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チョムスキーが語るイスラエル・パレスチナの真実(週刊金曜日2002年7月5日号に掲載)
http://www.asyura2.com/0403/war49/msg/1122.html
投稿者 竹中半兵衛 日時 2004 年 3 月 24 日 20:57:08:0iYhrg5rK5QpI
 

2002年夏ごろからこれまでは1年以上にわたってイラク問題に関心が向かっていた。
この期間ほぼパレスティナについてはヤシン師暗殺まで見落としていた気がします。

アフガン・イラク・パレスティナと統一して捉えるべきだというご指摘が戦争板にあります。

そこでもう一度近い過去を振り返ってみるべきかと思い、ネット検索の結果「週刊金曜日」チョムスキーのインタビュー記事に出くわしました。

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チョムスキーが語るイスラエル・パレスチナの真実(週刊金曜日2002年7月5日号に掲載)

http://www.kcn.ne.jp/~gauss/jsf/chomsky.html
安濃一樹・別処珠樹 訳(週刊金曜日、2002年7月5日号に掲載)
URL http://www.kcn.ne.jp/~gauss/jsf/chomsky.html

Zネット/いま起きていることからすると、イスラエルの政策が変わったと見るべきでしょうか。

質が変わったと思います。オスロ合意 【1】 が目指していたものは何か。1998年、イスラエルのシュロモ・ベンアミ博士が彼が、「実際にオスロ合意が土台にしたのは新植民地主義である。永久にパレスチナをイスラエルに依存させたままにするのが目的だ」と正確に指摘しました。そのあとすぐベンアミ博士はバラク政権に加わり、バラクの補佐官として、2000年の夏にキャンプ・デービッドの交渉を担当しています。 

こうして、クリントン・ラビン・ペレスの合意が成立しました。パレスチナがイスラエルに「ほぼ全面依存する」よう強要する内容です。依存によってパレスチナは植民地状態になる。それが根づいてしまえば、永遠に依存するほかありません。 

パレスチナ暫定政府には役割があたえられた。イスラエル主導の新植民地主義で依存を強いられたパレスチナの民衆を統制することです。オスロ合意から始まった「平和への道のり」はキャンプ・デービッドの提案もとり入れながら一歩ずつ進められた。しかし、その真相はこういうものでした。 

クリントンとバラクの方針は(あいまいなのか明確なのか、わからない代物だったのに)、「注目すべき」もので「寛大な」提案だと、アメリカでは称賛されました。しかしパレスチナの現状を見ればわかるように、彼らの方針とは──イスラエルでよく言われている──バンツスタン計画にほかなりません。

バンツスタンは南アフリカ共和国のアパルトヘイト暗黒時代に作られた黒人自治区です【2】。クリントンとバラクはこれを手本として、パレスチナ自治区のバンツスタン化を進めました。キャンプ・デービッドの提案がこれを証明しています。 

それまでヨルダン川西岸地区では、パレスチナ人たちが200以上の地域にばらばらに居住させられていました。クリントンとバラクはこの状況の「改善」を目指したわけです。すべてを整理統合して、三つの区画にわける。3区画を分離して、イスラエルが支配する。東エルサレムは小さいけれど、パレスチナ人の生活と情報交換の中枢です。ここを第4の区画として、他の三つから切り離す。もちろんガザ地区からは離れている。ガザ地区内をどうするかは明確にされませんでした。アメリカの主流メディアが詳細な地図を掲載しないのは[この計画が知られるのを気にして]避けているからです。

しかし今、この計画は棚上げにされ、イスラエルはパレスチナ暫定政府の壊滅を選択したようです。これはクリントンとイスラエルの要人が協力して立てたバンツスタン計画の終わりを意味します。ここ数日のあいだに、パレスチナ人権センターさえも破壊された。南アフリカのバンツスタンでは[白人政権が人種隔離政策として]黒人リーダーたちに各部族を治めさせていました。同じように、パレスチナの指導者たちも[イスラエルの政策のもとで]自治区のパレスチナ人を統制するはずでした。その彼らが攻撃されています。まだ殺害されていないのはイスラエルが世界世論を気にしているからでしょう。 

イスラエルの高名な学者ジーヴ・スターンヘルが次のように書いています。イスラエル政府は「いまや臆面もなく、これを戦争と呼んでいる。実際にやっていることは植民地の支配で、南アフリカのアパルトヘイト時代に白人警察が貧しい黒人地区を統制していたのと同じだ」。バンツスタン制度こそクリントン・ラビン・ペレス・バラクと彼らの取り巻きが強く求めたものでした。それがオスロ合意に始まった「平和への道のり」の正体です。そしてイスラエルの現在の政策は、40年まえに南アフリカで作られた制度よりも、さらに劣悪なものとなりました。 

こういう話は何も驚くに値しません。過去10年間に評論や分析を読んできた人びとならよく知っていることでしょう。Zネットも、状況の推移とともに、数多くの記事を掲載しつづけています。 

イスラエルの指導者たちは新しい政策をどう進めていくつもりなのでしょうか。誰にもわからない。おそらく彼ら自身にも分かっていないと思います。 

イスラエルを非難すれば、アメリカや西洋諸国にとって都合がいい。特にシャロンを悪役に仕立てればいいでしょう。しかし、そんな非難は公平でないし、誠実な態度とも言えません。シャロンによる最悪の虐殺行為は[ハト派といわれるペレスの]労働党政権下で繰り返されています。戦争犯罪に関しては、ペレスもシャロンもたいした違いはない。しかも最大の責任はワシントンにあります。この30年間ずっとそうでした。イスラエルは一般の外交政策においても、個別の施策においても、盟主アメリカが定めた制約のなかで行動してきました。この枠組みから外れたことはほとんどありません。

【1】1993年9月にノルウェーの首都オスロで、PLOのアラファト議長とイスラエルのラビン首相のあいだで秘密交渉が行なわれ、パレスチナ暫定自治合意が成立した。これをオスロ合意と呼び、ガザ地区とヨルダン川西岸でパレスチナ人の自治を実現するための第一歩が踏み出された。

【2】中央・南部アフリカの黒人諸族はバンツー族と総称されていた。バンツスタンはバンツー族の国土の意。1962年から南アフリカ白人政権は国内の九部族を10のバンツスタンに隔離し、部族ごとの自治を認めた。1981年までに四つのパンツスタンを独立国家として承認している。バンツスタンに与えられた土地は南アフリカ全国土の14%に過ぎず、農作に適さない不毛の土地で鉱山資源もなかった。独立国家とされたバンツスタンの住人は、都市での就労を許可されたとしても外国人として扱われ、黒人に認められていたわずかな権利さえ失った。

Zネット/国連の安全保障理事会が三月三十日に出した決議 【3】はどういう意味を持つのでしょうか。

今回の作戦でラマラなどパレスチナ地区に侵攻したイスラエル軍に即時撤退を要求するのか、少なくとも撤退の期限を示すのか、これが問題の核心でした。結局はアメリカの主張がとおり、決議は「イスラエル軍がパレスチナの諸都市から撤退する」ことをあいまいに求めるだけで、期限は明示しませんでした。これはアメリカ政府の公式見解と一致しています。<攻撃を受けているイスラエルには自国を防衛する権利がある。しかし、パレスチナへの報復として手荒なことをするにしても、限度を越えてはいけないし、せめて人目につかないようにするべきだ>という見解です。新聞報道で広く伝えられているでしょう。 

事実はまったく違います。議論の余地などない。パレスチナはイスラエルの軍事力によって占領されています。占領は35年目に入りました。そのなかでパレスチナは生存をかけて抵抗をつづけてきた。この苛酷で残虐な状況を決定づけたのがアメリカのイスラエルに対する軍事・経済援助です。またアメリカは外交によってイスラエルを守り、平和のために政治決着を求める世界の声をはばみ続けました。 

イスラエルとパレスチナの抗争に力の均衡などあるはずがない。実に一方的なものです。力の強いものが有利となるように事実は歪曲されるものだけれど、この抗争をイスラエルの自衛行為とする見解はあまりにも現実からかけ離れています。歪曲という言葉さえ当てはまりません。パレスチナによるテロ行為は批判されてきました。徹底的な批判が当然のこととされ、30年間つづけられている。テロをいくら糾弾しても、実情は何ひとつ変わりません。

3月30日の決議は、12日の決議【4】 と同じように、問題の核心を巧妙にはぐらかしています。アメリカ政府はいつもと違って拒否権を行使しませんでした。そればかりか、この決議を起案したのがアメリカ政府です。実に意外な出来事でしたが、各国から歓迎されました。決議はパレスチナ国家の「未来図」を描いています。そうすると、決議は40年前に南アフリカ政府が見せた人種差別政策よりもレベルが低いということになる。当時、南アフリカの白人政権は黒人による国家の「未来図」を提示しただけでなく、実際に[バンツスタン黒人自治区のいくつかを独立させて]国家として承認したからです。出来上がった黒人国家は[白人政権にとって]筋の通ったものだったし、うまく機能しました。ちょうど、アメリカとイスラエルが占領地に計画していたパレスチナ国家と同じくらいに。

【3】安保理決議1402号。パレスチナの自爆攻撃やイスラエル軍の攻撃がこれ以上激しくならないことを期待し、(1)イスラエル軍がラマラを含むパレスチナから撤退し、政治解決に向けた交渉を再開する、(2)3月12日の安保理決議にのっとり、すべての暴力行為を停止する、(3)平和プロセスを再開するよう国連が両国に働きかける、などを求めた。しかし期限の指定はない。

【4】安保理決議1397号。イスラエル、パレスチナ両国家が、(1)明確に認めた境界線で併存する、(2)市民の安全を確保する、(3)人道的な国際法の原則を尊重する、(4)テロ・挑発などの暴力行為を止める、(5)両国家の指導者が政治解決のための交渉を再開する、などを求めている。

Zネット/アメリカは何を目指しているのでしょうか。この抗争で、アメリカが守りたい利益とは何ですか。

イスラエル=パレスチナ抗争はアメリカにとって大きな関心事ではありません。アメリカの権力は全世界に及んでいます。アメリカの政策を左右する要素は数多い。中東政策に限っていえば、第一の要素は世界最大のエネルギー資源を支配することです。アメリカとイスラエルの同盟はこの上に成り立っています。 

1958年までにアメリカの国家安全保障委員会が一つの結論を出しました。勢いを増すアラブのナショナリズムに対抗するために、「イスラエルを援助する」という結論です。「論理をたどればそれが当然だ」とされました。イスラエルが「欧米に味方する中東で唯一強大な勢力」だからです。これは大げさな言い方だけれど、戦略分析としては一般的でした。つまり、アラブの諸地域に生まれたナショナリズムを(第三世界ならどこにでもある)重大な脅威と認めた。これを「共産主義運動」と呼ぶのがならわしでした。しかし、この名称はプロパガンダにすぎず、冷戦とはほとんど関係のないことです。一九五八年の危機においても同じことでした 【5】。

1967年、アメリカとイスラエルの同盟は強固なものとなりました 【6】。ナショナリズムが民衆に広まり、ペルシャ湾岸地域を支配するアメリカにとって、実に深刻な脅威となっていた。そのナショナリズムをイスラエルが粉砕しました。アメリカを立派に援助してみせたわけです。こうして同盟関係はつづきます。ソ連が崩壊した後でも、関係は変わりませんでした。今ではアメリカ=イスラエル=トルコの同盟がアメリカの戦略にふさわしいものとなっています。イスラエルは事実上アメリカの軍事基地です。さらにイスラエルは軍事化されたアメリカのハイテク産業にも組み込まれている。

だから、アメリカがイスラエルの政策を支持するのは自然な成り行きです。アメリカとのこうした枠組みがつづく中で、イスラエルはパレスチナ人を弾圧し、占領地の併合を進め、ベンアミが大筋を書いた新植民地計画を展開してきました。これが基本方針で、あとは状況に応じて個々の政策を選択します。

今、ブッシュの政策を立案する人びとは、政治解決への道を閉ざしたまま、暴力行為を静めようとさえしない。これがアメリカの真意です。2001年12月15日、国連決議に対して、アメリカが拒否権を行使したのがいい例でしょう。決議は、米ミッチェル案 【7】 を段階をふんで導入すること、暴力の沈静化へむけて国際監視団を派遣するよう求めていたからです。

同じような理由から、アメリカは12月5日の(EUばかりでなくイギリスさえ参加した)ジュネーブの国際会議をボイコットしました。この会議はジュネーブ第四条約 【8】 が[イスラエルによるパレスチナの]占領地に適用されることを再確認するものでした。アメリカ=イスラエルの行為が、両国にとってはいかに大切でも、条約を「ゆゆしく侵犯する」と認めることが目的です。簡単にいうと戦争犯罪だと認めることです。ジュネーブ宣言が糾弾したのは戦争犯罪でした。会議は2000年10月の安保理で(アメリカが棄権した)決議を再確認しただけです。この決議もジュネーブ条約が占領地に適用されるよう求めていた。昔から、棄権とボイコットはアメリカの公式方針でした。初代ジョージ・ブッシュが国連大使だったときにも、同じことを公表しています。 

今でもジュネーブ条約が関係すると、アメリカは棄権やボイコットを繰り返します。国際法の中心理念に公然と反対するわけにはいかないからです。ジュネーブ条約が締結された背景を考えればよくわかるでしょう。条約はナチスの残虐行為を犯罪として裁くためのものでした。当然、ナチスの占領地での行為も対象となっています。 

メディアや知識人たちはアメリカ政府におおむね協力的です。、彼らなりに自国に都合の悪い事実を「ボイコット」しています。とりわけ次の事実は認めたくないらしい。アメリカ政府にはジュネーブ条約の締約国として、厳粛な条文が定めるとおり、条約に違反する者を処罰する法的責任があるという事実です。アメリカ自身の政治指導者たちが犯した違反行為も処罰の例外とはならない。これを認めないのは「ボイコット」の一例に過ぎません。 

こうしているうちにも、武器と財政の援助は川の流れのように止まることがない。武力と恐怖によって占領状態を維持し、入植地を広げてゆく。そのためにアメリカは援助をつづけています。

【5】同年七月一四日、イラク陸軍の将校たちがバグダッドを掌握。欧米に友好的だった王政は崩壊した(イラク革命)。エジプト大統領ナセルの汎アラブ民族主義(ナショナリズム)が革命の背景だと考えた米国は、一五日、レバノンの内戦に軍事介入する。米国の目的は、中東における自国の石油権益を守るためには武力を行使する意志があると、エジプト・シリア・イラクなどの反欧米勢力に明示するのことだった。

【6】同年六月、第三次中東戦争でエジプトはイスラエルに大敗。スエズ運河をふくめシナイ半島を失う。汎アラブ民族主義を唱え、広範な民衆の指示をえていたナセル大統領の権威は失墜した。

【7】ミッチェル元米上院議員を委員長とするパレスチナ・イスラエル問題の国際調査委員会が二○○一年五月に発表した報告書のなかで示した案。パレスチナがテロリストを収監する一方、イスラエルがユダヤ人入植地建設を凍結するよう提案した。

【8】一九四九年八月一二日採択。戦時における文民の保護に関する条約。敵国内あるいは占領地域内に居住する文民は攻撃されないこと、保護・尊重されなければならないことを詳細に規定。また他の三条と共に、条約の保護を受ける人びとに対する報復的措置を禁止している。

Zネット/アラブ首脳会議についてはどんな意見をお持ちですか。

アラブ首脳会議はサウジアラビアの和平案をすべてうけ入れることになりました。永年つづいてきた国際世論には基本になるいくつかの原則があり、和平案はそれをくり返しています。つまりこうです。イスラエルは占領地域から撤退すべきである。ただし平和にむけた全面合意をしよう。占領地域につながりがある国々の権利はすべて保証しよう。そこにはイスラエルと新しいパレスチナ国家をふくめよう。そういう考え方です。これはパレスチナ国家を認めることを強調した国連決議242号の言葉使いにそっています 【9】。お互いに認めあった境界線の内側で、各国の平和と安全の権利を保証しようというものです。

目新しい点は何もありません。これらの事項は1967年の国連決議にも盛りこまれました 【10】。この時はアラブ諸国をはじめパレスチナ解放機構(PLO)・ヨーロッパ・旧ソ連圏・非同盟諸国が支持しました。その他にも何らかの関係をもつ国々が支持したので、実質は世界中が支持したことになります。しかしイスラエルが反対し、アメリカが拒否権を行使しましたから、決議は歴史から消されてしまいました。そのあと、同じような議案がアラブ諸国やPLO・西ヨーロッパから出されました。それもアメリカに阻止されて今にいたっています。その中には1981年のファハド和平案も含まれています 【11】。この和平案の記録も同じやり口で歴史から事実上抹殺されてしまいました。

アメリカの拒絶主義が始まったのは実はさらに5年をさかのぼる1971年の2月からです。このときエジプトのサダト大統領が、エジプト領からイスラエル占領軍が撤退するのを条件として、包括的な平和条約を結ぼうと提案しました。パレスチナ国家の権利や[ガザ・西岸の] 占領地域の将来には一切触れていません。イスラエルの労働党政権はこれが平和のためのまじめな提案であることを知っていました。しかし拒否することに決めた。[占領しているガザ地区から] シナイ半島の北東部へと入植地の拡大を狙っていたからです。そのあとすぐ、おそろしく野蛮なやりかたで入植地拡大が行なわれました。これが1973年におきた第四次中東戦争の直接原因です。 

軍事占領下におかれたパレスチナ人たちをどうするかについてはモシェ・ダヤン元国防相が仲間の閣僚たちにあからさまな表現をしています。かれはパレスチナ人の窮状に「理解」を示す労働党指導者の一人でした。パレスチナに向かって、「イスラエルには和平案などない。おまえたちは犬のような生活をつづけることになる。立ち去りたければそうすればいい。どんな結果になるか、いずれ見せてやる」と、そうはっきり言ってしまえという考えでした。イスラエルの占領軍はこの言葉をお手本として行動するようになり、とどまることのない下劣な行為に弾みがつきました。人々を拷問にかける、テロに走る、財産を破壊する、住民を追い出し入植する、重要資源を横取りするなどです。なかでも水の問題は重大でした 【12】。

サダトが1971年に出した和平案はアメリカが公式にとっている政策にぴったりでした。ところがキッシンジャー 【13】 は、かれ好みのいわゆる「膠着状態」に持ちこむのに成功します。交渉はそっちのけで、もっぱら武力にたのむものでした。ヨルダンの和平案もしりぞけてしまった。 

このころから表面上アメリカは撤退に関して国際世論に従った政策をとりました(これがクリントンの時までつづきます。クリントンは国連決議を事実上無視し、国際法を尊重しませんでした)。しかし現実にはキッシンジャーの敷いた路線を踏襲し、必要に迫られた時だけ交渉に応じることになります。1973年の戦争で[最初の数日間にイスラエル軍が]崩壊しそうになった時がそうでした。もともと戦争を招いた責任の大半はキッシンジャーにある。また、ベンアミの言う [新植民地主義の] 条件にみあうなら、アメリカは交渉に応じます。 

政府はアラブ首脳会議に注目を集めさせようとしています。まるでアラブ諸国とPLOの側に問題があり、特に彼らにはイスラエルを海に追い落とす意図があるといわんばかりです。報道機関はアラブ世界が動揺したり、ためらったりしているのを記事にし、彼らに交渉の資格があるのかとさえ書きます。アラブ諸国やPLOに好意的な記事はほとんどありません。しかしこういう主張はでたらめに過ぎない。歴史の記録を見ればすぐ分かることです。 

少しまじめな報道になると、サウジの和平提案が1981年のファハド提案をくりかえしたものであると伝えています。ところが提案がつぶれたのはイスラエルの存在をアラブが受け入れないからだという。繰り返しになりますが、事実はまったく違います。1981年のファハド提案はアメリカの支持を背景にしたイスラエルの強硬な反対でつぶれました。イスラエルの主流メディアも「ヒステリックな反応だ」と非難したほどです。シモン・ペレスをはじめハト派といわれる人々も同じことでした。彼らはファハド提案を受け入れると「イスラエル国家の存在そのものが危うくなるだろう」と警告していました。 

ハト派と思われていたハイム・ヘルツォーク元大統領 【14】 もヒステリーの兆候を示しています。ファハド提案を「ほんとうに書いた」のはPLOだとか、この提案はPLOが「お膳立て」をした一九七六年一月の国連決議よりも急進的だといって非難しました。このときヘルツォークは国連大使でした。もちろん、こういう主張はまちがっています。ただこのような主張が出てくるのには、わけがあります。イスラエルのハト派が政治解決に対して絶望的な恐怖を抱いているからです。アメリカはこの感情を全面的に支持しています。そうすると今のところ根本問題はどこにあるのか。ワシントンです。広範な国際合意にもとづく政治解決をイスラエルは拒否しています。ワシントンはそれを頑強に支持し続けていて、今回のサウジ和平提案でもこの姿勢は変わっていません。

こういう誰にでもわかるはずの事実を踏まえ、世間の誤った見方やいつわりを正して議論することが必要です。それができないなら議論は的はずれになります。核心をはずした議論に巻き込まれないようにするべきです。例えば、アラブ首脳会議がすべての鍵を握っていると考えたりしてはなりません。もちろん会議の進展は大切だけれど、もっと重大な問題があります。それはアメリカの責任です。私たちは問題に正面から向き合わなければなりません。問題と取り組まなければなりませんし、それを他の国の責任にしてはなりません。

【9】1967年6月、第三次中東戦争。イスラエルは、東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区・ガザ地区・ゴラン高原・シナイ半島を軍事占領。11月の決議には「地域内各国家の政治的独立」という表現がある。

【10】レバノンは70年代初頭からイスラエル=パレスチナ抗争に巻き込まれる。73年2月、イスラエルはレバノンに「先制攻撃」をかけた。75年12月、安保理で和平策の協議がすすめられていたが、イスラエルは「自衛のため」ベイルートを爆撃した。決議案は76年1月。

【11】同年10月、エジプトのサダト大統領が暗殺される。イスラエルがゴラン高原の併合を宣言。

【12】イスラエルが消費する水の半分以上は西岸地区から供給されている。ヨルダン川流域からの水はイスラエルが独占。山間部の帯水層からの水もイスラエルがその79%を使用する。一日一人当たりの給水量は、イスラエル人350リットル、パレスチナ人70リットル。世界保険機構が定める最低限の給水量は100リットル。イスラエルはパレスチナ自治区の上水・下水システムを繰りかえし破壊。また井戸を掘ることを禁じ、既存の井戸の使用も制限している。

【13】1923年ドイツ生まれの政治家・政治学者。69年にニクソン政権の国家安全保障担当補佐官となる。73年から77年、国務長官。タカ派(新保守派)の中心的な存在と言われ、現在も活発に発言をつづけている。

【14】1918年生まれ。93年まで大統領。イスラエルの大統領は象徴的な存在。

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