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(回答先: Re:どうも。ややこしいです。 投稿者 スパルタコス 日時 2004 年 5 月 29 日 23:01:51)
スパルタコスさんはじめまして。
数年前から、ほぼROM専門にこちらを利用させて頂いております。
私は本業が絵書きですので、この問題は簡単にお答えが出せると思い、一言。
今、スパルタコスさんがおっしゃっている、「美しい」がどの文化圏に由来するか
の問題なのだと存じます。
又、女性の立場から言う場合と、男性目線での美意識の違いも、お母さまとスパルタコスさんの意見の創意に反映しているようです。
現在、日本人の言うところの「美しい女性」は輸入されたもので、
元来白人至上主義の刷り込みです。そして、モデルが着て見せる衣装も、
白人が最も着映えして見えるように出来ています。
お母さまが「白人が一番白くてスタイルが美しいので、モデルは白人に限る」とおっしゃるのは、
あくまでも洋服や洋髪のモデルであって、着物、日本髪モデルではないはずです。
洋服が似合うかどうかについては、たとえ「肥満が多く、パーツが大きくて、毛がもしゃもしゃとはえていて、
あまり風呂に入らない」白人であっても、チビで肌に透明感が無く、重い真っ黒の髪の
モンゴロイドには太刀打できません。(洋服以外の広告媒体もそれに習います。)
洋服は西洋人の民族衣装の延長線上にあるからです。
西洋の民族衣装を文明の証だと信じ込まされ、似合いたいと願う女性の美意識は
西洋モデルに憧れるのが陶然なのです。
逆に着物や日本髪はどんなにナイスバディーな白人でも、似合う事ができません。
スパルタコスさんの「日本人の方が肌がきめこまやかで、パーツが小さく、スマート」という見方は、
非常に日本の男性的な目線に見えます。(スパルタコスさんの性別は存じませんが)
恋愛対象として、日本男性が女性を見る時、アップに耐えられるディテールと、自分と
比較して小さい事や、きゃしゃで清潔な事が、
重要になるのではないかと思います。これは美意識というよりも「藻えるや否や」の
問題ではないでしょうか。
お母さまの視点とは根本的にずれているようです。
男目線を排除して、それぞれの民族衣装を着て、それぞれが、ベストなコンデションで肉体的な特質をアピールした場合、
その美しさに一般論的な優劣をつけるのはもともと不可能なのです。
私の考えを申しますと、
現在において、白人になりたい意識から脱却できない猿真似の日本の女性は白人に劣る。
という答えは出す事はできます。西洋美なのなら本物に限るということです。
敗戦後から現在に至るまで、日本人女性は概ねお母さま型の美意識を中心に据えて、
白人に憧れ、白人のようになりたいと切望してきました。
それは、西洋的美人の方が、やまとなでしこよりも自由で華やかに見えたからです。
それは、男性目線からの解放でもあったのですから、スパルタコスさんのおっしゃっている美意識からの逃亡でもあります。
女性がその目線から解放されたと感じることができた時、あらためて日本女性の
民族衣装が作られる事でしょう。
そうなれば、完全に優劣は無くなります。
私は輸入された美意識と、日本の美意識とがなんとか同居していた明治、大正の頃の
日本人の価値観が今まででは、一番理想的だと感じています。(女性の権利問題とは別にして)
それは、西洋的美意識の咀嚼吸収が、日本女性の美意識の上に乗った形でした。
またこうなる日が来るまで、日本の女性美は残念ながら劣り続けるのです。
ところで、
スパルタコスさんの対比前提が、かたや白人(人種)、かたや日本人(国)なのにすこし戸惑いました。
日本人を「黄色人種」というスタンスに立つ人種論でないのであれば日本人目線で、対「西洋人」とした方が分かりやすく感じました。
それと、最近の若い女の子の価値観では、黒人モデルへの憧れもありますね。
ミュージックシーンの流行りの流れだと思いますが、黒人の様にになりたい女性は増えているように思います。
これもある種、日本女性の男目線への肘鉄と解釈しています。