現在地 HOME > 掲示板 > 日本の事件13 > 512.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
更新日時 : 2004年06月11日(金)22:29
大阪・都島現金輸送車襲撃の容疑で中村容疑者、再逮捕
01年10月に大阪市都島区の三井住友銀行都島支店前で現金輸送車が襲われ、警備員が撃たれて現金500万円が奪われた事件で、大阪府警は11日、名古屋市の現金輸送車襲撃事件で有罪判決を受け上告中の無職中村泰(ひろし)容疑者(74)を強盗殺人未遂と銃刀法違反容疑で再逮捕した。中村容疑者は容疑を否認している。大阪市内では99年3月と7月にも現金輸送車が銃で襲撃される事件があり、府警は関連を捜査する。
中村容疑者は、02年11月、名古屋市で現金輸送車を襲撃したとして、強盗殺人未遂容疑で現行犯逮捕された。その後、同容疑者の関係先から拳銃など14丁と実弾約1千発が押収され、警視庁は今年2月、銃刀法違反などの容疑で再逮捕した。同事件で起訴され、東京地裁で公判中。11日午後、身柄を東京から大阪に移された。
大阪府警捜査1課の調べでは、同容疑者は01年10月5日午前10時25分ごろ、大阪市都島区高倉町2丁目の三井住友銀行都島支店の駐車場で、現金輸送車を待ち伏せし、警備員(56)に向けて拳銃を発砲して左足に重傷を負わせたうえ、現金500万円などが入ったジュラルミンケースを奪った疑い。
犯行には38口径の自動式拳銃が使用され、現場から銃弾と薬莢(やっきょう)が見つかった。府警は、これらの遺留品の一部から微細な細胞片を検出し、東京都内の研究機関にDNA鑑定を依頼していた。その結果、細胞内のミトコンドリアのDNA型と中村容疑者の型が極めて似ていたことなどから逮捕に踏み切った。
大阪市内では、99年3月5日に西成区玉出西2丁目の三和銀行玉出支店で、同7月23日には東成区大今里南1丁目の東海銀行今里支店で、相次いで現金輸送車の警備員が撃たれる強盗殺人未遂事件が発生した。東成区の事件では現金約4500万円が奪われた。
http://news.goo.ne.jp/news/asahi/shakai/20040611/K0011151911021.html
拳銃10丁と大量の実弾を貸金庫に隠していたとして、銃刀法違反などの罪に問われた無職中村泰被告(74)の初公判が26日、東京地裁(岡田雄一裁判長)で開かれた。
被告側は「警視庁に拘置されており、防御権を十分に行使できない」として起訴事実に対する認否を行わなかった。次回公判の7月15日に認否を明らかにする方針。
起訴状によると、中村被告は昨年8月21日、東京都新宿区にある生命保険会社の貸金庫に拳銃10丁と実弾1006発を隠し持っていた。
中村被告は、2002年に名古屋市で銀行の現金輸送車を襲撃した事件でも起訴されており、1、2審で懲役15年の判決を受け、上告中。警視庁は名古屋高裁での控訴審が結審した後の今年2月、銃刀法違反容疑で逮捕していた。
http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/shakai/20040526/20040526a4870.html
―法案が通った場合、取材活動への影響は
「僕の仕事は、まずあらゆる資料を集め、生い立ちからかかわった人たちに話を聞く。一年、二年とかけて遠い周辺から徐々に肉親などに近づき、最後に本人にインタビューする。その時、相手のことを本人より知っているくらいでないと駄目。資料を読んだだけでは何も話は引き出せない」
―そういった手法が不可能になる
「今でも取材相手から『(取材対象)本人の同意は得たのか』と聞かれ、断られることがある。現在は何もできないが、法案が通れば『どんな目的で、誰から取材したのか開示しろ』と迫られる」
―国民への影響は
「権力の行使者が裏でこそこそしていることをきちんと知らせるのがメディアの大きな役割。それが国民に見えなくなる」
▽一般市民が狙い撃ちに
―法案の狙いは何か
「個人情報保護法案が通れば、真っ先に打撃を受けるのはメディアじゃない。インターネットを使って消費者運動や平和運動などをしている一般市民が狙い撃ちにされる。官僚はこれまで手を出せなかったネット社会にくさびを打ち込んで支配しようとしている。情報を握り、情報社会で勝者になるためだ」
「国旗国歌法、盗聴法、有事法制…。今起きている現象を一つ一つ見ると、共通しているのは戦争に向けた国家総動員態勢づくりだ。情報統制もその一環」
「メディアも将来、事態が緊迫してくれば狙われる。当局は使える法律があれば何でも使う。武器を与えてはいけない」
―読売新聞社の「修正試案」は
「あきれ果てた。『透明性の確保』の原則だけ外して取材源の秘匿だけ守ろうということ。取材の都合しか考えていない。官僚による情報支配という法案の本質を理解していない。市民とメディアの距離は広がるばかりだ」
▽危うい「優秀な記者」
―メディア規制の背景には、過剰取材などによる国民のメディア不信がある
「当然だ。報道の本来の使命は、事件や事故などの真相を究明し、それが二度と起こらないように原因や責任を明らかにすることだ。しかし今の記者で、報道の使命のために頑張っていると胸を張って言える人がどれだけいるだろうか」
「デスクに怒られたからとか、よそが書いてうちだけ落とすわけにはいかないとか。自分の経験に照らしてもそういうことが多いのではないか」
―なぜそうなったのか
「一言で言えば、メディア内の言論の自由がないからだ。皆が常に仕事について考え、感じたことを討論して取材を展開する態勢がなくなってしまった」
「それと官庁への依存度が大きすぎる。記者クラブ制度の中で、官庁情報の価値を判断して速やかに正確な記事を書ける記者が優秀だとされる。でも僕から見れば優秀な記者ほど始末の悪いものはない。官庁情報のシャワーを浴び続けていると、いつのまにか官僚たちの目線で物を見て、権力に対する批判的な視線をなくしてしまう。僕も検察や警察の取材をしながら『権力側にも優秀でいい人が多いじゃないか』と思った」
▽「クソバエ」の意地を
―今の記者に言いたいことは
「例えば悲しみに沈んでいる遺族に話を聞く時、普通の記者なら心が震えている。『こんなことやりたくない』と思ったら声を上げるべきだ。しかし、真相究明のために必要だと思ったら、おくする気持ちを振り払って遺族の前に立つべきだ。今のメディアの問題点は、この記者の心の震え、一人の人間として感じること、考えることを画一的な価値観、取材方法の中で殺してしまっていることだ」
「作家の辺見庸氏は記者のことを『クソバエ』と言った。人の不幸やスキャンダルをもとに食っているんだから、僕もそう思う。でも深刻なのは、クソバエなら必ず持っているはずの敏感なきゅう覚や感受性、自由さを今の記者が失ってしまったことだ。この商売を選んだ以上、クソバエの意地を賭けて権力と渡り合わなければならわなければならない」
(了) 05/28
http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2002/kisei/news/20020528-97.html