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(回答先: 冬の田んぼに水を張って,ガン類の塒や水鳥の生息地を拡げよう【冬期湛水水田プロジェクト_JAWGP:雁を保護する会】 投稿者 エイドリアン 日時 2004 年 3 月 18 日 00:16:05)
蕪栗沼で採ることができる自然の恵みを受けて、沼の近くには縄文時代から人が住み着いていたことが知られています。
縄文時代の生活を知る手がかりとなるのが、貝塚や遺跡です。蕪栗沼の近くでもいくつか確認されています。
貝塚からは、当時の人たちの食べ物や使っていた器、道具などがたくさん出土しています。
これらの貝塚や遺跡は、かつての蕪栗沼(蕪栗沼遊水地区域に伸萌地区を加えたエリア)の縁にあたる丘陵地に分布しています。
縄文時代の蕪栗沼と人とのかかわりに想いを馳せて、遺跡めぐりするのもいかがでしょうか... | 「あしあと」のところに遺跡があるよ。あしあとをクリックしてみよう! |
■ 恵比須田遺跡(宮城県遠田郡田尻町蕪栗)【縄文の風景 北上川水系 】
1943年(昭和18年)に発見されたという恵比須田遺跡の遮光器土偶は、完全なものとしては最大であり、全高36cm、肩幅21cmを測る。大型かつ完形品で優美であることから亀ケ岡遺跡の片足の遮光期土偶と共に多くの諸誌に登場してきた。
しかし、恵比須田遺跡については記録に乏しく、恵比須田遺跡から遮光器土偶を想像するには及ばぬところがある。
恵比須田遺跡のある田尻町は江合川、田尻川などの中小河川が形成した底地帯にあり、かつては氾濫を繰りかえす湖沼地帯が広がっていた。現在でも迫川、萱苅川によってできた湖沼が自然を留めている。縄文時代の遺跡はこの湖岸の低丘陵上に形成される。
遺跡のある丘からは北を望むと蕪栗沼、そして北上川に注ぐ萱苅川が水田をゆっくり流れる。箆岳丘陵の西北端から東に延びるこの小高い丘の連なりには長根貝塚、中沢目貝塚など多くの遺跡が点在する。淡水産の貝塚で知られるこれらの遺跡が形成された背景には生活に適した豊かな自然環境があったことが窺える。
中世に記された「封内名蹟志」によれば、蕪栗という地名は美味な栗を産したことに由来し、蕪栗沼は領主に献上する鳥を捕獲する御溜池であった。と書き記している。
また中世における箆岳山は密教的色彩の強い山であったらしく、山頂の箆岳寺は今もその面影を残している。遮光器土偶のふるさとは神秘的な空気に包まれているようであった。
宮城県内における遮光器土偶の発見例は恵比須田遺跡から東へ30キロメートル、桃生郡北上町の泉沢貝塚に、完形に近い全高26cmのものがある。
参考文献:「田尻町史」
★ コメント:恵比須田遺跡を含む遠田郡には、陸奥国小田郡(現在の涌谷町)がある。
ここには、奈良時代から有名な金鉱があり、天平時代、奈良の大仏造営に使われた。 時代が下がって藤原氏の頃には三陸地方、特に本吉・気仙地域に金山が点在していた。これが、藤原三代の栄華を支え、また、江戸時代には伊達藩の有力な財源になった。