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(回答先: ファシズムの限界、それは、人間の器の限界 投稿者 乃依 日時 2004 年 6 月 08 日 19:19:05)
>ファシズムの限界、それは、人間の器の限界です。
>ひとり、あるいは、限定された人間の思考力には、限界があります。
>それよりは、概念を共有し合い、様々な人たちで、協議を重ねた方がよい。
戦後米英的ファシズム観に囚われているように思えます。
ナチス・ドイツでも、ファシズム的「概念を共有し合い、様々な人たちで、協議を重ねた」ものをある事柄についてはヒトラーが最終決定していたのですよ。
戦争という営みであれば、米英でも同じように独裁的決定が通例です。(戦争を民主主義的に遂行すれば敗北は必至です)
ヒトラーであれ、スターリンであれ、毛沢東であれ、金正日であれ、自己の生命的有限性と能力的限界性を熟知していたはずです。
“独裁者”であればあるほど、個人が抱えている生命的有限性や能力的限界性をいやと言うほど自覚させられる状況に身を置くことになりますし、それを自覚しない独裁者は短命に終わります。
(コンクリートの箱に入っていてできることではないので、独裁支配を維持するのはたいへんなことです)
いわゆる民主主義国家でも、「人間の器の限界」はそのまま通用する論理です。
個々の人間に器の限界があるのなら、それをいくら足しても限界を突破できないからです。
個に限らず、類として「人間の器の限界」を自覚することは重要だと思っています。