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(回答先: 筋弛緩剤事件:被害女児とクリニック側が和解 [毎日新聞] 投稿者 あっしら 日時 2004 年 3 月 31 日 16:48:19)
http://www.kahoku.co.jp/news/2004/03/20040331t13030.htm
◎自白の信用性認定は疑問/甲南大教授(刑事訴訟法)渡辺修氏
判決は、鑑定結果や病院と被告に利害関係のない証人の証言など客観的証拠を重視し、次いで事件関係者と被告の供述を突き合わせて被告の犯人性を浮き彫りにした点では、説得性がある。
被告による筋弛緩(しかん)剤の発注、筋弛緩剤の検出、空アンプルを病院から持ち出そうとしたことを背景に、1歳女児、11歳女子の事件時、現に点滴に関与したことなど事件の前後から事実を積み上げて犯人を絞り込んだ点も納得できるものがある。
ただ、筋弛緩剤の検出が重要な鍵となる事件なのに、警察が鑑定資料を全量消費する運用を裁判所が正面から容認した点は反省すべきだ。再鑑定の機会を保障せず、警察の鑑定結果をうのみにするのでは、科学捜査に基づく公正な裁判ではない。
密室取り調べでなされた自白を信用して犯行関与の認定を強めた点も疑問だ。検察側は「正座し反省して自白した」と主張し、被告側は「怒鳴られ脅されたので自白した」という。
自白の任意性と信用性の前提となる取り調べ状況をビデオ録画などで再現できないまま、重い刑罰の根拠にすることは冤罪(えんざい)の原因となる。
自白事件を「てこ」にして同一手口の他の事件の犯人性を推認してよいとする点は、疑わしさの影を重ねて有罪を認定するものだ。「合理的疑いを超える証明」という刑事裁判の鉄則を緩めることになる。
被害の重みも事実だが、将来裁判員となる市民には冷静な目で裁判を見てほしい。
◎状況証拠の認定に意義/帝京大教授(刑事法)土本武司氏
「犯人性」のみならず、「事件性」も熾(し)烈に争われた本件は、事実認定・量刑ともに検察が完勝した。
事実認定については、客観面では、当時1歳の女児に対して被告人が点滴ルートの三方活栓に液体を注入した事実を、女児の両親らが目撃していること。主観面では、捜査段階で当時11歳の女児に対し筋弛緩(しかん)剤を投与した事実を自白していることを軸とし、状況証拠しかない残りの3被害者についても、「同一場所で同一の手口による犯行が累行されれば、同一犯人の仕業である」との類似法則を用いて積極的に推認した。
「東京地下鉄サリン事件」や「和歌山ヒ素カレー事件」などと異なり、5人の被害者ごとに殺害行為があったことの立証を必要とする本件において、かかる認定手法が用いられたのは状況証拠による事実認定として先駆的意義があり、数年後に実施が見込まれる裁判員裁判に1つのサンプルを示したことにもなろう。ただ、犯行の動機の点の立証が薄弱であることとの関連において、殺意は未必的なものにとどまるとした点については、動機が何であれ、筋弛緩剤が致死薬であることの認識があれば確定的殺意を認定できるはずであるので、疑念が残る。
全部有罪である以上、量刑が無期懲役であるのは妥当である。医療従事者が病院内で医療行為を装って患者に対し殺人行為に及ぶというのは言語道断である。
検察・弁護間でこれだけ鋭く対立したのに、争点主義と集中審理方式に徹したため、「3年以内判決」の目標が実現された。オウム裁判が7年余を要したのに比べ、迅速裁判に向けた訴訟当事者の努力は他の裁判の範とするに足る。