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(回答先: 主観的価値絶対主義と客観的価値相対主義と天上天下唯我独尊と公理主義 投稿者 たけ(tk) 日時 2004 年 6 月 06 日 16:48:32)
如往さんの「検証過程により重点をおこうとするもの」に関係してくるかと思いますが・・。
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(疑似的)客観的価値絶対主義と「仁」と「智」(遠慮と深謀)
(10)客観的価値絶対主義
まず、理論的には「客観的価値絶対主義」というのがあり得る。
客観的価値絶対主義:私は私の行動において、「すべて」の人々の価値を客観的に認識し、「すべての」の人々の価値を実現するような決断をする
「客観的価値」というのは地球上に存在し、これから存在するすべての人の価値を意味する。彼が価値と判断するもの、快と感じるもの、彼が気づかなくても彼の利益であるもの考慮することである。
「絶対的」というのは、私の判断として行動することを意味する。
もちろん、これは不可能である。「客観的価値絶対主義」ではなく「空想的客観的価値絶対主義」と言うべきものである。
単に、私がそれを知りえないというばかりではない。
彼らの「価値」は互いに矛盾しあっているので、全体としての客観的価値は、一つの行動になるように纏めることは出来ないのである。
(11)疑似的客観的価値絶対主義
そこで、現実的な解として、
疑似的客観的価値絶対主義:私は私の行動において、「できる限り多く」の人々の価値を客観的に認識し、「できる限り多く」の人々の価値を実現するような決断をする
という、選択肢が出てくる。
「仁」は広い思いやりを意味する。「できる限り多く」の人に共感することを意味する。「できる限り多く」の人々の価値、感覚、利益を理解するということである。
「仁」の目的を実現するためには、私のとりうるいくつかの選択肢が、それぞれどのような結果をもたらすか、をあらかじめ予測する必要がある。
結果を予測するためには、「できるだけ多くの」人々の行動様式を理解し、私の選択が彼らにどのような影響をもたらし、どのような反応をするかを知らなければならない。
「できるだけ多くの」人々の行動様式を理解するためには、「できる限り多く」の人々に共感する必要がある。
ここでも、「仁」が必要になる。
「智」は「仁」によって判断した目的を実現するための予測能力、選択能力、判断能力を意味する。
人々の矛盾した価値のどれを選択するか、
選択の結果として犠牲になった人々の反応が害悪をもたらさないようにするためにはどうすべきか、
という配慮と智恵である。
これを深謀遠慮とも言う。
深謀(深い謀:はかりごと)は智であり、遠慮(遠くまで慮ること:おもんぱかること)は仁である。