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(回答先: 怒りの海「絶対阻止」/辺野古沖【沖縄タイムス】 投稿者 エイドリアン 日時 2004 年 9 月 10 日 13:17:30)
ボーリング地質調査のための事前調査 を行う作業船と調査中止を求める抗議 船=9日午後2時半、名護市辺野古沖 |
ボーリング地質調査は当初、昨年夏に実施する予定だった。しかし潜水調査の実施や海域使用の県同意が遅れたこともあり、実際に調査に踏み切ろうとしたのは今年4月だ。しかし辺野古漁港で反対派の強い反発を受け、約5カ月も調査が実現しないまま時間だけが過ぎた。
政府にとっては、そもそも着手がこれほど遅れること自体、大きな誤算だった。関係者は「本体工事ならまだしも、調査で座り込みとは…。県内の他の工事でそんな話は聞いたことがない。(すぐに着手できると思った)当初の見通しが甘かったのかもしれない」と打ち明ける。
調査を強行できない理由もあった。4月の国会で小泉純一郎首相が「住民の気持ちを政府として受け止め、できるだけ円滑な形で必要な事業はしていかなければならない」と答弁したからだ。事実上の“強行禁止令”だ。
しかしヘリ墜落事故で事態は急変した。普天間飛行場の早期返還を求める声が県内で高まり、移設作業の遅れに批判の矛先が向いたためだ。茂木敏充沖縄担当相が「工期を1日でも1週間でも1年でも短くできる検討を防衛施設庁にお願いしている」と話し、稲嶺恵一知事も「多くの人が不満を持っている。(移設作業を)さらに早くしてほしい」と発言し、SACO(日米特別行動委員会)最終報告による辺野古移設を支持している宜野湾市の県議と市議団ですら「7年以内の移設完了」を求める事態となった。
このため「調査の強行はできないが、調査をこれ以上遅らせることもできない」(施設局関係者)との判断に傾き、施設局は調査実施の準備を加速化させた。当初、作業船の出港先を辺野古漁港とキャンプ・シュワブの両面で検討していた。しかし施設局の動きを察知した反対派は2カ所で阻止行動を展開する構えを見せた。
このため施設局は出港先を佐敷町の馬天港にすることを決め、情報が漏れないようごく一部の幹部だけで作業を進め、調査前日の8日までに馬天港出港の段取りを終えている。住民衝突を回避し、調査を確実に実施するための「最後の手段」(施設局側)だったようだ。
「県民世論への重大な挑戦だ」「県民感情を逆なでする」。9日午後4時すぎ、那覇防衛施設局内に野党の国会議員や県議らの激しい怒号が飛び交った。
対応した西正典局長は「これまで手続きを積み上げてきた。実行は行政の使命だ」と繰り返し回答し、事故後の調査着手については「県知事も普天間基地の移設を急ぐべきだと言っている」と述べ、調査は移設作業の加速化を求める声の高まりに応えたものだとの認識を示した。(政経部・松永勝利)
[更新 2004年9月10日 金 10:32 ]