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(回答先: 長壁さん。聞いてくれますか? 投稿者 愚民党 日時 2004 年 5 月 30 日 23:04:17)
横レスですみません。
ちょっと長壁さんには厳しいかも知れませんが、とてもいい文章だと思いました。
さすが、アーティストです。
特に、ゆでがえるについての一節、心に染み入りました。
昨日山の中で自給自足生活をしている知人の家に泊まり、久しぶりに沢山の畦蛙の
鳴き声を聞きながら眠りました。
とても心が洗われました。
今日は田んぼに出て、下の娘がおたまじゃくしや蛙を追いかけていました。
娘は普段でもすぐ、どじょうや川魚やザリガニやアメンボやカブトやバッタやクワガタやカナヘビをとってきて可愛がるのですが、特におたまじゃくしや蛙はお気に入りで、それぞれに人間の名前をつけて育て、蛙になってしばらくしたら水に返すのです。
とは言え、比較的都会に住んでいるので、蛙の大合唱が聞こえてくる程ではありませんでした。蛙の合唱は、いい子守唄です・・・。さすがに、ウシガエルまでいくと、コントラバス系法螺貝の合奏のように、かなり迫力があって慣れるまで寝付けませんが、昨日は幸か不幸か、ウシガエルまではいませんでした。
私はゆでがえる論はアナロジーとしては嫌いではなかったのですが、やはり本物の蛙の
事を思うと、残酷だなあ・・・と胸が痛んでおりました。
まあ、怒りというものは、適切な状況で表現に乗せれば、純粋な起爆剤としての作用を
もつものだと思うので、怒りの効力のすべてを否定はしません。
しかし、常に自分の足場と、方向性をチェックしていないと、視野狭窄に陥ったり、自己矛盾を抱えてしまう危険性はあると思います。
やはり、怒りが適切に表現されるためには、焦りは禁物だと思います。
長壁さんには、もう少し、余裕を持って欲しいという希望はあります。
でもやはり、蛙を人間の都合や好奇心で茹でてはいけませんよね。茹でたら、捨てたりせずに敬意をもって食べてあげなくてはいけません(私はまだ食べる機会はないのですが、食べたことのある人は、一様に「美味しかった」と言っていました)。
日本の原住民もインディアンも、無駄な殺生はしません。感謝を持って、料理したり皮を剥いだりして、衣食住に役立てます。
もちろん、人体実験やロボトミーはもっといけないことです。
そういうわけで、全国の人間ゆでがえるさんのことも、ちゃんとお料理して召し上がって差し上げましょうね。
・・・これは怒りの表現というより脅迫まがいの冗談ですが。