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3基目の伊都国王墓 倭人伝「世々王有り」実証へ 中国製銅鏡が出土
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050217-00000018-nnp-kyu
福岡県前原市教委が同市井原で発掘中の弥生時代後期(一―二世紀)の遺跡から、当時の権力者が所有したとみられる中国製銅鏡「方格規矩(きく)四神鏡」が出土した。現場は、中国の歴史書、魏志倭人伝に登場する古代のクニ「伊都国」の中心部。江戸時代に同種の鏡が大量出土し場所が不明になった幻の王墓「井原鑓溝(いわらやりみぞ)遺跡」(一世紀)の可能性が高まった。伊都国の王墓は他に二つ特定されており、三つ目が確認されれば、魏志倭人伝の「(伊都国には)世々王有り」という記述を実証することになる。
発掘調査は県道拡幅工事に伴い順次行われており、現場は本年度分。水田を幅五メートル前後で南北に約三百メートル、深さ二、三メートル掘り下げたところ、多数の装飾用ガラス玉、土器などとともに中国製の銅鏡数枚が出土。うち一枚が「方格規矩四神鏡」。江戸時代の天明年間(一七八一―八八年)に発見された井原鑓溝遺跡を記録する古文書「柳園古器略考」(一八二二年、青柳種信著)にある銅鏡の拓本と同じ種類だった。
この古文書には、農民が溝から見つけたつぼの中から、高貴な人物の墓に用いる顔料の朱や古鏡数十枚が出てきたと記されている。発掘現場は朱が流れ出た跡や近世の水路跡など、古文書と符合する点が多いという。ただ、当時の銅鏡は散逸し、発見場所も明確に書かれておらず、長くなぞになっていた。
伊都国は、女王卑弥呼がいた「邪馬台国」や金印で有名な「奴国」と並び、魏志倭人伝に記載された弥生時代有数のクニ。この時代の王墓で確認されたのは、伊都国の三雲南小路(紀元前一世紀、前原市)と平原(二世紀末、同)、奴国の須玖岡本(紀元前一世紀、福岡県春日市)の三つだけ。
■方格規矩四神鏡
三雲南小路、平原に井原鑓溝を加えた三王墓に副葬された銅鏡は百枚を超え、弥生時代の銅鏡としては全国最多。伊都国の勢力の大きさと、中国との外交的結び付きの強さもうかがえる。武末純一・福岡大教授(考古学)は「幻の王墓の存在がやっと確定しそうだ。当時の王の実像を探る貴重な手がかりであり、遺跡の全面的な発掘に期待したい」と話している。
弥生、古墳時代を通じて権力者の墓から出土する中国製の銅鏡。前漢末から後漢時代に盛んに製造され、日本へももたらされた。卑弥呼がもらった100枚の鏡だとする説もある。中心部の正方形(方格)や青龍、白虎、朱雀(すざく)、玄武の四神などが描かれているのが特徴。
(西日本新聞) - 2月17日12時32分更新