している。
第1グループは、司祭と同様に、妻帯禁止(独身の誓い)を遵守し、共同住宅又はアパートで暮らし、事実上、異性とは交際しない。OD総員の約50%を構成する上級者は、家族で暮らし、子供を持って、教団が後援する学校での教育に預けている。彼らには、ODへの所属を明らかにすることが禁じられている。世界中で、約50万人のODの「協力者」及び「協業者」が活動している。秘密の第202条は、「使徒」(信徒)の活動の目的として、「特に指導的な」、国家及び社会奉仕を宣言している。ODにおける勧誘(徴募)過程及び構成員のスケジュールは、部外者に対して絶対に秘密である。
1994年4月20日から、ODの主教は、1932年6月14日にマドリードで生まれたハビエル・エチェヴァリア司教である。公式には、彼の配下には、今日、数十万のシンパを考慮して、8万5千人以上が統合されている。昨年夏、ヨハネ・パウロII世は、聖大修道院に属するローマ中心部の歴史的なアテニウムの建物(宗教学図書館)に、聖キリスト法王大学を設立した。3年前、そこでは、65ヵ国からの約1,500人の学生が教育された。Opus Deiの大修道院には、大学の指導が委任された。バチカンの政策の積極的な伝道者が、一連のNATO諸国の軍の従軍牧師勤務において、特別に訓練されたカトリック司祭であることを指摘する必要がある。
Opus Deiの本部庁舎において、2001年3月17日、組織の代表は、ハビエル・エチェバリヤ主教により組織されたセミナーで、ヨハネ・パウロII世と会見した。集まった者達に要請しつつ、法王は、「私が大修道院を設立した使徒の憲法において制定されたOpus Deiのヒエラルキーの本質は、実践的任務を帯びた牧師奉仕の出発点である」と語った。教皇は、各主教又は教区の活動と大修道院の努力の統合に注意を向け、その機構には、ODの中核が「併合」、浸透している。これは、ヨハネ・パウロII世の言葉によれば、「特別の宣教師団」である。バチカンの元首は、ホセマリア・エスクリバの著書「道」からの第271節、戦いの慣行の節の「全ての危険を振り払い、良き使徒の意図を引き継ぐべき時が来た」の言葉を引用して、聖エスクリバの信徒が、いかに業務(「仕事」)、礼拝及び信仰を引き受けているかに、自分の信頼を表現した。
■クーデター
大修道院が世界中で開設しているセンターの数の常時成長が観察されている。批評家は、教団を5大陸において政治権力の最高層に浸透した秘密勢力と呼び続けている。特別な問題は、国際組織における教団の代理人の活動である。法王の特別な大修道院は、第三世界の大部分の国よりも裕福である。「第三のローマ」において、教団は、特に秘密裏に活動している。ロシア連邦法務省のデータによれば、ロシア領土では、Opus Deiのいかなる代表部、支部又はその他の組織機構も登録されていない。
バチカン、並びにその主教区の全員が、Opus Deiの個人的大修道院の概念を支持している訳ではない。そのような思想の敵の中には、パウロVI世の側近ジョバンニ・ベネリもいた。1982年末の大修道院創設の数ヵ月後、彼は、心臓発作の結果、急死した。その時から、多くの研究家の考えによれば、法王の領土は、Opus Deiによりますます支配され始めた。バチカンの長の個人的秘書、スタニスラフ・ジヴィッチ猊下のように、彼ら全員が、自分の加入について表明している訳ではない。ローマ教皇庁の影響力のあるメンバーの1人、OD大修道院の司教フリアン・エランスは、法王会議の共同議長であり、更に2人の支持者を有している。
バチカンの情報及び出版業務は、妻帯禁止を遵守するODの「ナンバー」構成員、ホアキン・ナバロ-バリスが監督している。法王のウクライナ訪問時、ナバル・バルスは、外交官としてかなり粗野なロシア正教会宛のコメントを発言した・・・。多くのリベラルなカトリック教徒が、「Opus」を「Octopus」(「タコ」)または「聖なるマフィア」と呼んでいるのは、驚くべきことではない。ロバート・ハッチンソンは、Opus Deiの最新の調査の表題を「秘密の世界」として警告している。著者の意見によれば、エスクリバは、スペインの教会生活を支配しようとした権力欲のある単なる「誇大妄想者」である。彼は、フランコから金、権力及び秘密エージェントを受け取った。
法王特務機関によるバチカンの権力奪取のドラマを暴露するハッチンソンの本の軍事・歴史的文脈は、非常に重要である。要約として、一連の章題を列挙する。「キリストの敵」、「サーベルと法衣」、「ティベルのクレムリン」、「冷戦の戦士」、「バチカンII」、「Octopus Dei」、「機動軍団」、「バチカンのクーデター」、「漁師の理論」、「戦争」、「ポーランド作戦」、「マントと十字架の旅団」、「戦火のアフリカ」、「クロアチアの戦争マシーン」、「法王の秘密戦士」
■ブッシュへの書簡
選挙1ヵ月後、新しい米大統領として、ジョージ・ブッシュが宣言されたとき、アメリカのカトリックの出版物「National Catholic Register」には、聖トマス・モアからの奇妙な書簡が現れた・・・。ブッシュの勝利を祝福し、歴史の人物は、投票数の再集計手続の停止に関する最高裁判所の決定が、聖母マリアを讃える教会の祝日、2000年12月12日に正に一致したことを指摘した。書簡の著者は、「ヨハネ・パウロII世法王聖下が、10月31日付の使徒への書簡において、国家活動家及び政治家の聖なる庇護者として、私を挙げたことを、あなたが知ることを期待する」と明らかにしている。このことから、庇護者の援助がブッシュを含めて、多くの者に必要であるとの結論が下されている。
書簡において、「天上の庇護者」は、大統領にローマを訪問し、法王と会見し、彼の言葉を聞くように勧めている。書簡は、手紙の著者の友人の1人が、大統領と天上間を仲介することができるとの示唆で終わっている。友人の住所は、ペンシルバニア通りのブッシュの新しいアパートから2歩、全面を窓の吹き抜けが占めるカラフルなステンドグラスの形で、トマス・モアの大きな肖像画の付いた建物と指摘されていた。この建物は、15番街、#815、聖マトベイと聖パトリック教会のちょうど真ん中、米行政府の長の官邸から500mに存在する。建物には、カトリック情報センター(CIC)が存在する。この世俗的な地位の施設の指導者、ブッシュへの手紙の著者、ジョン・マックロスキーの父は、回答を長くは待たなかった・・・。
新大統領就任後30日目に、ホワイトハウスは、正確な座標で、壊滅的な情報打撃を加えた。最高裁判所が投票数再集計手続の停止を決定したとき、最高裁判所における聖マリアの庇護と同様、大統領の弟、選挙結果が決定されたフロリダ州知事ジェフ・ブッシュも秘匿された。勿論、デリケートな形で、ヨハネ・パウロII世が代表する「権力」も、回答を与えられた。ブッシュの天上の庇護者の肖像画を有する点目標に対する潜在打撃は、2月18日にモスクワ(「涙を信じず」、沈黙も同然)のためのスパイ行為の嫌疑でFBI職員ロバート・ハンセンを逮捕して、特務機関が与えた。
間もなく、プレス上に、ハンセンが正統派カトリック教徒で、ラテン語で「神事」を意味する秘密組織Opus Deiに所属しているとの情報が広まった。そのワシントン教区の長は、偶然か否か、ジョン・マクロスキーIII世の父だった。彼は、Opus DeiへのFBI長官ルイス・フリー、最高裁判所の裁判官アントニン・スカリア及びクラレンス・トマスの秘密加入に関する噂を否定せざるを得なかった。ちなみに、その声を裏付けていたのは、ブッシュに有利な判決の採択だった・・・。しかし、4年前、クラレンスが自分の同僚の息子、ポーリャ・スカリア司祭の影響で、カトリックを受け入れたことは、既に全員が知っている。裁判官の妻マウリン・スカリアは、Opus Deiの「宗教儀式」を訪れている。
米国において、Opus Deiの最大のセンターは、ニューヨークのマンハッタンに最近建設された17階建ての建物に位置している。以前の本部庁舎は、1981年までウォール街のシティバンク及び証券会社「メリル・リンチ」において、後に司祭かつ時事評論家となった財政学者ジョン・マックロスキーが働いていた場所に隣り合っていた。Opus Deiのワシントン教区も、最近、改修された。カトリック情報センターの小礼拝堂において、ODのハビエル・エチェヴァリア主教と数人の司教の立会の下、ジェイムズ・ヒッキー枢機卿が勤めたミサは、2000年9月14日に行われ、ホセマリア・エスクリバの銅像の除幕及び聖水式がそれに合わされた。3ヵ月後の12月、ジョン・マックロスキーは、ジョージ・ブッシュへの書簡を書いた。そして当時、FBI及びCIAは、公式情報によれば、捜査業務及びハンセンに対する尾行を開始した。
http://www2.odn.ne.jp/~cae02800/vatican/opusdei.htm