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(回答先: 施設局、調査を再開/辺野古沖ボーリング【沖縄タイムス】 投稿者 エイドリアン 日時 2004 年 9 月 14 日 08:31:36)
やあ、深紅の優勝旗もついに津軽海峡を越えるかと高校野球の決勝の壮絶な打撃戦に身を乗り出し、アテネ五輪の金メダルシーンを繰り返し見たりして、テレビの前ではや8月は過ぎていく。
そんな中で、ひとつ心穏やかでないのは13日午後、沖縄国際大学のキャンパスに米軍普天間基地の大型輸送ヘリが墜落した事件である。かねて市街地隣接の基地で危ないなと思っていた墜落が起きて、それだけでもえらいこっちゃということなのに、米軍は沖縄県警の現場検証を拒否、勝手に機体を回収してしまった。「まるで軍政下」と地元宜野湾市長が怒るのももっともというほかないだろう。
で、これがさらに不愉快なのは、(1)95年、沖縄で米兵による少女暴行事件が起きたこと(2)その代償のように96年、当時の橋本龍太郎首相とクリントン米大統領との間で普天間基地返還が合意されたこと(3)しかしその代替にジュゴンのすむ辺野古の海を埋め立てて基地をつくるなどととんでもないことを言い出したこと(4)なんだ、それじゃ沖縄の中での「基地ころがし」じゃないかと当然の住民の反対が出て結局、普天間基地はそのままになっていること――つまりわかっちゃいるけどやめられないという日本政府の8年の怠慢がこんどの事件を生み出している点である。
さらにまた不愉快なのは、当時、普天間返還合意のサプライズで、そうか、米国もそこまで日本のことを考えてくれているのかという気分になって、それならとクリントン・橋本会談を機に極東有事研究や米軍・自衛隊の物品役務相互提供など「安保強化」のとうとうたる流れが始まったことである。そのころは「自社さ」政権で首相官邸には社民党から渡辺嘉蔵官房副長官が入っていたけれども、「まあ、普天間返還とワンセットならば」とこの流れを認めた経緯もある。
私は当時のこのコラムで、これはちょっと怪しいぞ、住民合意プロセスを抜きにした日米首脳のスタンドプレーのような普天間返還はいわば不確かな疑似餌みたいなもので日米安保強化に誘い込むための「政治的手品」ではないかと書いたのだったが、今日、普天間返還どころか事故原因の究明もせずに同種ヘリの飛行を再開し、それもイラクに派遣されるらしいという話を聞けば、やっぱりそうだったかと「手品」の種明かしをされたような気もする。
7月、この年来の「安保強化」の流れをつくった外務省高官から話を聞いた。
「96年の日米安保共同宣言をつくったのは、ソ連の脅威がなくなった後の日米安保はどんな役割があるのかはっきりさせるためだった。憲法の枠内でどうしたら日本は安保条約の一方の当事者として振る舞えるか。そこで考え出したのが『非戦闘地域』という人工的概念だった」
なんですと? 「非戦闘地域」というのは人工的概念なんですって?
「アメリカが世界のどこかの地域で戦っている。日本もそこの『非戦闘地域』にでかけて後方支援をする。武力行使と一体にならないから日本がでかけていっても憲法違反ではない」
なるほどね、この「非戦闘地域」の人工的概念の使い勝手のいいこと! おかげで米軍協力の周辺事態法もできたし、ついでに有事法制もつくりあげて、まあ言ってみれば盤石の安保体制である。いまイラクへの自衛隊派遣が憲法違反にならないのはひとえに「非戦闘地域」という理屈をこしらえたからである。
「普天間返還」という政治的手品があったからこそ、その後の「安保強化」の流れができた。「非戦闘地域」というもうひとつの政治的手品でついにイラクへの自衛隊派遣も実現させた。しかし普天間返還は霧の中。心配した事故は起きる。いまさら「外務省が米国に抗議」などと言うのはご冗談でしょ。
いまは地元の岐阜で民主党を率いる渡辺嘉蔵氏の家を訪ねたときのこと。クリントン・橋本会談に同席した写真が飾ってある。さすがに渡辺氏にも悔いがある。
「クリントンはうなずいたんです。5年以内に返還すると。あれから8年もたつ。民主党が政権を取ったら真っ先にこれをやらなければ」 (2004/08/24)
「普天間返還」8年後の後悔<ポリティカ にっぽん 早野 透>