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緊急手記 拘束の3日間 安田純平(1)「墜落場所案内」…やられた 早く現場へ 陽動作戦に引っかかる【東京新聞】紙から
バグダッド郊外のアブグレイブで十四日、スパイ容疑のために武装グループに拉致され、十七日に解放されたフリージャーナリストの安田純平さ一ん(30)。イラクを占領する米軍と、激しい戦闘を続けるファルージャの武装グループとは何者だったのか。拘束された緊迫の三日間を、緊急手記として連載する。
「人質になった日本人三人のことを心配しているようだが、(米軍との闘争で)この数日間だけで何百人ものイラク人が死傷した。彼らのことも同じように尊重するべきではないのか」
バグダッド市内のモスクに来ていたイラク人男性に、皮肉を込めて言われた。今月九日。自衛隊撤退を求める人質としてポランティアの高遠菜穂子さん(34)ら日本人三人が、武装集団に拉致された事件を取材していたときのことだ。
バグダッド西方、ファルージャでは米国人四人の殺害事件を機に、米軍が四月初めから反米武装勢カヘの大規模な掃討作戦を展開。一般市民を含む七百人以上が死亡していた。人質事件はこうした中で起きた。
私は、イラク人が大量に殺りくされているという現場を見なければならないと思った。本質はそこにあるからだ。
ファルージャとその周辺は、イスラム教スンニ派住民の住む地域。国内を占領する米軍への反感はひときわ高い。危険回避のために、同派の信徒で元軍人というイラク人らに同行を頼んだが、調整ができなかった。
しかし、一刻も早く行動したいという気のはやりから、バグダッドで知り合った市民運動家の渡辺修孝さん(36)とともに、以前からの知人であるイラク出身の二十代の青年に通訳を依頼。十四日午前十一時、タクシーを雇って西に向かった。
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ファルージャは米軍に包囲され、近づくことが難しい。東に十キロ余りの村ガルマなどでも爆撃が行われ、戦闘地域は近郊へと広がりつつあった。米軍の爆撃で家を焼け出された住民らがさらに東へ避難していると聞き、まずバグダッドにほど近いアブグレイブを目指すことにした。
高速道路は米軍が封鎖しているため北を回る迂回(うかい)路を選ぶ。だが、こちらも米軍が封鎖。さらに北側を回って未舗装の道を進む。先に進めるかどうかは、すれ違うバスや、通り沿いの民家で尋ねながら前進した。
「この先はムジャヒデイン(イスラム義勇兵)が見張っている。日本人と言っては危ないので、中国人と名乗るといい」。北へ、西へ、南へと三時間ほど走った後、前から来た乗用車の運転手から受けた助言だった。
通訳の青年が引き返すことを提案した。だが、イラク東部からファルージャヘ援助物資を運ぶ二十台余りのトラックの車列がきたため、紛れ込んでもう少し進むことにした。少なくとも武装盗賊団からの襲撃は防げると考えたからだ。
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車列はアブグレイブの街へと入った。刑務所を左手に大通りを走り、野菜などの露店が並ぷ市場を抜けていく。そこで、私たちのタクシーの前に乗用車が割り込み、停車を促した。紛れ込んだ効果もむなしく、降りてきた五人が私たちを囲む。
「どこの国の人間だ。どこへ行く」
「後ろの二人は中国人記者だ。ファルージャ方面に行くところだ」
助言に従い、通訳が答える。偽りを言えぱ、さらに大きなリスクを負うことになる。私たちの誰もが嫌な雰囲気を感じていた。それでも、強硬に「撤退」を唱える者もなく、私たちのタクシーは五人の車の後を追うように再び走り始めた。
急ごしらえのチームの甘さ。ドライバーを含めて四人という人数の多さも「気の大きさ」につながったのかもしれない。
「米軍ヘリが墜落した場所を案内してくれるらしい」と、助手席の通訳がこちらを振り返った。と、後方から一台の車が割り込んできた。続いて、先導の車が停車するのが見えた。車を降りて、十人ほどのイラク人が向かってくる。手には自動小銃カラシニコフ。やられた。陽動作戦だった。
やすだ・じゅんぺい
1974年3月生まれ。信濃毎日新聞記者を経て、昨年1月にフリージャーナリストとして独立。イラク戦争の開戦時には「人間の盾」となった人々とともに、バグダッド南部の浄水場に滞在するなど、これまでに4回、イラクを取材した。今回は、3月16日に入国し、バグダッドを拠点にサマワ、ナジャフなど各地を訪ねながら、人質事件の被害者となった高遠菜穂子さんの解放を待つストリートチルドレンなどを、フリーの立場から取材し、本紙に寄稿した。埼玉県入間市在住。