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(回答先: 小6事件・救急隊 死亡判定に規程違反 到着時なお体温 消防局公表せず (西日本新聞)−−−被害者遺棄、重大な規定違反 投稿者 竹中半兵衛 日時 2004 年 6 月 07 日 05:15:31)
小6同級生殺害:救急隊員の判断は問題なし 麻生総務相
毎日新聞6月8日
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20040608k0000e040050000c.html
長崎県佐世保市の小6同級生殺害事件で、事件直後に現場に駆けつけた救急隊員が、生体反応の喪失を十分確かめないまま被害者の御手洗怜美さん(12)を病院へ搬送しなかったとする報道について、麻生太郎総務相は8日の閣議後会見で「現場の(救急隊員の)死亡判断は問題なかった」との見方を示した。
消防庁が自治体に求める救急業務の基準では、疾病者を病院に運ばなくていいのは、死後硬直の出ている場合など例外的なケースに限られ、通常は、意識がない、呼吸がないなど6項目の生体反応の喪失の確認が救急隊員に義務づけられる。「(この基準のうち)体温の喪失や死斑が認められないまま死亡と判断され、搬送されなかったのではないか」との質問に対し、麻生総務相は「基準は『一般的に』と書かれており、死亡確認は現場の救急隊員の責任で判断される」と述べ、対応に問題はなかったと答えた。【野倉恵】
毎日新聞 2004年6月8日 11時57分
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池田小学校事件は教訓化されていたのだろうか。
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読売新聞
(連載)[凶行の記憶](2)「救える命」 片時も忘れず…救急隊・医師
http://www.yomiuri.co.jp/features/ishm/200308/is20030822_01.htm
大阪府池田市消防本部には、「集団災害活動マニュアル」と題した手引書がある。大阪教育大付属池田小事件から1か月後の2001年7月、当時の消防長(62)が部下に作成を指示したものだ。「先着救急隊の役割」の欄に、重要項目として「トリアージを実施した傷病者には、必ずトリアージタグを活用する」とある。
トリアージとは、切迫した患者を優先搬送・治療するため、負傷程度に応じて順位を付ける救命医療行為。トリアージが済むと、患者の腕などに、4色いずれかのタグ(札)を付ける。重症は赤、中等症は黄、軽症は緑、そして死亡か心肺停止は黒。隊員たちは、航空機事故を想定した訓練などで、トリアージの経験を積んできた。
「子供が刺された」。一報から10分後、付属池田小に到着した隊員たちを、経験のない惨状が待ち受けていた。横たわる子供たち。おびただしい血。手の施しようのない子もいた。付けるべきタグは黒。だが、隊員たちは誰1人それを付けることはできなかった。
このため、心肺停止の1人の児童に、何人もの隊員が入れ替わり立ち替わりトリアージを試みることになった。影響については検証できないが、時間のロスを生んだことは否めない。それが後に議論になった。
「黒いタグを見た親はどう思うか」「わが子の顔が重なった」。隊員の思いが記された報告書を基に開いた検討会で、ある幹部はこう言った。「心情はわかるが、タグで救える命がある。それは消防の使命だ」。トリアージの徹底を手引書に盛ることが決まった。
■ □
無念の思いと決意は、医師たちにもある。
池田市立池田病院には、消防のホットラインで第一報が入った。「不審者が刃物を持って乱入」「1人はCPA(心肺停止状態)」
じきに全館に緊急コール。「CPR(心肺蘇生(そせい)法)、CPR」。小林哲郎・副院長(56)は部屋を飛び出した。
近隣の病院からも小児外科の専門医らが次々と到着、救急外科室は約50人の医療スタッフであふれかえった。収容したのは被害者23人のうち11人。懸命の心臓マッサージ、縫合手術が続く。「一体、何なんだ」。女児2人の死亡が確認された。
「両親には、せめてきれいな姿で対面させてあげたい」と、遺体の血を看護婦は泣きながらぬぐった。小林副院長は「プロが泣いてどうする」とどなったが、目は真っ赤だった。「こんなことしかできなくてごめんね」。看護婦は2人の枕元にハムスターの縫いぐるみをそっと置いた。
小林副院長は振り返る。「最善を尽くしたつもりです。しかし、まだできることはないか、どんなささいなことでも生かしていきたい。事件を機に、そう決意しました」
事件後、池田病院は、通報内容をより早く的確に判断できるよう、ホットラインを医事課からナースステーションに移した。その脇には、搬送人数など聞くべき重要項目を列挙したボードも置いた。
■ □
当時、千里救命救急センター(大阪府吹田市)の救急医だった吉本理恵さん(32)は、消防からの連絡でドクターカーに飛び乗り、医師では一番先に付属池田小前のスーパーに着いた。背中を刺された男児に点滴。「大丈夫、頑張りや」と声をかけると、震えていた男児が、ようやく「うん」と答えた。
学校へ走った。そこで計6人の女児を診た。どの子も心肺停止状態。「早く着いていれば……」。悔しさがこみ上げた。
出動要請は119番通報から10分後、吉本さんが校内に入るまでにさらに20分余りを要した。しかも出動したドクターカーは2台。同センターの甲斐達朗・副所長(51)は「もっと早く、もっと多く出ていれば、救護状況は違っていたはずだ」と言う。
吉本さんは今、兵庫県西宮市で内科医院を経営している。多くの患者を抱えながらも、志願して市のドクターカーに乗っている。
深夜、「出動」の連絡が枕元の電話に入る。家人を起こさぬよう、そっとベッドを抜け出す。玄関先で救急車を待つ時、ふと、あの子たちの顔が浮かぶ。
「救える命があるんだ。一刻も早く現場に着きたい」。そう思うという。
ドクターカー 消防からの要請で医師が救急救命士、看護師と乗り込んで現場に向かい、病院に搬送されるまでの間に救命措置を行える高規格の救急車。車内には人工呼吸器や心電図電送装置などもある。厚生労働省によると、全国167の救命救急センターに74台(昨年度実績)が配備されている。
( 2003年8月22日付 読売新聞 無断転載禁止)