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琉球弧北端から 喜望峰に立って/サシバはいずこ/森呼吸
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投稿者 なるほど 日時 2004 年 12 月 09 日 10:34:15:dfhdU2/i2Qkk2
 

(回答先: 琉球弧北端から 原点をめざす長い旅/水をもてあます地球/火縄銃からアブグレイブまで 投稿者 なるほど 日時 2004 年 12 月 09 日 10:31:37)

「琉球弧北端から」第10回
琉球新報 2004年10月2日掲載


■喜望峰に立って■

 一五四三年に種子島へ火縄銃をもたらしたポルトガル人が乗っていたのは、中国人倭寇[わこう](倭寇は多国籍)の船で、通訳は琉球女性だったという。ちょうど同じ年、ポーランドの天文学者コペルニクスが地動説を発表したことに象徴されるとおり、鎖国の徳川日本をよそに、世界は第一次グローバル化とも呼べる時代に突入していた。一四九四年の条約でスペインとポルトガルが世界を二分したことは前回触れたが、十五世紀末から十六世紀にかけての歴史年表を紐解くと、足早な激動にめまいさえ覚える。

 西進したスペインの画期が一四九二年、コロンブス(彼自身はイタリア人)の中米バハマ諸島到達だとしたら、東進したポルトガルの画期は、それよりひと足先、一四八八年のバルトロメウ・ディアスによるアフリカ最南端、喜望峰通過だろう。陸路で危険なアラブ・イスラム圏を通らずに東方の富を狙うべく、アフリカ西岸をじりじりと南下して、東へ抜ける航路を探し続けた成果だった。その後、ポルトガルはインドのゴア、マレー半島のマラッカ、インドネシアのマルク諸島(香料群島)、中国のマカオと、足がかりを築いていく。

 しかし、マヤ、アステカ、インカの三文明を滅ぼしたスペインのように “面”で熾烈な覇権を広げるのではなく、ポルトガルの足取りは“点”の飛び地であり、植民地経営もそこそこに、一五七八年には十字軍の敗退でスペインに併合されてしまった。おもしろいのは、スペインの海外進出が、同国南部を長年支配したイスラム王国を滅ぼし、イベリア半島全体をキリスト教圏に取り戻す「レコンキスタ」(再征服)の勢いに乗ったものだったのに対し、ポルトガルの衰退が逆に、対イスラム政策のつまずきをきっかけにしていたこと。なんだか、ブッシュ十字軍がイスラム世界と敵対する二一世紀冒頭の構図とそっくりではないか。

 先日、はじめて南アフリカ共和国を訪れ、その喜望峰に立つ機会を得た。本当のアフリカ最南端は、一八〇kmほど南東のアガラス岬なのだが、ディアスが名づけた「大風の岬」にたがわず、南極大陸からじかに吹きつける風が清々しくも冷たい喜望峰は、人間の歴史など知らぬ顔で荒波に洗われていた。それでも、歴史のたが[下線部傍点]を抜けられない私は、少なくとも西洋史の里程標となった場所で、海水を舐めては塩辛さを確かめ、波打ち際から砂岩のかけらを持ち帰らずにいられなかった。鉄砲、綿、アヘン、サツマイモ、近代科学――この場所を曲がり角として、いかに多くのものが日本を含むアジアへもたらされ、東洋史をも塗り替えたことだろう。それは真の希望につながっただろうか。

 アフリカ現地では、この問いにNOと答えざるをえない苛酷な歴史が刻まれてきた。奇しくも、今年は南アがアパルトヘイト(人種差別政策)に終止符を打って十周年に当たる。喜望峰に立った翌日、ケープタウンの沖合に浮かぶロベン島へ渡った。一九六二年に国家反逆罪で終身刑を言い渡された反差別運動の指導者ネルソン・マンデラが、二七年におよぶ刑期の大半をすごした場所だ。現在はユネスコの世界遺産(文化と自然の複合遺産)に登録され、監獄時代の受刑者から話を聞いたり、マンデラの独房を見学したりすることができる。文字どおりこの世の果てのような孤島で、アパルトヘイト社会を凝縮した劣悪な差別環境のもと、マンデラたちは監獄を自己啓発と政治学習の場に変えた。小学校もろくに出ていない受刑者が、いくつもの資格を取って出獄する例も珍しくなかったという。

 しかしそれは結果であって、収監中の彼らに釈放の望みなど見えはしなかったし、最悪の場合は外部からの情報も連絡も断たれて、身動きするのがやっとの独房生活を強いられた。その状況で正気と希望を保ち続けたことに、ただ頭が下がる。アパルトヘイト時代、私もマンデラが属するANC(アフリカ民族会議)をささやかに支援したが、ロベン島をこの目で見てはじめて、彼らから何を学ぶべきかが実感できた。一九九〇年二月にマンデラが釈放されたとき、出獄第一声を聞こうと、ケープタウンの旧市庁舎前広場には十数万人もの人びとが押し寄せた。いまでも、さほど大きくない広場に十数万の人波を想像するだけで、胸に迫るものがある。その後のアパルトヘイト全廃、マンデラのノーベル平和賞受賞、民主選挙とマンデラ大統領誕生、新憲法制定など一連の出来事は、ほとんど奇跡といっていいかもしれない。

 なおも残る差別や経済格差、エイズ危機といった課題は抱えつつ、人びとの表情には巨大な社会悪を自力で乗り越えた自信と明るさが宿る。喜望峰の名は、きっとこの国にふさわしかったのだ。



「琉球弧北端から」第11回
琉球新報 2004年11月6日掲載


■サシバはいずこ■

 琉球弧を結ぶ使者として、飛来を楽しみにしているサシバ(ワシタカ科小型猛禽)が、待てど暮らせど姿を見せない。毎年、十月のはじめには、北の生息地である北日本やシベリアのアムール川流域から、はるか南の越冬地フィリピン、インドネシア方面へ渡る途中、屋久島を通過するのだが、今年はとうとう十月いっぱい一羽も目撃できなかった。もしや、これも地球温暖化と関連する異変だろうか。考えられるのは、温暖化で南へ旅立つシグナルが遅れているか、南北の生息地のどこかで大規模な環境破壊が起こり、激減してしまったかだ。去年もひどく少なかったので、よけい気になる。

 屋久島は北日本から本州・四国の太平洋岸と九州東岸を経由してくるグループと、シベリアから朝鮮半島と九州西岸を経由してくるグループの合流点にあたるらしく、島南部で海を臨む岩山を背負ったわが家の周辺は、南へ旅立つための高度を稼ごうと上昇気流に乗って螺旋状に群舞する「鷹柱」(たかばしら)がよく見られるものだった。その胸躍る光景も、もう何年も目にしていない。

 国際調査によれば、二酸化炭素など温暖化ガスの排出がこのまま続くと、二〇五〇年までに全動植物種の四分の一が絶滅するという。ロシアの批准によってようやく発効の見通しがついた京都議定書は、先進諸国の二酸化炭素排出削減を求めているものの、各国の駆け引きで削減目標は甘く、また対策から効果が表われるまでのタイムラグが長い。最大の排出国であるアメリカがそっぽを向いた現状では、相当数の生物種が姿を消さざるをえないだろう。生命世界の多様性をずたずたにし、ますます乱調を強める気候に翻弄されながら、石油も食料も先細りになっていく中、人類社会は荒廃の一途をたどるのか――。

 こんな暗い気持を抱えて眺めた米大統領選も、この記事が掲載される頃には勝敗が決しているかもしれない。投票日をすぎたのに「かもしれない」と留保をつけるのは、未曾有の大接戦により、暫定投票の開票まで確定しないオハイオ州だけでなく、いくつもの州で再集計や訴訟合戦が続く可能性があるからだ。

 いずれにせよ、ブッシュ二世政権の過去四年について、米国有権者の過半数が信任を与えた現実は、重く受け止めなければなるまい。私も参加した海外からの模擬投票では、ケリー支持が八割を越える圧勝(ブッシュ支持はわずか六%あまり)だったから、そのギャップはあまりにも深い。最終結果にかかわらず、今回の選挙はアメリカという国の成り立ちを見直し、同時に日本を含む国際社会の“自治力”をも問い直すきっかけになるだろう。ブッシュ政権とそれを支えるアメリカの半分を批判したり嘆いたりするのは簡単だが、近現代の民主主義が合州国の独立・建国と分かち難く結びついている以上、アメリカ民主制の異変はデモクラシーそのものの再検討を迫る。ブッシュ政権と歩調を合わせるように劣化を極めた日本の戦後民主体制も、他人事ではない。

 アメリカに関しては、上院が州あたり二議席と固定されているため(下院は人口比例)、大州と小州の一票格差が七〇倍にものぼること、そのため選挙人団(上院議席数+下院議席数)を仲介した大統領の間接選挙も民意(正味得票)とのねじれを生みやすいこと、同じく上院議席数が絡む憲法修正のハードルが過剰に高いことなど、建国時に南部奴隷州を優遇したツケがまわってきている。今回、みごとに塗り分けられたブッシュ/ケリー獲得州の構図は、南北戦争の分裂を引きずる証左とも映る。さらに、憲法制定者たちが単純多数決による民意の暴走を警戒するあまり、選挙制度にも三権分立機構にも意図的なブレーキを組み込みすぎて、もはや社会の変化に対処できなくなったとの指摘もある。通説とは裏腹に、アメリカ民主制は十八世紀の遺物と化して、じつは先進国には珍しいほど非民主的なのではないか、と(ロバート・A・ダール『アメリカ憲法は民主的か』他)。

 いっぽう経済的にも空洞化著しいアメリカは、“公共事業”としての戦争を維持拡大するしか軍産学/エネルギー複合体を支える道がなくなりつつある。とくにブッシュ再選の場合、ほとんど定義どおりのファシズムが北米に狂い咲きを見せるだろう。米国債とドルの買い支えでそれを後押しするばかりか(加えて民営化後の郵貯・簡保はかならずアメリカへ流れる)、軍事的にも米軍と一体化するのが日本の選択だとしたら、私たちは日露戦争以来の百年間、何ひとつ学ばなかったことになる。イラクの民間人死者が十万人におよぶという新しい国際調査報告を聞き、惨殺された香田さんの冥福を祈りながら、なお人間にはこの巨大な愚行の連鎖を止める力があると信じたい。



京都議定書発効と環境税 [環境問題を考える]
http://env01.cool.ne.jp/frommanager/fm2004_6.htm#n151


「琉球弧北端から」第12回
琉球新報 2004年12月4日掲載


■森呼吸■

 たまに講演に呼ばれたり、実践的なワークショップ形式の場に招かれたりするとき、参加者にこんなことをやってもらうことがある。まず目を閉じて、呼吸に意識を向ける。といっても特別な呼吸をするのではなく、ただ自然に息をしている体に注意を向けるだけだ。当たり前のようだが、呼吸は本人が意識するとしないとに関わらず、私たちの命がある限りひとりでに起こっている。この“体がしてくれている”呼吸にそれとなく意識を向けられるようになったら、入ってくる息と出ていく息を味わい分けてみる。私の場合、生命の源である酸素が肺から血液に供給される吸気は「凝縮された歓喜」のように感じられるし、一瞬後に体から排出される呼気(吐く息)は、次の吸気が起こることを信じてすべてを手放す「安心」や「信頼感」の集約と感じられる。しかし、それは私の感覚であって、一人ひとり感じ方は違うだろう。

 吸う息と吐く息の微妙な差がわかるようになったら、こんどは一つのイメージを思い描く。最新の地球科学によると、私たちが呼吸する空気(大気)は、その成分の九〇パーセント以上が全生命の協力で維持されている。つまり、地球上に人間を含む生命が存在しなければ、いまのような大気組成はありえない。一説では、こうした環境条件のコントロールを、生命全体が積極的に行なっているという。いずれにせよ、人間が吸う息は生きとし生けるものからの贈り物であり、逆に人間が吐く二酸化炭素の多い息も、植物をはじめ他の生物への贈り物といえる。私たちは生きているあいだ中、この“息の交換”を続けているわけで、刻一刻呼吸する空気はもっとも身近な大自然なのだ。植物の代表格である樹木にちなんで、私は以上の簡単なエクササイズを「森(しん)呼吸」と名づけている。

 こんな呼吸法を思いついたのも、水と緑の屋久島で暮らしてきたおかげだろう。とくに島外へ出て帰ってくると、その空気の濃さに、ただ息をするだけで満足してしまう。洋の東西を問わず古来、呼吸に意識を向ける修練は少なくないし、私自身の経験でも、死にたくなるほど落ち込んだとき、ひとりでに訪れる次の息を宇宙からの大いなる存在肯定と受けとめて、気を取り直せたことが一度ならずあった。ほんの数分で、自然とのつながりを取り戻す手軽な方法としてお薦めしたい。

 国内外ともに前向きになりにくい時代、というより排他的でナショナリスティックな後ろ向きの姿勢が前向きのふりをする倒錯の時代――とりわけ閉塞状況の厳しいと伝えられる教育現場に、目の醒めるような力強い取り組みがあることを、最近ゲスト講師を務めたワークショップ合宿で大阪府立松原高校の校長と教員から教えられた。「生き方を学び、学び方を学ぶ」をモットーに掲げたこの高校は、一九七四年に部落差別を乗り越える人権教育の砦として地元住民四万人の署名で創立され、九六年からは総合学科へと脱皮した。授業料免除(=生活苦)が四割を越え、両親揃った家庭が珍しい困難な条件のもと、生徒一人ひとりと徹底的に向かい合って、「いろいろな子がどこかで輝ける場」を探す教育方針は素晴らしいが、私が感銘を受けたのは二人の先生の人柄と考え方にウソっぽさがないことだった。一言でいえば、石原知事の東京都で起こっているのと正反対の本物の教育開化を、ここでは教師と生徒と地域が力を合わせて進めてきたらしい。入学直後のホームルーム合宿でアメリカ先住民の「ビジョンクエスト」に習った成長儀礼を体験し、スタディツアーでタイのスラムを歩く生徒たちは、一〇〇以上の講座から自分の頭で考え、自分の感覚を頼りに生き方を選び取ることを学んでいく。詳しくは『進化する高校、深化する学び』(学事出版)などを読んでいただくことにして、いつかわが目で確かめたい学校だ。これも東京都と逆に、大阪府と同教育委員会がこうした筋金入りのリベラリズムを支持し、その流れが広がりつつあるというから、なおさら頼もしい。

 もう一冊、時代を読む本として推薦したいのは山室信一著『キメラ――満洲国の肖像』(中公新書)。一九二〇年代から四五年の敗戦にかけて満洲国建国(三二年)を含む日本の満洲政策は、植民地搾取と他民族差別とユートピア幻想の混じり合う文字どおりの怪物(キメラ)だった。軍事侵攻および占領の本質を傀儡国家擁立で覆い隠そうとする悲喜劇はまた、現在イラクでもがくアメリカの姿にも通じる。なかでも、美辞麗句と大言壮語と翼賛メディアが、傍目には明らかな茶番をいかに真顔の国論へと塗り固めてしまうかは、いまなおいくら警戒しても足りない。歴史の螺旋がゆっくりと回っている。

 一年間ありがとうございました。再見!

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