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(回答先: はぁい(晴) とりうみ くうです! 投稿者 乃依 日時 2004 年 6 月 08 日 13:21:41)
ええと、この「とりうみ・くう」(10歳)さんは、
情緒障害の概念的(思想的)emulation
結果できあがった、擬似存在ということになります。
この「とりうみ・くう」さんを、構築するには、
いくつかの思想設計(architecture)
が必要であったはずです。
いくつかあげると
・事故により、10年退行している
・体が大きくなっているので、その幼児的な表情は不気味である。
・病理的には問題なし
・空は、実は傷ついている
・愛を感じれば回復する
・そうでなければ、えいえんにこのまま
読者は、この「とりうみ・くう」さんの思想設計
を共有しなければ、この場面を理解できないわけです。
この場面は、"Option"という項目の中にあるので、
1度でも、ゲームが完成すれば、見れます。
しかし、空が情緒障害を起こす場面を通過するのは、1度目としては、無理か、かなり難しいので、(エンディングはいっぱいあり、ストーリはいくつもに分岐するので)
この「とりうみ・くう」を見て、
当惑して、気味が悪くなり、苦しみを覚えるわけです。
わたしもそうでした。
なぜかというと、「とりうみ・くう」は、「鳥海空」とはあまりにも違いすぎて、
キャラクターの思想設計が違いすぎて、あまりにも理解できないからです。
でも、「ほんぺん」でこの過程を経過した後で見ると、
「くうちゃん、かわいそう」とか、
「なつかしいな」と感じれるわけです。
文学とは、そういうもの(思想を共有しあい、傷を共有し癒しあうためのもの)だと思うんです。
F&Cでの紹介ページ
http://www.fandc.co.jp/products/fairytale/index.html
文学とは、思想設計の共有の上に成り立つもの
であるということを、
ご理解いただくために、やや極端な例を挙げましたが、
どうぞ、ご理解下さい。
※このときのBGMを探したかったのですけど、
ネットでは見つかりませんでした。
http://www.dtm.ac/