現在地 HOME > 掲示板 > 雑談専用9 > 655.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: 「陰謀論」を真顔で論駁しようとして愚を晒したカール・ポパーの限界性もしくは胡散臭さ 投稿者 小魚骨 日時 2004 年 5 月 29 日 03:19:31)
>小魚骨さん こんにちは
まずは、有益な考えを提示されている(と思える)本の紹介に感謝いたします。
私は未読ですが「カール・R・ポパー」さんは私と同じ様な思考をしていると思いました。(勿論、私と同レベルと言う意味ではなく、レベルは段違いに高いのは承知しています)
さて、感謝した後で恐縮ですが
>※ 陰謀論の真偽を論証しようとする際に、住宅購入希望者や生命保険加入者と生命保
>険株式価値を持ち出したのには唖然としました。
は間違いだと思います。
例と言うのは、一般的に「普通の人にも分かりやすいように、身近な事柄に置き換えて説明するものなのです」
この本は「阿修羅」の人達に向けられた本ではありません。普通の「陰謀」というイメージのみを持つ人に対して向けられている訳です。その辺を理解されると「唖然」とされる事が誤りと気付くはずだと思います。
更に
>※ 批判的合理主義を唱えながら、論証抜きで「間違った理論」と決め付けたり、「結
>局のところ、それらの陰謀のうち成功するものはごくわずかしかないという事実」と実
>例や実数を挙げないまま説明している態度に戦慄を覚えます。
も問題でしょうね、何故なら、上で説明したように一般例によって説明しています。合理主義とは合理的に考えましょう。と言う事です。「陰謀」というモノが成立しにくいモノだと説明したらなば合理的に考えて「論証」や「実例」を考えるのは無駄なのです(少なくとも本人にとっては)
つまり、小魚骨さんのご指摘は間違っている事になる訳です。「戦慄」を覚えることや「唖然」とする事がです。(この場合、私は内容については問題視していません。「陰謀論」を信じるのは個人意識です)
問題は「戦慄」とか「唖然」と言う表現方法についてです。多分、子魚骨さんは意識してこの表現を選んだと思われます。これは「常識すら通用しない愚かな人」に対する表現として使用されているようです。(と私には思えます。)
と言う事で不本意ながら苦言を呈させて頂きました。
「陰謀論」の擁護は大いに結構ですが、それは正当な理論展開や実例の提示によって行うべきでしょう。