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(回答先: 山古志村の全村民避難 新潟県中越地震(13:07)【共同】 投稿者 木田貴常 日時 2004 年 10 月 25 日 13:58:23)
「命あるだけ幸い」孤立の村をヘリで脱出 新潟・山古志
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http://www.asahi.com/special/041023/TKY200410240202.html
http://www.asahi.com/special/041023/images/TKY200410240161.jpg
自衛隊の大型ヘリコプターで救出された山古志村の村民たち=24日午後3時45分、長岡商業高校で
http://www.asahi.com/special/041023/images/TKY200410240223.jpg
自衛隊機に救出される、孤立していた山古志村の住民=午後3時45分、本社ヘリから
http://www.asahi.com/special/041023/images/TKY200410240219.jpg
孤立した山古志村から陸自ヘリで避難してきたお年寄り=24日午後5時20分、新潟県長岡市で
http://www.asahi.com/special/041023/images/TKY200410240216.jpg
山古志中学校から陸自の輸送ヘリで避難する住民たち=24日午後5時15分、新潟県山古志村で
土砂が崩れ、村につながる道路が寸断されて孤立した新潟県山古志村。24日、有数の豪雪地帯で3人に1人は65歳以上という過疎の村から、村民たちがヘリコプターで避難し始めた。家屋や道路、田畑に大きな被害をもたらした地震のつめあとを前に住民たちは不安を募らせる。
4年前に夫を亡くし、一人暮らしをしている女性(82)は前夜、近所の人と4人で車の中で過ごした。長岡市に住む次女と24日昼を過ぎても連絡が取れない。「近所の仲間がみんな行くというので、私もそうすることにした。少しでも早く、子供と連絡を取りたい」と話した。
同村竹沢の小池五郎作さん(73)の自宅の時計の針は6時10分を指したまま止まり、小池さんは家族8人で避難所の山古志中学校に駆け込んだ。ろうそくを所々にともして一夜を過ごした小池さんは「寒くて、怖くて、眠れなかった。きのうの夜から何も食べていないが、命があるだけで幸いだ」。
北西に金倉山、北に猿倉岳、南東には鳥屋ケ峰山塊と村は山に囲まれ、大半が傾斜地だ。寸断された道路の復旧が遅れれば食料や水を届けるのは難しく、村民の命にかかわる。長島忠美村長(53)が村全体の避難を決めた背景には、こうした事情があったとみられる。
自衛隊の大型ヘリによる救出活動が始まったのは24日午後。長岡商業高校(長岡市)のグラウンドに午後3時45分ごろ、村民たちを乗せた第1便が砂煙を上げながら到着した。同校には2便で約70人が降り立ち、体育館でバスやワゴン車を待った後、近くの長岡大手高校へ向かった。
第1便で避難した同村竹沢桂谷の小池淳子さん(69)は前夜、孫4人に「ばあちゃんがいるから大丈夫だよ」と声をかけ続けた。避難先の中学校ではヘリに乗るまで食料の配給がなく、炊飯器に残っていたご飯でおにぎりをつくった。夫と息子は家の片づけのために村に残った。
第2便に乗ってきた関サダさん(64)は昨年亡くなった両親の位牌(いはい)を入れたポリ袋を手にしていた。「誰もいないところに両親を残しておくのは忍びなくて、決死の思いで家に取りに入りました」「あの家にはもう住めない。これからどこに住めばいいのか」
家族3人で避難した会社員の男性(51)は23日夜、ラジオを夜通し聞いていたが「山古志村」の名は出ず、「このまま連絡が全然こないのではないか」と不安になったという。生まれも育ちもずっと山古志村。「こんな形で村を離れるなんて思いもしなかった」とため息をついた。
農業松井房江さん(71)はヘリで村を離れる前、住み慣れた家をふり返りながら、長男(46)と「もう終わりだね」「見納めだね」と話した。 (04/10/24)