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琉球弧北端から 原点をめざす長い旅/水をもてあます地球/火縄銃からアブグレイブまで
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投稿者 なるほど 日時 2004 年 12 月 09 日 10:31:37:dfhdU2/i2Qkk2
 

(回答先: 琉球弧北端から 昆布の道/解放の舞台裏 TUPの場合/サバニの結ぶ海 投稿者 なるほど 日時 2004 年 12 月 09 日 10:29:12)

「琉球弧北端から」第7回
琉球新報 2004年7月3日掲載


■原点をめざす長い旅■

 人間が暮らす――。それは素朴で、しかも命がけの営みだ。昔はどこでも、みな豊かな自然に抱かれて暮らしていた。もちろん、厳しい面もたくさんあったろう。人と人のあいだには、当然ぶつかり合いも生まれる。しかし苦も楽も等身大で、それなりに納得できたのではないか。人間はそうやって長い長いあいだ、この地球上で暮らし続けた。

 そこへ、どこからか力づくの者たちがやってくる。あるいは身近な集団の中から、力にものをいわせて他の人びとを屈服させる者たちが出てくる。傷つけられたり殺されたりするのは怖いし、力の強い者たちは食料や必需品や財宝を奪い取って集める。そこで、恐怖と欲のどちらか、もしくはその両方によって、力づくの者たちに進んで従う人びとが出てきた。そうすると、力づくの者たちはますます強くなり、数も増えていく。

 やがて人間の社会は、力にものをいわせて命令する人びとと、その命令に従わざるをえない人びとにくっきり分かれてしまう。昔どおりただ暮らすことは許されず、自分たちが作ったり収獲したりした糧や産品の大部分を、命令する強者に差し出さなければならなくなる。力づくの者たちは、それと引き換えに暮らしを守ってやるのだと恩を着せるけれど、そんなことは頼んだおぼえがないし、昔から自分たちで暮らしはちゃんと成り立たせてきた。むしろ、何も作らず収獲もしない強者たちを大勢養う負担と、彼らの横暴なふるまいのせいで、生活は苦しくなるばかり。

 これが、中世封建制と絶対王制で極まった「失楽園」の理不尽な姿だった。そこから、一つは理(理性・道理)によって、もう一つは法(法則・法律)によって、いわれなき強制と隷属を脱し、人間らしい暮らしを取り戻そうとしてきたのが近現代だろう。力ではなく理と法にもとづく自由・平等・友愛へ。米国独立宣言の言葉を借りれば(現政権は失格!)、「生命と自由と幸福の追求」をだれもが生得権として認められる社会へ――。主義主張はともかく、私たちはおおむねそのような方向をめざそうと合意した世界に住んでいる。もう、ある日突然やってきた強者に命令され、食料や財産を取り上げられるのはたくさんだし、人間の価値に生まれつき上下貴賎があって、理由もなく虐げられるのは御免だ、と。

 ただし、これだけ人間の暮らしぶりが複雑になり、世界で六〇億人を超えるほど数が多くなると、昔のままの素朴さには戻れない。そこで、ある一定のまとまりを国として、そこの住民が税金という形でお金を出し合い、みんなのためになる使い方をしようと決めた。イデオロギーや宗教など多少のバラエティはあっても、大多数の国はこうした一種の「納税者契約社会」を建前としている。暴君や独裁者にさんざん懲りた経験から、出し合った税金の使い方を含め社会の進路を決めるには、みんなで選んだ代表が話し合って意見を集約することにした(議会=立法府)。そして、それらの代表たちが、実際に税金を運用する政府(行政府)をしっかりコントロールする。さらに、そうした社会の営み全体が理と法に則しているかどうかを、やはりみんなで選んだ専門家にチェックさせる(司法府)。押しつけになりやすい信仰という主観的な営みは、公共の政治と切り離す。これが三権分立と政教分離であり、そのうえもう一つ、メディアという第四の権力が国民の立場から三権に目を光らせることで、バランスのいい民主社会が成り立つ。また最近、「国」というまとまりは大きすぎて暴君的になりやすいため、もっと小さな単位で意思決定して税金を循環させ、身の丈に近い民主社会を実現しようとする試みも広がっている(地方分権)。

 二一世紀の世界と日本を見渡すと、とりわけ二〇世紀の二つの大戦から血と汗と涙で学んだこれらのことを忘れ、無理・無法の暗黒時代に逆戻りしはじめていると感じるのは、私だけではあるまい。戦争が公共事業と化した超大国にも、強者に従ったほうが得とばかり追随を続けるこの国にも、問答無用の非民主的政権が居座っている。しかし、日本はもう封建社会ではないのだから、まず立法府の代表を選び出す選挙の場で、国民としての意志を示せるはずだ。いや、民主主義が出来合いの結論ではなく、発展途上の実験であるかぎり、私たちが有権者としての責任を放棄すれば、たちまち暴君や独裁者が生き返る。いま日本やアメリカで起こりかけているのは、国民の油断からくる民主主義の後戻りだろう。

 自分らしい生き方を心ゆくまで楽しみ、労働の成果は不当に横取りされず、みんなの暮らしを豊かにしてくれる。少数者の意見も踏みにじられることなく、ていねいな合意形成に生かされる。だれもが対等に尊重され、持てる可能性を磨きつつ社会に役立てることができる――。私たちはずいぶん遠回りしながらも、そんな人間生活の原点をめざしているにちがいない。さあ、今月はかならず投票に行こう!



「琉球弧北端から」第8回
琉球新報 2004年8月7日掲載


■水をもてあます地球■

 この夏、異常気象を実感する人は多いだろう。いや、異常気象そのものが当たり前になってしまい、「異常」と思わなくなってきたという感覚のほうが強いかもしれない。とにかく、片や新潟や福井で記録的な洪水被害が起こったのに、もう片方では全国各地で記録的な猛暑が荒れ狂っている。私の住む屋久島では梅雨明け以来、雨らしい雨が降らず、小さな沢が涸れつつある。世界を見渡すと、昨年は猛暑で死者続出したヨーロッパが冷夏に苦しみ、南アジアは未曾有の大洪水に襲われ、アメリカは日照りと冷夏のまだら模様らしい。

 これらは、地球温暖化の影響が確実に世界の気候パターンを混乱させはじめた証拠といえる。化石燃料を燃やして出る二酸化炭素や、禁止されたフロンなど、太陽から届いた熱を毛布のように大気中に閉じ込める温室効果ガスが増えて、地球が“平熱”より暖まる現象を「温暖化」と呼ぶのはご存知のとおりだが、これはただ気温が暑くなるだけではなく、たくさんの付随現象をともなう。よく知られているのが、極地の氷雪や高山の氷河が解けて海面が上昇する見通しだ。ただし、この海面上昇もそう単純な話ではない。

 地球上の水が雲→雨→川→海→雲のようにめぐることを「水循環」と呼ぶ。大気と地表と海のあいだをぐるぐるまわって、私たち生命を育んでくれるのが水の恵みである。しかし、実際には九七・五%が海水で、残る二・五%の淡水は、一・五%が氷や万年雪、河川・湖沼が〇・九%、大気中の水蒸気が〇・一%ぐらいの内訳になっている。問題は、大気中と地表の水を合わせてもわずか一%しかないことで、長年安定して水循環の“貯金”的存在だった一・五%の氷雪が解け、“生活費”にあたる一%の遊動水にどんどん姿を変えている点。気候というのは、主にこの一%の遊動水と風と太陽の織りなすドラマだから、そこに少しでも余分の水が加われば大激変なのだ。解けた氷雪が中長期的に海面上昇(これも大問題ではあるが)を引き起こすより、気候を狂わせるスピードのほうが速いのは、相対量の差によるものと思われる。

 こうした新しい事態に、水循環という巨大システムがまだ順応できず、水をもてあましているのが最近の気候異変だろう。調子よくまわっていた扇風機の羽根に設計外の負荷がかかると、全体がガタガタ揺れ出すように、こっちに大雨をぶちまけたと思ったら、あっちはカラカラの日照りや灼熱地獄というわけである。おまけにそれが一定せず、同じ場所でも今年と来年では正反対になったりする。予想もつかない記録破りの現象が、当分続くと覚悟したほうがいい。

 もちろん、だからといって温暖化対策が無意味だとか、災害への備えが必要ないと主張したいのではない。氷河期と氷河期にはさまれた間氷期は、もともと地球の“発熱”状態。そこへ、人間が二酸化炭素など温室ガスを激増させて引き起こした現在の温暖化は、なんとか抑える工夫をしないと本当に危ない。地球そのものが壊れる心配はないにしろ、人類とその社会が芋づる式の激変に耐えられるかどうかは怪しい。こんなふうに気候の揺らぎが続けば、各国の食料事情も乏しくなって、醜い奪い合いに進展しないとも限らない。エゴ丸出しで暴走する超大国を止められない国際情勢を見ると、気候変動による苦境を世界中が助け合って乗り越えられるとは期待しにくい気もする。それでも、いまやれる対策を進めることが、将来の苦しみを和らげるだろうし、災害の予想をこれまで以上に広げて備えることは、被害の防止に役立つだろう。

 できる限りの手を打ちながら、対策が効果を表わすまでの数十年か数百年は、荒れる気候や海面上昇とつきあうしかあるまい。十数年前には植えても屋久島ではそれほど熟さなかったパパイヤが、このごろめっきり美味しくなってきた。罹患経験者としてマラリアの復活などはありがたくないけれど、東京が沖縄顔負けの暑さになることぐらい、全生命の九割が絶滅した小惑星の衝突を何度もくぐり抜けてきた地球にとっては許容範囲内だろうから、今回の異変に関しては文字どおり自業自得のヒト族も、慌てず騒がず生きのびる努力を続けよう。

 つながり合った現象の挙動を扱うシステム論では、情報の循環的伝播を「フィードバック」と名づけ、行きすぎそうな傾向を抑える知らせを「負のフィードバック」、助長する知らせを「正のフィードバック」と分類する。前者は電気ゴタツから地球全体まで、あらゆるシステムの自己調節機能を司り、後者はいわゆる「悪循環」や「暴走」を招く。温暖化についても、原因と現状の知らせを人間社会に伝えるメディアの仕事ぶりが、抑制か暴走かの分かれ目になるはずだ。



環境問題を考える
http://env01.cool.ne.jp/index02.htm


「琉球弧北端から」第9回
琉球新報 2004年9月4日掲載


■火縄銃からアブグレイブまで■

 六月末に本島を訪れた際、短時間でも辺野古の代替ヘリポート調査反対座り込みに参加したかったのだが、どうしても日程の余裕がなく、かわりに駆け足で南部戦跡をまわった。なかでも、知人に聞いてはじめてお参りした「魂魄の塔」と、喜屋武岬の雄大な風景が同じくらい心に沁みた。激戦直後の荒れ地に移住を強いられた眞和志村の村民が、開拓の鍬先から湧き出す二万五千体とも三万体ともいう遺骨を集め、沖縄で最初に築いた簡素な戦没者慰霊塔は、ほかに参拝者もなくひっそりと立っていた。台風前の大波が寄せる喜屋武岬は、ただ力強い自然が人を打つ力で私を打った。

 同じように心に残るのは、座間味村の阿嘉島から慶留間島へ渡った橋のたもとにある米軍初上陸地だ。五年ほど前に家族で立ち寄り、碑のまわりに散らばる美しい緑色の層状泥質岩(正式名は知らない)を拾った。それはいまでも手をのばせば届く本棚にある。一万年ぐらいの人類史と、琉球弧を含む環太平洋地域とをまたいだ未完の小説を取材しながら、緑色の石に魅せられた。小説のなかでは、沖縄出身の日系ハワイ人米兵がこの場所に上陸し、ウチナーグチで無事に投降するよう島民に呼びかけるが、日本兵の手榴弾で死ぬ。

 じつは、本連載エッセイで触れてきた古代の潮路やサバニの結ぶ海も、この小説のために仕込んだ材料である。しかし、八割がた書き上げたところで、二〇〇一年の9・11事件が起きてしまった。確たる理由は言葉にならないのだけれど、そこから先へ進まない。あの事件の前に書いた内容は甘すぎた――そんな気持が徐々に強まり、いまは全面書き直しするしかないと思っている。隠れた主題は、近現代世界がなぜ大量殺傷兵器を使う戦争をするようになったか、だった。

 答えはいろいろあるだろう。物書きの勘から、この小説では十六世紀前半に注目した。種子島にポルトガル人が鉄砲を伝えた時代。日本でも新たな戦乱の世が広がる。南北アメリカではスペインによる大規模な征服と搾取がはじまり、ガレオン船がマニラ航路を開いてメキシコから中国の富をうかがった。アカプルコとマニラ間の往復は黒潮(およびその還流である北赤道海流)を利用する「大圏航路」と呼ばれ、真ん中の死角に入ったハワイは一五〇年ほど“発見”が遅れた。そして、これらを支えた道具立ては大型帆船と火縄銃と大砲。そこから原爆投下とアブグレイブの収容者虐待までは一直線だ。

 立往生した小説のことを語りすぎるのはやめておこう。書き直しにはポルトガルのことをもっと調べなければならず、手がかりの少なさとポルトガル語の壁が立ちふさがる。見えないものを見る文学的想像力をもってすれば、マカオやゴアからポルトガル本国までたどるだけでも、何かつかめそうな気もする。が、若い頃と違ってそう身軽ではない。とにかく、西経四六度三〇分でスペインとポルトガルが世界を二分したつもり(一四九四年のトルデシーリャス条約による)の時代があったのだ。東経に換算すると、日本は倉敷のあたりから東がスペイン、西がポルトガルの領土だったことになる。

 もちろん、こんなふうに過去を振り返るのは、冷戦に勝ち残ったはずの超大国が全世界をわが物のように錯覚して身勝手にふるまう現在を、より深く理解したいからである。海だろうが他国だろうが勝手に線を引いて領土分配するのと、他国の最高学府に墜落した自国軍のヘリコプターを、主権国の現場検証さえ拒んだまま証拠隠滅さながらに土壌ごと運び去るのと、覇権意識は大差ない。その大国を嫌悪したり、属国のごとくそれに追従する自国政府に嘆息したりすることは自然だし、怒りをぶつけるべきところにぶつけることも必要だ。しかし、国家という擬制が公認の暴力集団を抱え、最先端の大量破壊兵器を開発・保持すれば、からなずこうした横暴が生まれる。

 この国家暴力の根底を問わないかぎり、イラクでも日本でも変わらぬ「他国の軍事占領は望まない」という当然の民意は、「自国軍の正統化と強化による自主防衛」論に直結して、改憲派と戦争商人の草刈場になるばかり。かといって、他国の軍隊を“ビンの蓋”に頼み続けなければ自国民も近隣諸国も安心させられない政治的・思想的退廃は、もう長くは持つまい。他国の国営武装集団にも自国のそれにも頼ることなく、民主力を鍛えて国際平和に貢献する第三の道が、待ったなしに求められている。アメリカは中東支配と北朝鮮・中国の仮想敵を睨んで、日本列島とりわけ沖縄という要衝を死守する構えだろう。それを解毒する方法の一つは、自衛隊を「国境なき災害救助隊」に改組し、米軍の去った沖縄に、万國津梁の海邦にふさわしい国連中枢機能を誘致することではないか。戦後六〇年、コロンブス以来五〇〇余年の宿題だ。

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