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(回答先: 黒望です。 投稿者 黒望 日時 2004 年 6 月 18 日 21:55:08)
智によるゲームの楽しみ方を少し披露しましょう。智によるゲームをするからには智は必要ですが知識とか知恵は必要ではありません、他人のそれを利用すれば良いだけです。
智は知能指数の事ではありません
勉強のできる奴など腐る程います。彼等は多くの場合研究者です。自分の興味項目以外は恐ろしい程無頓着です。理解者のような顔で近づくだけでその頭脳は智のゲーム計画者の駒になりえます。
智の者は極端に言えば気付くだけでなれるのです。人望が無ければ人望のある者を利用します。弁が苦手なら弁の立つ者を利用します。
要は、他人は利用すべきものとの認識を確立し、能力のある者を利用する方法のみ確立できれば誰でもなれるのです。
その方法こそは企業秘密ですが、少しだけ極意を教えましょう。能力のある者は多くが認められる事を望んでいます。理解されたいと思っています。自分の能力の高さを自覚しているので他の面については淡泊であることも多いのです。
人間にはプライド、好奇心、探求心、冒険心などの全く糞の役にも立たない感情があるのです。大多数の人がこれらのどれかを刺激すれば転びます。一番多いのはプライド、虚栄心です。鑑定眼に自信のある者はそこを刺激します。腕力に自信のある者は腕力を褒め称えます。他の面では適当に反発するような関係を保つふりをしながらも、相手が得意と思う分野のみでは迎合することです。
しかし、ゲームはゲームです。誘導しながらも参加は禁物です。主役すらもゲームの駒でしかないのです。狡猾な真の智者ならば表舞台には登場してはいけません
負けても破滅しない位置で駒のふりをし、再起を謀り、勝ったら今度はその相手に挑むのです。