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(回答先: Re: シュトラウス言説に関する不審とこの流れへの注目 投稿者 莢豌豆のスジ 日時 2004 年 5 月 30 日 22:58:08)
莢豌豆のスジさん、こんにちは。
『【レオ・シュトラウス思想入門】古典的政治的合理主義の再生』(L・シュトラウス著:T・L・パングル編序:石崎嘉彦監訳:ナカニシヤ出版:3800円+税)を手に入れられたとのこと、莢豌豆のスジさんからの発信に期待しています。
>>“自然”(リアルな自然ではなく観念としての自然:このあたりのズレが東洋と西
>>洋の“断絶”や引用言説とも関わるものでもあります)
>ここら辺を下記のように書いているレオ・シュトラウスが、西洋的身体性の自覚しが
>たい文化的条件付け等を基礎にして
>形而上学的次元へと至っている差異、断絶(※)を認識していたのかどうかがかなり
>疑わしい気がしています。
>(※私はそれがあるように感じています、これを論証しようとするとげっそりします)
レオ・シュトラウスが、ヘブライ&ギリシア的な思念ではあるがという前提付きで、東洋と西洋の「世界」に断絶があると認識していたことは確かだろうと思っています。
私は、東洋と西洋の断絶を埋めるものとして古来中国思想に向かうことのほうに違和感を覚えます。
プレ・ヘブライでもあるミトラ教などのペルシア・メソポタミア的宗教や東洋と西洋を橋渡しする可能性を秘めたヒンドゥーといった「世界」もあるからです。
「だが西洋の存在経験は、原理的に存在についての一貫した言説を可能にする。」
>(どうしてこういうことを無条件に正しいように言ってしまえるんだろう、頭で論理
>をつないで喋っているんじゃないだろうかと思う)
創造主である神やイデア(実相)を存在の根源に置く西洋の観念が、「原理的に存在についての一貫した言説を可能にする」のは、そうであると思っています。
それは、おっしゃられるように、「頭で論理をつないで喋っている」内容でしかないことも確かですが、創造主である神やイデア(実相)を存在の根源として受け容れる世界観が常識化していれば、そのようなことができます。
「原理的に存在についての一貫した言説」は、真理であるとか正しいとかは別問題で、そのように論述できるという意味だと解釈しています。
>本が手に入ったのでざっと読みましたが、やはり胡散臭さは非常に強く感じます。
>(訳文は読みやすく緊張感もありますが、シュトラウス自身は引用や解釈の編成で自
>己の言説を作ってあるようで、元の資料に関する蓄積の無い人間には、正確を期した
>読解が難しいです)
危険な“密教”ですから、胡散臭さを感じながら読む必要があると思っています。
「レオ・シュトラウスは、プラトン的な意味で賢慮の人」というのは、ストレートに自分の政治的立場や政治的価値観を表明せず、過去の言説を解説するというスタイルで自分の本音をちりばめていることを指します。
プラトンが死せるソクラテスに語らせるかたちで多くの論述をしたのと似ています。
このように受け止めれば、たとえばプラトンがある書で実際にそのように書いたのかといった出典問題や彼は本当にそうしたのかといった歴史的行為の真偽性はそれほど問う必要はないと思っています。
固有名詞は捨象して、「このような考えをどう評価しているか」、「このような振る舞いをどう評価している」に終始すればいいはずです。
(間違っても、シュトラウスの論述を元に「プラトンはこう考えていた」・「ソクラテスはこういう人だった」と思い込んだり主張してはならない、という点だけ押さえておけばいいでしょう)