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(回答先: 住宅再建『兵庫モデル』挑戦 阪神大震災10年[東京新聞/核心] 投稿者 なるほど 日時 2005 年 1 月 17 日 00:10:15)
阪神大震災から明日で十年。この間、復興の象徴として災害復興住宅が建設された。被災者の終(つい)の棲(す)み家(か)にもかかわらず、「孤独死」が後を絶たない。コミュニティーができず、いまだに知り合いもいない生活を強いられているからだ。六十五歳以上の入居者は四割を超えた。「高齢化」と「孤独」がむしばむ復興住宅の今は「将来の日本社会の縮図」でもあると、住民はうめきをもらす。 (松井 学)
「防犯カメラ設置」と書いた壁の張り紙が、寒風ではがれかかっている。人けのない神戸市灘区の復興住宅。この一室で昨年七月、高齢者姉妹の姉(82)=当時=が遺体で見つかった。
■認知症が進行し死を理解できず
異臭がきっかけで近所の人が保健所に知らせた。遺体は和室のふとんに横たわっていた。死後、一カ月近い。腐敗して手がつけられなかった。傍らで同居の妹(77)は「スンマヘン」と何度も頭を下げる。だが、姉の死を理解できていなかった。「今朝は一緒にごはんを食べた」。認知(痴呆)症が進んでいた。
姉妹は体が少し不自由で、食事も総菜を買っていたようだ。立ち会った自治会長(68)はいう。「妹さんとは外であいさつはする。お姉さんはと聞くと『元気ですよ』と返事が来た。それなのに、手遅れになった」。親しい人はいなかったようで、孤立した高齢世帯の、見えない死だった。
復興住宅は被災者向けの団地として五年ほど前に各地で約二万六千戸建てられた。この姉妹の復興住宅には二百九十世帯、四百八十人が暮らす。六十五歳以上が二割を超えれば超高齢社会と呼ばれるが、ここでは高齢化もその二倍以上の割合だ。震災で家族を亡くしたり、家や仕事を失った人が多い。避難所から仮設住宅、復興住宅へと引っ越してきたという住人の女性(80)も、住み慣れた地域を離れざるをえなかった。
「抽選で入った、知らない人の寄せ集めだから近所づきあいがない。先日も隣の物音がしないと思っていたら、入院先で亡くなったと後から聞いた。ドアの鉄扉(てっぴ)を閉めたら、外で何が起こってもわからない」
出歩かない高齢者が多いため、復興住宅の近所には店も増えない。大きな商店街まではバスで出かける。一時間に一本、終バスは午後六時すぎだ。
自治会長は「復興住宅の高齢化が、震災から十年がたって一番の問題だ。ここで暮らすと、高齢者ばかりになる将来の日本社会は、こんなに暗澹(あんたん)たる暮らしなのか、とその縮図を見ている気持ちになる」とうつむいた。
共同通信によると、兵庫県警などの集計では同県内の復興住宅で、昨年末までの五年間、誰にもみとられず孤独死した入居者は三百二十七人を数える。うち六十歳以上が四分の三を占めた。震災後から二〇〇〇年三月まで設置された仮設住宅でも約五年間の孤独死は二百三十三人あり、震災後十年間の孤独死は少なくとも計五百六十人に達する。
行政が手がける復興住宅の見守り対策には、高齢者向け住宅を定期的に訪ねる生活援助員(LSA)がいる。ほかにも高齢世帯生活援助員(SCS)らがいるが、財源となっている復興基金は〇四年度末で期限が切れるため、事業規模の縮小は避けられない。それにこれらの制度は、地域づくりには直接役立たない。
そんななか、住民自身が地域づくりに取り組む住宅がある。
「LSAのように、同じ相手を回っているだけでは効果は上がらない。私たちは自治会で各世帯を訪ねて、だれが病気か、歩くのが不自由かを把握する。もし二、三日でも顔を見なければ必ず訪ねる。復興住宅に住んでお互い五年になるが、最近は孤独死は出ていない」
「なぎさふれあいのまちづくり協議会」の坂本一夫委員長(79)はこう胸を張った。神戸市でも「東部新都心」に当たる、灘区の「HAT神戸灘の浜」の復興住宅の集会所には坂本さんら住民が集まり、談笑する姿が絶えない。
協議会が月二回開く、ふれあい喫茶には百人を超える高齢者が参加してにぎやかだ。月一回の給食会の準備に来たという女性(74)は震災時に被害が最も大きかった長田区に住んでいた。「当初は元の街に帰りたかったけれど、同年代と話ができるし、ここへ来てよかった」
■住民同士が交流一緒に入居応募
協議会では高齢者ボランティアが、高齢者を支援する。人間関係を敬遠したり、足腰が弱ったなどの理由で家の中にこもっていた人が、ふれあい喫茶の「五十円のコーヒーとケーキ」につられ、顔を出すようになることも多い。
坂本さんも神戸市灘区で被災し、自宅は全壊した。移った仮設住宅では見知らぬ人ばかり。そこで自治会をつくり住民同士の交流を始めた。今の復興住宅へも、仮設住宅での知り合い十世帯が意識的にまとまって応募し入居した。それが活動基盤となった。
新潟県中越地震でも山古志村民はまとまって仮設住宅に入居したが、坂本さんは当時既に同じことを考えていた。「今では住民同士、何百人もの顔を覚えた。逆に見知らぬ人がいたら、すぐにわかる」
地域づくりが進む復興住宅と、高齢者が孤立化する復興住宅の落差はどこで生まれるのか。特定非営利活動法人(NPO法人)「阪神高齢者・障害者支援ネットワーク」の黒田裕子理事長は「地域活動は自治会トップの人たちが住民支援を工夫できているか、活発に動いているかどうかで違ってくる。さらに、ボランティアがしっかり地域活動に加わっている復興住宅は、コミュニティーができている。自治会とボランティアが車の両輪の役割を果たしている」と指摘する。
黒田さんは震災後、神戸市郊外の仮設住宅団地の被災者支援活動を手がけた。今、支援対象にする復興住宅には千八百人が住み、六十五歳以上の一人住まいは四百五十人を数える。
「私たちは二十四時間態勢で備え、気になることがあったら夜中でも行く」
こうして、ボランティア活動と住民の地域づくりがかみ合っていても、復興住宅の高齢化のスピードアップは待ったなしだ。
前出の坂本さんは、課題は「世代交代」だという。
「これからは、六十−六十五歳ぐらいのまだ体が動く定年族に入居を働きかけていきたい。住民の防災訓練や結びつきの楽しさを知ってもらい、老後に安心して暮らせる街である魅力を伝えれば復興住宅にも人が集まるのではないか」
黒田さんは、こう話す。「行政は予算がないからできない、震災十年だから打ち切るでは済まない。住民も行政がしてくれないではなくて、地域の力でコミュニティーを保持する。被災市民にとって、まだ復興は終わっていない」
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050116/mng_____tokuho__000.shtml